第7話 第六章 彫心異夢


最初は、小さい事だった。

さっきまではそこにあったものがない

次は、やや困る事だった

いつも使ってるものがない、大事な大事なものがない

最後は、何も困らなくなった

ここがいつで、どこなのか所在の情報もあったはずなのになくなった

それでもやはり困らない

だって私は自分が誰かもわからない

「ご馳走さまでしたー!」

「へいへい、お粗末さん。」

 黎占が作った昼食を食べる。やはり、私が作るものより遥かに美味しい。

 さて、食事も食べた所だし、このままコタツに潜りますかね。

「おい。」

「はい?」

「皿ぐらい洗えよ!」

「…洗いたいのは山々なんですが、私は寒い所に行くと、死んでしまうのです。」

「毎日この雪の降る寒空の下で刀振ってるくせに、嘘をつけ。」

「稽古をしなくても死んでしまうのです。」

「便利な体なこった、なら早う死ね!」

 吐き捨てて台所に去って行く黎占。

 遠くから皿を洗う音を聞く。他人が料理をしている音を聞くのも良いが、皿を洗う音も良い。と言うか、自分以外が立てる音は良いものだ。

 改めて、思う。

 テレビの自治放送の音楽を聴きながら微睡む。終わって行く日々。

 しかし、一人ではないから、同じ日の繰り返しにはならない。

 毎日毎日、黎占に呆れられ、彼の料理を食べ、彼のいる音を噛み締めながら過ごす日々。

 本当に、悪くない。


 喰い物にして、家事を押し付けるつもりで始めた刀での打ち合い。

「よ、はぁっ!!」

 私の刀が、飛ばされる。

 手加減してたつもりはない。なのに、黎占に一本取られた。

「強くなりましたね…。」

「…あ、あぁ。俺の勝ちだな。」

 黎占自身も驚いている様子。

「とりあえず、約束通り、洗濯やれよ。」

 …これからは本気で手合わせすることを心に強く誓った。

 あの小箱は、まだ開けていない。

「目を背けるのを辞める、ね…。」

 一体私は何から目を背けているのだろうか。少し考えて、答えが出る。

「何もかも、か。」

 全部彼女には見抜かれていたのだろう。

 私には彼女が只者ではないことは分かったが、ただそれだけだ。それ以上は何も読み取れない。

「あぁ、ホント、大きなお世話。」

 私は小箱を弄ぶ。



「ねー、ねー、黎占。こないだのアレ、何だったの?」

 いつもの様に、私は炬燵に篭りながら、黎占に話しかける。

「主語が足らない。」

 黎占は炬燵には入ってこない。煙草を咥えながら、離れて座っている。かつて私が勧めても入って来なかった。曰く「獣に火の温もりを教えてはいけない。」との事。勿体無い奴。

「私がこないだ襲われてた虫みたいな奴。」

「あー。ありゃな、異端物だな。」

「アレは何の?」

「籠寄、だろう。ここに居たいって思念を強く持った異端者が虫に喰われてその念だけは受け継いだんだろうな。元異端者にしたら目が覚めたら虫になってたって話なんだろうけど。」

「何それ。」

「不条理な話って奴だ。まぁこの場合、目覚める前から毒虫だったんだろうがな。自覚がないだけで。」

「ふーん…。」

 さっぱりわからない。

「そう言えばお前、あの異端具、どうしたんだ?」

 あの方位磁針を手に入れた経緯を黎占にまだ説明してなかったっけ。

 掻い摘んで説明を行う。

「…どっから突っ込んだらいいんだか。」

 なんか、呆れてません?

「お前、よく生きてたな。清濁なんぞに遭って。」

「知り合い?」

「まさか。前に言ったろ。厄災の一つだよ。それも最新の凶悪な。」

 …あー、そう言えばそんな事黎占言ってたっけなぁ。

「そうは、見えなかったけどなぁ。」

「少なくともここいらを荒野にしたのは其奴だよ。」

「あ、そうか…。でも私、この環境嫌いじゃないし。」

「…ポジティブなこって。」

「今から稽古か?」

「うん。」

「相手するぞ。」

「自分から言うなんて珍しいですね。」

「そりゃお前さんに家事させて楽したいし。」

「そうですか。」

 愚かな奴です。

 数十分後。

「わかった、俺の負けだ。負けだって。」

 刀を杖のように持ち、肩で息をする黎占。

「大体なんだよ、あの返しは。今まで見た事ないぞ。」

「えぇ、見せたことないですもん。家事するぐらいなら奥の手の一つでも出した方がマシですから。」

「げぇ…。」

「ふふふ、こないだは不覚を取られましたが、もう負けないのですよ。」

 これでこの先二週間の洗濯は黎占にめでたく移ったのだった。

 それから、数日後の明け方。庭から響く破壊音。

 一応刀を抜かずに持ちながら、炬燵から這い出し庭に声をかける。

「何事ですか?」

「すまん、物干し竿折っちまった。」

 …なんだ。それぐらいか。

「いいです、いいです。これで洗濯しなくて良くなりましたから。」

「どんな理論だ!!」

 その日の暮方。

「白鋭、物干し竿取りに行こうか。」

「いや、いいです。」

 きっぱりと断る。嫌な事は嫌って言わないといけません。

「…洗濯、出来ないのだが。」

「良いですよ、別に。」

「服は。」

「汚れててもまるで気にならない自信があります。」

「汚女だ…。」

ドン引きされちゃう。

「…どこまで取りに行くんですか?」

「歩いて行ける距離にある、ホームセンターだよ。」

「寒いからなぁ…。」

「年中マフラーしてんだから大丈夫だろ。」

「…。」

 それを言われると、困る。こう言うファッションなのだ。

 そんなわけで、渋々雪中行軍する羽目に。

「寒いよぉ…。」

「不便な奴。」

「黎占は寒くないんですか?」

「あんまり温度なんてわかんねぇな、もう。」

「羨ましい…。…!!って言うか、なんで私まで行かねばならないのですか!?」

「…一人だと、有事の際に困るから、な。」

「散々勝手に一人で放浪してた癖に今更何を。」

 互いに文句を吐きつつ、歩く。

「…今日の晩御飯、何にしようか。」

「何でもいい。美味しいものなら。」

「ならかき氷だ。お前夏に喜んで喰ってたろ。」

「夏にね!?」

「なんだ不満か?」

「当然です!」

「そこらにあるのをシロップかけてくえゃいいのに。」

「…私が、悪かったです。あったかい物が良いです。」

「あったかい物なぁ…。鍋か。」

「鍋。」

「そう鍋。楽だし。」

「鍋。」

 鍋とは、一体。

「着いたぞ。」

「そうですか。」

「やっぱり居るな、異端。大物ではないけど。」

 異端。

 彼女は、人間だと思ったのに、異端だった。

 ならば。この目の前に居るこの男、黎占も、人だろうと思ってたけど、異端なのだろうか。あり得ない、とは、言えない。急に、不安になる。

「…ねぇ、黎占。黎占は…。」

「ん?」

「なんでも、ない。」

 知って。

 知って、どうするのだ。

 異端だったら。

 異端だったら、どうするのだ。

 無言で黎占に着いて行く。

「おお、あった。これで良いか?」

「良いですよ。黎占が干し易いのなら。」

「お前ん所のだぞ?」

「だって私洗濯しないし。」

「またそんな事を…。この女子力マイナススリーナイン女…。」

「横文字並べられたところで私には理解できませんよ。」

「この白髪ババア。」

「だっれがババアですか!!!ぶった斬られたいか、居候ホームレス!?」

「はっ!お前なんかに俺が斬れるか!!お前の料理ならいざ知らず、剣技だけで俺を殺せるかよ!?」

「料理でって喉詰めからの窒息ですか!?このジジィ!!全粥刻みでも喰らってろ!!」

「嚥下の問題じゃねーよ!!味だよ味!!どうやったら台所からあんな科学大量殺戮兵器が作れんだよ!?錬金術師も真っ青だわ!」

「そんなに味わいたいなら喰わせてやりますよ!!誤嚥するたびにタッピングしてハイムリックして飲水させてくれるわ!!」

 二人でしばらく罵倒を続ける。

 そこに、

「…ぁさん。おかぁさん。」

 二人して凍りつく。そう言えば。異端が、いたのでしたっけ、ここ。

「…子供?」

 とりあえず抜刀。

「んなわけねーだろ。こんなとこに今更子供が単騎で生きてたらそれこそ異端超えてるぞ。」

 呻く声からして、二匹か。

「あー、あぁ。あー。あぁー。」

「じゃ、これ何ですか。」

「忘失現だろうな。」

「強いの?」

「いや、弱い。元々異端じゃない大人が、現実から逃げすぎるとこうなるんだ。最終的に原初の欲求しか残らなくってな、基本的にはそこまで害はない。人間としてさえ扱わなければ。」

「なら無視して行きませんか?」

「それでも良いんだけどな。ただ原初の欲求しかないから余計に行動が読みにくい。だから何をするかわからないし、かと言って理性のリミッターはないから、生半可に同情すると殺されかねない。だから。」

「だから?」

「殺そう。こいつらにしたって、生きているのが苦痛で、その苦痛すらわからなくなってる。互いの為だ。」

「わかった。」

 互いに違う方向の異端物に向かって距離を詰める。

 多分、心臓の位置に刀を突き立てる。

「…ぁあ。痛いよ、何するんだよ、お父さん、助けてぇ!助けてぇ、お父さん、お母さん!!」

 呻き、喚き、叫ぶ。

 心臓を外したのだろうか。強く刀で抉りつける。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぐぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!死んじゃうっ!!死んじゃうよっ!?」

 けれども死なない。何なのだ。

 そのまま横薙ぎに払う。

「あぁぁぁああああ!!!!!!!!!!お母さん!!助けて!!おかぁさん!!!」

 それでも、耳障りな声は変わらない。

 まるで人を殺すような声。

 初めて異端を殺したときのような、これまでの堕ちきった異端ではないモノの縋る声。

「黎占!!コレ、コレ!!」

「声に惑わされるな!!コイツらはもう人じゃない!!見りゃわかんだろ!!人間はな、普通だったらもう死んでんだよ!!」

「でも!でも!」

「ぐぇぇぇぇええぇぇぇぇえ--------っ。」

 叫び声が、重い打撃音と共に、終わる。

「言い忘れて、た。コイツら無駄に、生命力が、強いから、再生不可なぐらい一撃必殺しないと、いけねぇんだよ。」

 呼吸の乱れが、治らない。あんな、あんな、殺し方は、初めてだった。

「私は、人を殺したのですか?」

 激しい動悸が、治らない。

「違う。異端が憑くモノはもう人には帰れない。だから、須らく殺さなきゃいけないんだ。」

 帰り道。歩く度に音が鳴る、雪の積もった道を、黙々と歩く。

 さっきの声が離れない。親に助けを乞う叫び。あの異端は、人間だった。

 人間が成ってしまったもの。人間だったもの。

 ではあの異端はいつから人じゃなくなったんだろうか。いつから人でなしに成ったのだろう。

 …私は。私は、人間なのだろうか。私は異端なのだろうか。自分が異端じゃないと思っていても、他人が見たら、異端かもしれないのだ。それで、異端だったら、殺されるの?

 一方的な解釈で?

「難しい事は、考えるな。」

 煙草の煙にのって、黎占の、声がする。

「大丈夫だから。お前は。だから、自分が生きる事を、生きる事だけを、考えろ。」

 そう言って、頭を撫でてくる。

 よく、子供の頃、私は泣くたびに、おじいにこうして同様にしてもらった。

 何でだろう。

 何で私は、今、泣いているのだろう。

 それから、暫く、私の気は重いままだったが、それでも、日が経てば、思いなんて薄れていく訳で。

「要はな、向こうにとっても救いなんだよ、死は。」

 黎占には、最後にそう言われた。

 そして、その言葉自体も、私が今のままで、黎占の言葉を聞いた最後だった。

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