第4話 悪魔狩り

 雨に打たれた水面みなものように騒ぎ続ける心を、ユストゥスは必死に抑えた。普段から感情を抑え、無表情を心掛けていてよかったと思う。そうでなければ、間抜け面をさらして見惚れていたかもしれない。

 単なる造作ぞうさくの美しさだけではない。この少女にはおのずずから輝く宝石のように、惹きつけてやまない何かがあった。

 

 この殺伐さつばつとした状況と静かにたたずむ少女とのあまりの落差に、ユストゥスは混乱から中々立ち直れずにいる。

 一方、いきなり人に雷撃をらわした凶悪犯は、大変に愛らしい仕草で困惑を表現した。


(困っているのはこちらだ、可愛い顔をして無茶をする! ここまで高度な戦闘技術を使った学生同士の喧嘩があるものか)

 

 ユストゥスは戦闘に関しては専門プロだ。周囲の大気に漂う乱れた魔素は、ここで激しい戦いがあったことを物語っていた。

 しかし、ひとまず拘束するにしても、相手は壊れそうなほど華奢な少女だ。触れるのを躊躇ためらっていると、刃をさやに納める鍔鳴つばなりの音がかすかにした。


 それが合図だったかのように、黒髪の少女はやにわにユストゥス目掛けて駆け、そのまま彼の横をすり抜ける。瞬間、二人の視線は交錯こうさく清冽せいれつな花のような淡い香りが、ユストゥスの鼻腔びくうをくすぐって逃げていった。


(なんだ、あの瞳は――?!)


 少女はかろやかに大きく跳躍する。

 靴のかかとが金属製のさくを蹴る高く響く音でユストゥスが我に返ったときには、華奢きゃしゃな体は宙におどっていた。

 ユストゥスは制止の声をかけるが少女は当然止まらない。

 

「待て! 危ないっ」

 

 その跳躍は、猫科の獣の優美でしなやかな動きを思い起こさせた。

 長い髪が、強く吹き上げる風になびく。傾いた陽光を受けた髪は、青く高い秋空の下で舞い広がり、彼女の白い顔をさらけ出した。危なげなく着地し、校舎の上を一気に駆け抜けた少女は、再び小さな足で屋根を蹴る。


 重力の存在を無視した軽やかさだった。

 逃げた少女をユストゥスは反射的に追う。しかし、伸びやかなその動作は肉付きの薄い少女らしい体型をあらわにし、制服のスカートがその度大胆にひるがえった。


「くそっ! はしたないぞ!」


 ユストゥスは、思わず頰を引きらせると小さく罵った。一応濃色のタイツで覆われているものの、目のやり場に困ることこの上ない。ついぞ追う足が鈍った。

 だが、小さな背を追ううちに、ふとユストゥスに郷愁きょうしゅうが込み上げる。子どもの頃も、を追って石造りの城塞や緑深い森を縦横無尽に走ったものだ。


(――よく、こんな風に振り回された)


 全身を包む、せ返るような土と木の濃い香りを含んだ森の風。踏みしめた建造物の屋根がきしむ音、野に生きるものの気配、緊張と興奮――。

 忘れていた、いや、封じ込めていた大切な記憶が胸を焦がす。

 薄い背で跳ねる長い髪、小さな足。

 重力などなきもののように軽やかに弾む華奢な体。

 記憶にのみ残る姿が視界の先で駆ける少女と重なり、ユストゥスは心をざらりと擦られる痛みに強く奥歯を噛み締めた。


「姫様!」

 

 不意に鋭い女の声がした。脱兎だっとごとく駆けていた黒髪の少女は、その声にすかさず反応する。声がした方向に身体を半ひねりにすると、自分に向かって飛んできたものを危なげなく受け止めた。

 

 かたなだ。


 少女は目線の先の虚空こくうを睨むと、白いさやを掴み躊躇ちゅうちょなく引き抜き放った。続けて、柄を握る小さな手から魔法の円陣が閃き、一瞬で刀身に複雑な魔術紋様をまとわせる。


「まさか、魔導戦技ミスティックアーツ?!」


 武器に魔術付与する攻撃武術、魔導戦技ミスティックアーツ。使える学生はまだ数えるほどしかおらず、しかも全て男子だ。

 つまりここにいるのは、はずの高度な武術と魔術の双方を操る少女。

 ユストゥスは強い疑念を抱く。常人を遥かに超える戦闘力を持つ少女の姿をしたもの、は確かに実在するのだ。


 少女のこなれた流麗な一連の動きにいざなわれるように、刃先が狙う虚空にユストゥスは目をらす。よく見れば、時空のゆがみより何かがい出ようとしていた。


悪魔アーカー!」


 この世には見えぬ無数の穴が空いている。時空に空いた穴はいとも容易たやすく異界と繋がり、様々なものをこの世界にもたらしてきた。


 そこに善悪の差はない。


 数多あまたの来訪者のうち、明確な害意を持って降り立つ悪しきものだけが悪魔アーカーと呼ばれていた。奴らは圧倒的な力をもって生命を蹂躙じゅうりんする、この星に生きるもの全ての敵だ。ユストゥスは碧い双眸そうぼうを細め、腰の剣に手を伸ばした。

 

 白刃を中心に少女周辺の魔素が収束し始める。七色の透きとおる魔力の流れがうずを巻きを描きながら、少女の華奢な体に絡んでいく。


(虹色の魔力!? ――まさか、まさかそんな)


 虹の光をまとった少女は宙に躍り、陽光を受けて白く輝く刃が真円しんえんを描く。剣舞のようなその動きは接続された穴をあぶり出すと、穴からい出んとした悪しき存在を斬った。まだ、受肉を終えていない悪魔のからは霧散し、微かな光を放ちながら元の魔素へと戻っていく。


 少女は静かに空を見上げ、再び虚空に向かい白刃を構えた。流水のごとくしなやかながら凛然りんぜんとした太刀筋たちすじ


 ユストゥスは呆然とただ見つめていた。

 夜の底へ永遠に失われたと思っていたものが目の前にあった。


 八年前に殺された――少女。


 「もういない。――は、もう八年も前に死んだ」


 あのひとは死んだ。ユストゥスの代わりに殺された。




 だから、彼はこの国を滅ぼそうとしたのだ。

 みずからの悪魔をも超える力を使って。

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