いじめ――柴田翠

「え……」


 私は自分の席を見た途端、小さく声を上げた。

 慌てて周りを見るが教室にはまだ誰もきていなくて、ほっとしながらまた机に視線を戻す。


――でかでかと、『バカ』と書かれていた。


 困惑しながらその文字を見ていると生徒が教室に入ってきたので、私はスクールバッグで文字を隠した。



⚘ _ ⚘ _ ⚘



「おはよう」


 教科書を机の上に置いて文字を隠していると、星宮さんがいつも通り声をかけてきた。

 私は「おはようございます」と小さく返す。


「今日、天気良いよねー」


 星宮さんが空を見て笑った。挨拶以外の言葉を交わすのは、初めてだった。

 私は雲一つないどこまでも広がる真っ青な空を見ながら、「そうですね」と頷いた。


「柴田さんは、なんの天気が好き?」

「……曇り、かな」


 特に好きな天気はなかったが、私は一番ましだと思う〝曇り〟という天気を選んだ。


「へえ、曇りかあ。私は王道の晴れかな!」

「そうなんですか」

「その教科書、しまったら?」


 星宮さんは不意に、私の机の上に広がった教科書を指差した。私はとっさに机に覆いかかる。

 不審に思われなかっただろうか、と恐る恐る顔を上げると、彼女は首を傾げていた。


「あの、別に、大丈夫です……」

「そう?」


 星宮さんはそれ以上、私に話しかけてくることはなかった。



⚘ _ ⚘ _ ⚘



 放課後。クラスメイト帰ったあとの茜色に染まった教室で、濡らした雑巾で机の上の文字を消していた。


 少し跡は残ったものの、文字は読めないくらいに消えた。


 私は俯いて少し痛む腕を見ながら、教室を出る。


 そのとき、私は向こうから歩いてきた生徒にぶつかってしまった。私が俯いていたせいだ。

 恐る恐る顔を上げると、そこには不機嫌な顔をして私を睨む女子生徒。彼女の後ろにも、数人の女子がいた。


「ご、ごめんなさい……」


 慌てて謝ると、彼女は「ちゃんと前見てよ」と眉をひそめる。


 私はこくこくと頷き、この場を去った。後ろから舌打ちが聞こえた気がして、私は肩を縮めた。



⚘ _ ⚘ _ ⚘



 私は登校して早々、上履きを探していた。

 早く起きてしまい、いつもより早めに中学に着いた朝。下駄箱を覗くと、昨日ちゃんと入れたはずの上履きがなくなっていた。


 どうして、どうして……。


 他の生徒の下駄箱、下駄箱の上、傘立ての裏……色々な場所を探したが、中々見つからない。


 すると、「あれ?」という可愛らしい声が背後から聞こえた。振り向くと、そこには首を傾げている星宮さんがいた。


「おはよう」

「おはようございます……」

「どうしたの?」


 星宮さんがローファーを脱ぎながら首を傾げる。


「いえ、ええと……」


 どう答えようか、と必死に思考を巡らせる。


「じゃ、一緒に教室行こ」

「えっ」


 私は目を見開いて星宮さんを見つめる。


「上履き、柴田さんのも取ってあげるね」


 星宮さんがにっこりと笑う。

 私が口を開く前に、彼女は私の下駄箱を覗き込んでしまった。


「あれ、ない……」


 星宮さんが私を見た。

 私は肩を小さく震わせて俯く。なにを言われるのだろう。怖くて、手が小刻みに震えた。そしてぎゅっと目を瞑っていると、彼女が私の前に立った気配がした。


「なくしちゃったの?」


 星宮さんの柔らかい声が、私に降ってきた。


 私は小さく頷く。嘘をついてしまって申し訳ない。


「そっか。じゃあ、私も一緒に探すよ」


 目を開けて顔を上げると、優しく目を細める星宮さんの笑みが視界に広がった。

 私は肩の力を抜き、こくりと頷いた。

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