【光射す未来へ:グランツ編】9
シュトラール侯爵邸に到着したユイカは、煌々と灯りの灯った邸宅に少し気後れをして、立ち止まった。
以前にも来た事はあるが、ちょっと王都滞在する為の家と呼ぶには大きすぎる。いっそこれが城ですと言われても疑わないレベルの大きさなのだ。
私の住んでいた1LKのアパートなんて、クローゼットくらいなんじゃ…と、美しく着飾った肩をガクッと落とした。
それにしても静かだなとユイカは辺りを見回した。
パーティの夜なら、門の所に帰宅する主人を待っている馬車がいるはずだが、一台もない。
もっと人のざわめきと笑い声だとか音楽だとか聞こえていても良いはずなのに、そういう気配がない。
もしかしたら日にちを間違えたのだろうか。
いや準備をしてくれたエミリーやステラが日にちを間違えるはずがないだろう。
人の気配はないのに屋敷の灯りは煌々としているから人はいるのだろう。
せっかくここまで来たのだ。
せめて自分の気持ちだけでも伝えてこよう。
例えグランツにお家事情があったとして、あの日グランツはユイカに「愛している」と言ってくれたけれど、よく考えたらユイカから何も言っていないことに気付いてしまった。
ユイカはグランツの碧眼に合わせたようなブルーのドレスの裾を詰まんで、足早に玄関に向かった。
「お待ちしておりました」
玄関の扉を執事が開けてくれて、邸内に入っても物静かなままで、パーティが行われているようには見えない。
けれど執事は当たり前のように広間にユイカを案内してくれた。
広間の扉の向こうは、ただ広いフロアがあって、そこにグランツが大きな窓の外を向いて一人で立っていた。
「グランツ」
白いシルクに金糸の刺繍の盛装のすらりとした長身を優雅に翻して、グランツはユイカを目に止めると、どこかほっとしたように微笑した。
そしてユイカの前まで歩み寄るとふわりと包むように抱き寄せた。
「ユイカ」
抱き寄せて肩口に額を乗せたグランツは、いつもの自信に満ちた声ではなく、小さく、小さく、
「来てくれないかと思った」
言った。
その声を聞いて、ユイカはグランツの腕の中で身じろいでグランツの顔を上げさせる。
「グランツ、私ね」
人生で誰かに告白をした記憶がない。
乙女ゲームでヒロインを動かして、攻略キャラ達の愛の台詞を聞いて、満足していただけ。
でも貰うばかりじゃ駄目だ。
何もしなくても誰かが何とかしてくれるのは、ヒロインのチート能力だけだ。
ユイカは喉がカラカラに渇くような感覚がして唾を飲み込む。
グランツの腕の中で顔を上げて、下から覗き込むように見上げると、微笑むグランツがいた。
「私、グランツのことが好き」
碧い瞳が揺れて、グランツがユイカの名を小さく呼んで「良かった」と呟いた。
「嫌われしまったのかと思った」
「え、なんで」
「なんでって、俺はキミに…。いや…あの後、俺の事を避けていただろう?」
「それは……グランツには家の事とか色々あるだろうし、勢いでしたことの責任まで取らなくて良いよって思って」
「なんでそんな事を思うのか…。キミは時々、大人みたいな考えに及んでしまうんだね。責任と言うなら、責任を取れと駄々をこねられても俺は構わない」
「ぇー…それはちょっと」
「ほら、キミは大人だ」
根がアラサーなので申し訳ありません。
ユイカはこっそりそう思って苦く笑う。
「そ、それにしても、今夜はパーティーだったんじゃ?」
「ああ、そうだね」
「?」
すると溜まりかねたようにぴポンっとキララが飛び出して羽の扇子で口許を淑女よろしく隠してニコッと笑った。
『この数日、グランツはお父上がご招待したご令嬢の家々を頭を下げて周り、パーティを取り止めたのですわ』
あ、それで最近来なかったのか。
「キララ、余計なことを言わなくて良い」
『あら、助け船を出したつもりでしたのに、いらない事でしたかしら、失礼しましたわ』
それだけ言ってキララはまたポンっと消えてしまった。
「すごく大変だったんじゃ」
「どうだろう。俺にとっては君が俺を避けている方が大変な事だったよ」
「だって会ったら好きって顔に出てしまいそうで…」
グランツの手がそっとユイカの頬を撫でて、ユイカはグランツを見上げた。
「もう隠さなくて良いよ」
全部見せることも恥ずかしくて出来そうにないけれどと、ユイカはあまりに真っ直ぐなグランツの瞳から少し視線を外す。
「キミの全てを知りたい」
キミの全てを自分の物にしたい。
グランツの手がユイカの頬に添えられて、逸らすことを許さないとユイカに伝えた。
「生涯を懸けて、キミを愛すると誓う」
ああ、こんな絵に描いたみたいな素敵な男性が、乙女ゲームみたいな愛を言葉にしている。
ユイカはぼんやりとそんな事を思い、訪れた自分の物とは違う暖かさをリアルに感じてやっと現実なのだと思って目を伏せた。
二人の姿が重なるのを、大きくて広い窓の向こうから細く欠けた月だけが見ていた。
「ちょっと早すぎじゃないか?独占欲の塊だなあいつ」
「まあまあ兄上。この先どうなるかなんて分からないじゃないですか」
「どういう意味だアシェル」
「恋人と夫婦は違うという事ですよ。未来なんて分かりませんからね、僕は長期戦でも構いません」
少し人の悪い笑みに見えてレイシャルトはアシェルをしげしげと見下ろした。
「両殿下、そろそろ席にお付きください」
カインが言うのに頷いて、主賓席に二人は座り、その後ろにカイン、ヴァッルミオン、エドアルドが座って、祭壇の前に立つグランツを見る。
「嫌味なくらい良い男だな」
ヴァルミオンは言いながらタイを少し緩めて、満足そうに腕を組んだ。
「嬉しそうですね」
エドアルドは眼鏡を押し上げて会場全体を眺めた。
「ああ、俺はあいつのことが結構好きだからな」
その横でカインが小さく微笑んだ。
「ああ…美しいですわユイカ様。わたくしの
ステラがうるうると瞳を潤ませる横で、グリューネがユイカに手を差し出した。
「式場まで私がエスコートしよう」
「あらグリューネ、姉としてわたくしがエスコートしますわ」
「はいはい姉上。ユイカは私の義妹にもなるんですがね」
両側に麗しいシュトラール侯爵家の花を携えて、ユイカは式場へと向かった。
扉を開ければ祭壇の前に麗しい貴公子が一人。
祭壇の向こう側のステンドグラスから溢れるみたいに光が注いで、光の守護者が包まれる。
「ユイカ」
眩しい笑顔が真っすぐにこちらを向いて手を差し出した。
ここから本当の未来が始まる。
ユイカはそう思ってグランツを見つめて微笑んで、その手にそっと自分の手を重ねた。
Fin.
続・聖なる乙女様は×××でした!~それぞれの未来へ~ 向日 葵 @riehitan
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