第3話 一葉の花弁

「やはり嫌な予感がする」

 

 多くの人々が楽しげに行きうなか、ユストゥスは足を止めると不信をあらわに呟いた。その声に前を歩いていた筆頭魔術師がユストゥスを振り返る。少々胡乱うろんな笑顔だ。


 北国の短い夏は早くも過ぎ去り、山よそおう秋が深まりつつある。すずやかな風が吹き抜けては、笑いさざめく声をかろやかに遠くまで運んだ。


「気のせいですって。ほら、行きますよ!」

「……お前がそういう顔のときは、大体ろくな目に合わない」

 

 この魔術師、一ヶ月前の新建国祭のときも同じ顔をしていたとユストゥスは思い出す。まんまとめられたユストゥスだが、素晴らしい演出だったと非常に好評だったのが腹立たしさをより増していた。

 間違いなく来年もやらされると危惧きぐしたユストゥスは、高らかに宣言する。

 

「よし、来年こそは退位する」


 今すぐ、近いうちに、年内には。

 これでも妥協したと言わんばかりの主君に、エルマーはきっと向き直った。

 

「ああもう、後ろ向きな新年の抱負を今から言わないでください! 千回目の退位宣言、いい加減に聞き飽きました!」


「辞めさせてくれないからじゃないか。ラフロンだって、大公が居なくとも回っている」


 国王の戯言ざれごと玩具がんぐをねだる子供ではあるまいしと、エルマーは呆れた。


「あんな鉄血の結束を誇る竜の国と、政権転覆劇クーデターで生まれたてのひよこ同然の我が国を比べないでください」


 南の大公はもう何年もおおやけの場に姿を現わしていない。何をしているものやら、大陸各地での活躍だけが詩人の歌にのって世を巡っている。それでも、優秀な官僚と後継者たちによって国政は磐石ばんじゃくだという。


 ユストゥスは羨望せんぼうの溜息をついた。

 彼とて、好きで執務机に張り付いているわけではない。血腥ちなまぐさい事情のせいで人不足ゆえ、仕事量が多すぎるのだ。


 主君の度重たびかさなる退位宣言に、筆頭魔術師はついに我慢ならなくなったらしい。王宮に引きこもりすぎなのが問題だと、ユストゥスは執務室から引っ張り出された。

 

「よし、行きますよ」

「どこに。魔獣討伐か?」

「違います。もっと、い い と こ ろです!」


 その言葉に警戒を強めたユストゥスだが、何のことはない。連れてこられたのは王宮に隣接する王立学園だった。


 ちょうど学園祭が行われており、学内は華やかに飾り付けられ賑やかな音楽が流れている。軽い足取りの側近の様子に、絶対にまた何かたくらんでいるとユストゥスは邪推じゃすいした。


「いいじゃないですか、たまには学生気分を味わったって。大体、あなたは世間を知らなさ過ぎるんですよ」


 否定できないユストゥスは、黙って少しばかり唇を曲げる。見た目は金髪碧眼の完璧な貴公子なのに、中身は生粋きっすいの軍人。十四の歳から常に戦場を渡り歩いていたせいで、典雅てんがな王侯貴族とは程遠いありようなのだ。即位前は屋根の下で寝た日のほうが少なかった。


 氏より育ちとはよくいったもので、即位後も時間の無駄と食事は適当、服は騎士服。装飾過多は落ち着かないと殺風景な部屋で過ごしている。

 幸いなことに、王の悪癖あくへきと寒々しい生態は国民にはまだ露見ろけんしていない。しかし、隙あらば退位しやめたい国王はなおも文句を言っていた。


「国王なんかより冒険者が向いていると思うんだ。私には」

 

「職業相談コーナーにいったらどうですか。ほら、卒業生も対象とありますよ」


 真剣に案内を読み始めた主君の姿に、迂闊うかつに冗談も言えないとエルマーは頭を抱える。


(駄目だ、この人。素で転職希望票に『現在の職業:国王』と書きかねない)

 


 

 

 ✣✣­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–✣✣




 

 天秤てんびんというものは、時としてほんのわずかな重みで大きく傾くものだ。



 たとえそれが、

 ごく軽い一葉いちようの花弁であっても。



 ――は唐突に現れた。


 



 午後の陽光を反射して鋭く光るものが見えた。

 ユストゥスとエルマーはその正体を見極めようと、逆光に目をすがめつつ屋上をにらむ。

 

 曲芸師のように、屋上の細い手摺てすりに危なげなく女生徒がいた。こちらに向けた背で長い金髪が風に乱されている。


「武器、それに魔導反応だと?!」


 我が目を疑ったユストゥスだが、次の瞬間には校舎の出っ張り部分を踏み台に、一気に校舎の屋上へと跳躍した。あわてたエルマーの制止が聞こえたが無視する。


 刹那せつな、短く高い雷鳴が空間を引き裂き、屋上へ立て続けに雷撃が落ちた。

 屋上に着地したユストゥスもまた魔術の雷撃に襲われる。ユストゥスは体に巡らせた魔力で咄嗟とっさに電流をはじくが、頭上からのまばゆい閃光に一瞬、視力を奪われた。


「《力の雷撃》! くっ、誰が撃った?」

 

 見れば、手摺てすりの上にいた女生徒が近くに倒れ伏している。死んではいないようだが、手に持っているのはやはり武器だ。

 ユストゥスは雷撃を撃ったとおぼしき人物に、鋭く視線を飛ばした。


 雷撃を放った犯人も制服姿の女子だ。

 濡羽ぬればの黒髪の持ち主は、ユストゥスを見て不思議そうに大きな瞳をまたたかせている。さらに困ったように小首を傾げ、その動きにつれて長い黒髪がさらりと揺れた。


 抜けるように白い肌は差し込む午後の陽を受け、光をはらむように淡く輝いている。繊細に整った顔に長い睫毛まつげかげが落ち、ほっそりと先細りの指先からは放った魔力の残滓ざんしか、魔素のきらめきが宿っていた。

 ユストゥスは思わず息を呑む。


 ありもしない時が止まる魔法をかけられたように感じた。

 そこに立つは、人ならぬ美しさを湛えた存在だった。

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