悪魔 in ――

裏道昇

悪魔 in ――

「俺は一体何を作ってるんだろうな……」

 深夜。誰もいない高校の化学室で椅子に座ったまま、拓也は呻いた。

 机の上には『月刊AKUMA』といくつかの試験管が並んでいる。彼はこの手のオカルトが好きだった。しかし、ここまでやるのは初めてだ。『月刊AKUMA』には、悪魔を喚び出す薬液の作り方、と読みにくい字体で書かれている。

「悪魔が喚び出せるわけないだろうが……それも液体で」

 拓也はその薬液を実際に作ってみたのだ。そのために化学室を勝手に使うという暴挙にまで出た。見つかれば停学は免れないだろう。

 しかし、やってしまったものは仕方ない。彼はそう割り切って、急いで退散することにした。

「あとはこれを人形などにかけるだけ……か」

 いかにも信じていないように拓也は言うが、内心では試すつもりだった。

 雑誌を鞄に入れ、試験管の中身を準備した容器に移そうとした。

 まさにそのとき、人生最大と言っていいほどに、手が滑った。やばいと思った拓也は手を出すが上手くいかず、三度お手玉をしてから試験管を投げ飛ばしてしまった。

「ぁ……」

 試験管は回転しながら飛んでいき、人体模型にぶつかって割れた。

 自分の労力が無駄になったことに拓也はしばらく呆然とするが、一つ溜息を吐いて逃げることにした。

「まったく、俺の馬鹿っ」

「我を喚んだ愚か者は誰だ……!」

 謎の声に拓也が振り向く。人体模型が腕を組んで歩み寄ってきていた。

「うわあ!」

「貴様か……。まあ我の姿に驚くのも無理はない……」

「何で、何で人体模型が」

「人体模型……?」

 人体模型は鷹揚な態度で自分の体を見下ろし、

「なんだこれは! なんで人間の姿!? いや、そもそも内臓丸見えじゃないか。皮膚は、皮膚はどこだ!」

 一瞬でキャラを崩壊させていた。

 さらに暴れまくったせいで、ポロッと肝臓が床に落ちた。

「我の肝臓が! し、死ぬ……!」

 あまりに騒ぐので、逆に拓也は冷静になってしまった。人体模型は自分が死なないことに気づいて不思議がっていた。

「あの、さ。お前ってひょっとして、悪魔だったりする?」

「う、うむ。我を喚んだ愚か者はきさ……」

「いや、もういいから。そういうのはいらない」

「……いや、これは世をしのぶ仮の姿。我こそは……」

「よしわかった。やってみろ。ここから威厳を取り戻せるならやればいいだろ。……出来ると思うならな」

「あ、いや。すみません。もういいです」

 とりあえず拓也は悪魔に状況を訊くことにした。

「お前、本当に悪魔?」

「うむ」

「何で召喚されたの?」

「いや、貴様が喚んだんじゃ……」

「マジか……」

 拓也にはあの薬液が本物だったと結論付けるしかない。悪魔を喚ぶ薬液をこぼして、悪魔を喚んでしまったのだから。

 次に拓也は自分の事情を話した。正直、彼はもう帰りたかったが、悪魔を喚んでそのままというのはあまりにも危険な気がしたのだ。

「じゃあ、遊び気分で喚び出したのか!?」

「いや、本当に喚べるとは思わなくて……」

「まあ、それはいい。ならどうして人体模型なんだ? こんな、小学生の恐怖の象徴みたいな人形に喚ぶ必要ないだろう!」

「それはごめん、こぼした」

「ごめんで済むか! 自分が人体模型にされたら困るだろう!」

「化けの皮が剥がれるな」

「上手いこと言うな……。ああもう何で我が召喚されたんだ。不幸すぎる」

「? 誰が召喚されるとか決まってないのか?」

「我らはその辺については適当だ。近くに悪魔がいれば召喚されるというだけのこと」

 悪魔もそんなものか、と拓也は思った。そして本題を切り出すことにした。

「じゃあ、これからどうすればいい?」

「我の魂を解放してくれ」

「……具体的には?」

「薬液で召喚したのだろう。還す薬液はないのか?」

 拓也は知らないと言いかけて、鞄を手に取った。その中から『月刊AKUMA』を引っ張り出すと、先ほどまで見ていたページを開いた。確かに悪魔を還す薬液も載っている。

「これを作ればいいのか?」

「是非」

「見返りは」

「解放してくれれば何なりと」

「……はあ、仕方ないな」

 悪魔はほっとしたように微笑んだ。それはそれは恐ろしい微笑だった。

「まあ、明日だな」

「今日は無理か?」

「時間がないし、俺にも生活があるんだよ」

「そうか……待て、明日の学校はどうするのだ。人体模型がなくなったら不自然だろう」

 不自然というか、大変な噂になるだろうと拓也は思う。

「ここにいればいいだろう」

「動くなと言うのか!」

「動けるわけないだろ」

「だが……」

「どう考えても、他に方法はない」

 強引に話を決めて、拓也は学校を出た。


 次の夜。無人の化学室に忍び込むなり拓也は、

「おいこら! 動くなって言っただろうが!」

「何を? 我は動いてないぞ」

 人体模型が返した。

「噂されてるんだよ! 三つも。まず、授業中に先生のギャグで笑っただろ?」

「あれは面白かった。まさか布団のふっ飛ばし方を工夫するとは……」

「次に! 人体模型の息遣いが聞こえたらしいぞ」

「息ぐらいするわ。笑いを堪えたなら、聞こえもするだろう」

「もう一つ、ボケにツッコまれたってのが……」

「我ながらよく出来たツッコミだった」

「お前、どんだけ笑いに貪欲だ! 本当に悪魔かよ!? これじゃ学校の七不思議の内、三つが人体模型になっちまうぞ?」

「動き回らなかっただけいいだろう」

 言いたいことは山ほどあったが、それ自体は事実なので拓也は言い返せなくなってしまった。

 やむを得ず一つ溜息を吐いて、薬液の調整を始めた。材料は意外と簡単だったのでそれほど時間はかからなかった。

 そして、悪魔を還す薬液と、悪魔を召喚する薬液を再度調合した。

「さあ、それを我にかけてくれ……!」

 興奮しながら悪魔はにじり寄ってきた。試験管を握る学生と迫る人体模型。誰かが見たら逮捕、あるいは米国なら発砲される光景だった。

 バシャ、と薬液を浴びて、人体模型が倒れた。続いて禍々しい煙が立ち上る。やがてそこから本来の悪魔が現れた。ヤギの角と漆黒の体は本などで見る姿だ。

「よくも我に屈辱を与えてくれたな……。魂ごと喰らってやろう」

「……おい、見返りは?」

「ふん、契約したわけでもないのだから……」

 バシャ、と拓也が薬液を再び人体模型にかけた。

「……え? あれ? そんな……」

 悪魔の体が人体模型へと吸い込まれる。

「一応、訊こうか? どういうつもりだ?」

 人体模型が答える。

「いや、ちょっとした冗談というか、ちゃ……茶目っ気?」

「そうか。ああよかった。召喚用の薬液も用意しといて。これからどうしてやろうかな」

「い、いや、茶目っ気じゃない。何のことか分からないなぁ」

「無理があるだろ! 諦めが悪すぎるわ」

「すみませんでした! 反省してます……もう一度薬液を作ってもらえないでしょうか」

 さすが悪魔。あらゆる汚い手を使うのだった。

 拓也が醒めた目で人体模型を睨む。

「お前は俺の家に来い。可能な限り利用してやる」

「……そんな残酷な!」

 うるさい。そう一蹴して、拓也の家に人体模型が飾られることになった。

 家族は正気を疑ったが……笑いの絶えない家庭となったのは言うまでもない。

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悪魔 in ―― 裏道昇 @BackStreetRise

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