第2話




 バイトを終え、私は自宅の前まで帰ってきた。


 苔むしたブロックの間を抜け、錆びついた階段を上がっていく。

 かかとのよれたローファーが上るたびにカンカンと冬の寒空に響き、続く廊下も同じような音を響かせて私は自分の家に辿り着いた。


「ただいま……」


 ポケットから鍵を取り出して、扉を開ける。

 外から見て分かっていたことだけど、やっぱり「ただいま」と言ってもこの家に「おかえり」と言ってくれる人はいなかった。


 お父さんはいないし、お母さんも夜の仕事。それに、最近はお客さんの一人に夢中で、数日家に帰ってこないなんてことも日常茶飯事。

 私は見慣れた光景にため息を吐き出すと、バイト先で貰ってきたお弁当をテーブルに並べる。

 そして、制服の上着とセーターを脱いでから席に着いた。


「いただきます……」


 一人手を合わせ、割り箸を半分に。


「そうだ」

 

 ……今日は手紙の返事があるんだった。


 私はポケットに入れていた紙を取り出し、丁寧に広げると、それをお弁当の隣に置いた。


『鈴さん、ここのところお返事が書けなくてすいません。最近習い事が増えたせいで時間があまり取れなかったんです』


「べつに気にしていないのに……」


 謝罪から入る文面に苦笑してしまう。


 この時間が私にとって癒しの時間だった。


 友人との上っ面なだけの会話も。

 先生との仕事という義務的な会話も。

 バイト先の付き合い上の会話も。


 どれも私にとっては『偽物』でしかなくて、心には響かない。


『最近はどうですか? お母様とはお話できていますか?』


「出来てるわけないじゃん。どうせお熱のお客さんとヤリまくってるよ」


『私の方は……やっぱり駄目ですね』


「…………」


 口に含んだご飯と共に割り箸を噛みしめた。

 同時に、大切な人である彼女の黒髪が項垂れるように落ちる姿を想像してしまう。


 大人は嫌いだ。

 親は子を選べない。けれど、子も親を選べない。


 誰もかれもが「こうしなさい」「こうすれば幸せになれる」と私たちに善意って名前の悪意を押し付ける。

 誰もかれもが「あの子はもう大丈夫」と私たちを見ているふりをする。


「あー、やめやめ! 考えるのはやめ! 気分が悪くなる!」


 せっかくの手紙なのに気分が悪くなってしまった。

 私は頭を振って気分を入れ替える。


「『とよ』もはじめにこんなこと書かなくてもいいのに……」


 胸に燻っている不満をどうすることも出来なくて、私は唇を尖らせて不満を吐き出した。


 豊栄 千香……最初は千香って呼ぼうとしたけど、恥ずかしがったから苗字から取って『とよ』って呼ぶようになった。

 その時の彼女の嬉しそうで、それでいて恥ずかしそうにはにかんだ笑みは今でも覚えてる。


 彼女との関係は何て言えばいいんだろう? 友達? それとも恋人?

 付き合っているわけではないから恋人ではないけれど、友達と呼ぶには関係が浅い気がする。

 まあでも、大切な人だ。


「ご飯食べたら返事書かないと~」


 彼女からの手紙を読み進めながらお弁当を食べ進める。

 口に含んだ梅干しはなんだか甘い気がして、私は少しだけ幸せな気分になった。

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