第2話 王の悪癖

 王宮前の広場は、夜とは思えぬ喧騒けんそうに満ちていた。

 

 王都は大陸北方に位置する。そのため八月末にしてはや、太陽が西に隠れる頃には上空より冷気が降りてきていた。


 しかし、正面露台テラスを臨む王宮の前庭には華やかな貴族服やドレスをまとった令嬢がつどい、汗ばむほどの人熱ひといきれを生み出している。

 

 三日にわたり開催された新建国祭が、今まさに終幕フィナーレを迎えようとしていた。滅多に国民の前に姿を見せぬ国王に参賀できるとあって、人々の顔には抑えきれぬ興奮が見られる。

 

「そろそろ、陛下がお出ましになる時間ですかな」 

「おお、いよいよですね」


 しばらくすると会場はおのずずから静まりはじめ、やがて完全な沈黙が場を支配する。微弱電流にも似た魔力の圧が肌を刺し、彼らの王の接近を伝えてきたのだ。わずかな身動みじろぎすらも許されないという本能的なおそれが筋肉に緊張を強い、口をつぐませる。

 

 姿を見せずして王は、猛々しいけものごとき圧倒的な存在感を示していた。

 

 



 四年前、このメルノード王国では貴族同士の大きないさかいが起きた。争いは拡大の一途を辿たどり国は乱れ、力なき民は戦乱のみならず、魔獣や災害の危機にさらされた。


 魔獣、魔力災害。

 横行する貴族の私兵団、隣国の侵攻。


 その全てを、武威ぶいをもってぎ払った一人の騎士がいた。

 

 かの騎士が玉座を獲て、内乱はようやく終結を迎えた。彼が初代国王と同じ異能の持ち主であることを民は喜び、英雄王の帰還と熱狂的に支持している。


 新建国祭は民からの要望に沿い、祝賀の為に新たにもうけられた行事だ。王宮正門より宮殿へと至る長い道なりには、縦長の人工池がある。その池に沿って平行に配置された魔石照明に光がともされると、高らかに軍隊行進曲マーチの演奏が鳴り響いた。


「ユストゥス一世、メルノード王国国王陛下、ご入場!」


 王宮露台テラスに現れた大陸最強とうたわれるその姿に、無数の感嘆の吐息が漏れる。

 

 若い国王は軍人らしく、長身を漆黒の騎士服に包んでいた。広い肩には深い赤の肩掛け外衣ペリース、目深にきっちりと被った軍帽から僅かに覗くは金の髪。碧い双眸そうぼうは稀少宝石のような輝きを放ちながらも、どこかくらいものが宿っていた。

 

 ユストゥス・ヴィ・レム・ランペール。

 超絶した剣技と稀代きたいの用兵によってこの国の頂点に立った異能持つ天才は、美貌の持ち主でもあった。

 

 国王は腰の両刃の長剣をよどみない動作で引き抜くと、静かに天にかかげた。人の常を遥かに超える強大な魔力が、剣の柄を握る手から剣先へと糸をつむぐように天へと立ち昇り始める。

 

「ヴィヴァ・ラ・メルノード!」

 

 若い国王のよく通る美声が観衆の耳朶じだを鮮烈に打てば、地鳴りのような歓声が王宮全体、いや王都全体から大地を揺るがさんばかりに響き渡った。

 

「ヴィヴァ・ラ・メルノード!」

「メルノード万歳! ユストゥス王万歳!」


 王が掲げた剣より、目を灼く一条の光がほとばしると、天空で巨大な魔法の円陣ミスティックサークルが展開される。


 精緻な魔術式を描く円陣がゆるやかに回転し光を降らせると、呼応して王宮の敷地から強い光芒こうぼうが立て続けに何本も、天へと昇る竜の如く勢いよくはしった。

 歓声が一段と大きくなる。

 

 幾本もの光の柱を天へと打ち立てたのち、王は長剣を据えられた台座に突き立てた。


 時は大洪水デリージュ歴一〇七三年。剣に手を添え仁王立ちした堂々たる王の姿は、観衆の脳裡のうりへと永く鮮明な記憶を残すこととなる。







「……やって、られるかっ!」

 

 ユストゥスは、控室の扉も閉まりきらぬうちに軍帽を乱暴に放り投げ、ののしりの言葉を発した。


「お疲れ様でした、主君しゅくん

 

 投げ捨てられた軍帽を危なげなく受け止めた長衣ローブ姿の魔術師は、主をねぎらった。ユストゥスは彼をめつけたが、魔術師は笑みを浮かべたままだ。

 

 筆頭魔術師にして国王側近エルマー・シュミット。彼はこの神経の太さから、『鉄鎖てっさの魔術師』などと呼ばれている。

 ユストゥスは苛立った声で、二歳年上の魔術師を問い詰めた。


「エルマー、あれはなんの茶番だ! 手順が変わったと直前に言われて、仕方なく指示通りにすれば、花火を打って剣を台座に刺せなど意味がわからん!」


「だって事前に言ったら、拒否されるじゃないですか」


 悪びれる様子もなく返ってきた回答に、王の眉間にはみるみるしわが寄った。常は無表情なユストゥスが、これほど感情をあらわにするのは珍しい。

 

「当たり前だ、馬鹿馬鹿しい」

 

 エルマーは怒れる主君をどうなだめるか思案した。変なところで素直な性格を利用したのは、まごうことなき事実である。


(お怒りごもっとも。見映えがいいからという理由だけで採用した演出だからな)

 

 しかし、れっきとした理由がある以上、王の怒りにおののく必要はない。エルマーは丸めた片手を口元にやると、わざとらしく咳払いをした。

 

「主君。行事のあれこれを、面倒だ予算の無駄だと言い削り倒したのは、一体どなたで?」


 途端に、ユストゥスの口元が引結ばれる。心当たりがある表情かおの主君に、畳み掛けるようにエルマーは説明した。


「いや、私も悩んだんですよ。あなたは予算を使うな、大臣たちは貴族どもを圧倒する演出をしろという。いやいや、無理難題にも程があると」


 金をかけないなら手間をかけるしかない。

 低予算で観客に喜ばれる演出を考えた結果が、あり余っている国王の魔力による魔術花火と、宝物庫にあった大剣を使った演出だとエルマーは堂々と言ってのけた。


 横に立つ第二騎士団長が、軍帽でさりげなく顔を隠す。生真面目な性格の彼も、密かに同意していたとみえる。


 知らぬは国王ばかりなりというわけだ。

 ユストゥスは息を吐いて、硬質な輝きの金の髪を乱暴に掻き上げた。まんまとしてやられたが、自業自得は認めざるを得ない。


「それで、あの趣味の悪い宝石がついた剣か」

「趣味悪……­。一応、王家に伝わる宝剣らしいですよ」

 

 エルマーは朗らかに微笑むと、窓の外を軍帽で指し示した。


「皆、喜んでいるではありませんか。ほら、まだ歓声が聞こえますよ」

「くっ、相変わらず無駄に口が立つ。私は大道役者か」

 

 ユストゥスは外衣ペリースぎ取ると、長椅子の上にばさりと投げ出した。若い騎士団長が、小さく息を吐きながらそれを片付ける。

 無名時代からの長い付き合いの三人だからこそ許される、気安いやりとりだった。


 納得はしたものの、まだ憤懣ふんまんやるかたないユストゥスは、断固として宣言する。

 

「もう二度とやらんからな! 国王なぞ、さっさと退位してやる」


 筆頭魔術師は曖昧あいまいな笑顔でそれを受け、騎士団長は黙って広い肩をすくめた。


 二言目には『退位宣言』。

 これが完璧と称えられる若い王の悪癖あくへきだった。





 そもそも、ユストゥスが王国軍に入ったのは、ひたすらに復讐のためだ。

 ユストゥスを執拗しつように殺そうとした結果、彼の大事な存在を奪った前国王にその罪を償わせる。ただそれだけのために、彼は軍で功績を上げ地位を得ようとしていた。


 そこへ突発的に内乱が起き、時流にじょうじる形で思ったより早くユストゥスの復讐はされた。しかし、その代償としてユストゥスは、降りられぬきざはしの頂点に立たされてしまったのだ。


 英雄、救世者、王国の剣。窓の外の国王を讃える声は止まない。

 ユストゥスは、ふところから小さな緑色の空瓶を取り出すと遠い目で見つめた。


簒奪さんだつ僭称せんしょう、恩知らずなどと言われていた時の方が楽だったな」

 

 若すぎる国王は、行先のない人生にんでいる。

 ユストゥスのたったひとつの宝石は夜の底に転がり落ちたまま、もう戻らない。


「さても人生とは、ままならぬものだ」

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