【光射す未来へ:グランツ編】8


 グランツがベッドから出ていってから少しして、ユイカは少し微睡んで、そして脳裏に思い出してパチッと目を開けた。


 や、やばい。

 恥ずかしい。

 私これからどうしたら良いの?

 そりゃあ三十歳だったけど、経験が皆無過ぎて何したら良いかも、どうしたら良いかも分からないうちに、あれやこれやとなってしまって、最初は痛いって思ったのに、それが通りすぎたらなんか、なんか、なんか、なんかー!

 か、勝手に声が出ちゃって、あんな、声、私の声が、あんな!


 悶えて、ごろんと気配のする浴室に背を向ける形でシーツに丸まった。


 これからどんな顔でグランツに会えば良いの?

 恥ずかしすぎる!

 私の声帯ってあんな声が出るもんなんだ!


「………」


 でも、酔った勢い。

 だよね。


 だけど、触れても良いかと問いかけたグランツの表情は、いつもの自信に溢れている皆の憧れの的の第一騎士団長のものではなくて、不安そうで、苦しそうで、思わず抱き締めたくなったんだけど、抱き締めたくなったのにキスするなんて、私どんだけキスしたかったのよ。

 いや違う、経験無さすぎて良く分からないけど、そうBL知識的に言うと、




『お前に触れたい』

『良いぜ、来いよ』



 の、合図。




「……」


 いやあああああっ。

 BLは綺麗だけど自分に置き換えたらすっごい恥ずかしい!


 恥ずかしいけど、お風呂から戻ってきたらなるべく普通に接しよう。

 酔った勢いだけのグランツに、あんまり負担を掛けるわけにもいけないし、そこはほら、アラサーお姉さんは大丈夫だよ。

 うん。



「………………」



 ……そっか、酔った勢い、だよね。

 やっぱり。

 だって、好きとか、そう言うのなかったし。



「………………」



 やばい。落ち込んできた。

 考えれば考えるほど、なんか落ち込んできたよ。

 でも、後悔は不思議とない。

 それはきっと、やっぱり、私は…。



 浴室から半裸のグランツが出てくるのを背中で感じて、思わずユイカは目を閉じた。

 けれど一生狸寝入りをするわけにもいかない。

 どうしたものか。

 そうこうしていると、ギシ…とベッドが軋んだ。

 仄かな石鹸の香り近付いて、こめかみに柔らかい物が触れる。


「……ユイカ」

「あ、あのグランツ」


 たまらずユイカはシーツに頭をすっぽりと被った。

 ややポカンとしてグランツは様子を見て、クスリと微笑んだ。


「わ、私、その、ほら分かってるから」

「ユイカ?」


 ユイカは顔だけ出して覆い被さる形のグランツをチラッと見て、碧い瞳から目を逸らした。

 髪が濡れてて半裸で、なんかもう色っぽ過ぎて、直視ができない。



「グランツは侯爵家の跡取りだし、お見合いの予定もあるって聞いてるし、これは、その、一夜の過ちと言いますか、ってこと分かってるから、その、気にしないで……」



 言ってて悲しくなってきた。

 ユイカはなるべくシーツに顔を隠した。

 でも、精神的に年上なんだし、ここはちゃんと相手の立場とかそう言うの慮るべきだよね。



「ユイカ?」

「だから、わ、忘れるから……」



 グランツから逃げるようにモゾモゾと動いて、ユイカは移動する。



「……ユイカ」

「私、大丈夫だから」



 大丈夫。


 かな。


 ヤバい、涙出る。



「ユイカ!」

「……っ」



 シーツ顔を伏せたと同時に、グランツの腕がユイカを捉えて腕の中に閉じ込めた。



「俺は君を、愛している」



 少しだけ乱雑にグランツはユイカのシーツを引き剥がして、顔を己の方へ向けた。

 涙が滲むユイカの顔を見て、グランツははっとして、そして、目元に唇を寄せる。



「愛している」

「グラ……」



 目を閉じれば啄むようなキスが唇に訪れて、ユイカの言葉を拐った。






 数日後。






「はぁ……」


 書きたてのエミリーの原稿を読む進めるも、頭にちっとも入ってこなくて、ユイカはため息と共にそっと机に原稿を置いた。


「ユイカ様、いかがなさいました?」


 挿し絵のために一緒に原稿を読んでいたステラが可愛らしく首を傾げた。


「な、なんでもないです」


 ユイカは曖昧に笑って紅茶に口をつけた。

 まさか貴女の弟と致してしまった事を考えていますとは言えない。


 あれから数日、グランツに会っていない。

 あの日の翌日、グランツが尋ねてきてくれたが、ユイカは会わなかった。

 それからグランツはユイカの元に来ていない。

 シュトラール侯爵家では今夜、舞踏会が開かれる。ずいぶん前に招待状が来ていた。

 それは侯爵がグランツの為に開く、いわゆる嫁選びの舞踏会らしい。グランツはやっぱり貴族で、貴族の結婚とは家のためにするものなのだ。

 きっとその準備で忙しいのだろう。

 聖なる乙女であるユイカの元にも一応、招待状は来たけれど、守護者達も招待されたらしいから文字通り送られたのだろう。 


「まあ、聖なる乙女と言う身分以外は素性の分からない娘だもんね」


 ゲームの世界では、聖なる乙女と言う身分は、どんな貴族よりも身分が上だみたいな不文律めいたものもあるにはあるが、冷静に考えたら、違う世界から来た、素性の分からない馬の骨、だ。





『愛している』





 不意にグランツの声が耳の奥に聞こえて、ユイカは耳を塞いだ。

 グランツの気持ちは、伝わった。

 でも、身分とか色々あるのも分かっている。

 だっていい大人なのだから。

 気持ちだけではどうにもならない現実があることを、いい大人としての経験をしたことのあるユイカは知っている。


「ユイカ様、そろそろ準備なさらないと間に合いませんわ」


 エミリーがそう言ってドレスを持ってくる。

 行って良いのだろうか。グランツのお見合いパーティーに。


「ユイカ様、グランツと何かありまして?」

「……えっと…」

「ユイカ様、わたくしはこないだグランツの昔の素行について申し上げましたが、本当はわたくしから逃げたかった女の子達が避難と称してグランツに迫ったのが真実ですわ。あの通りグランツはモテますから、女の子達は私をダシにグランツに近付きたかったのですわね」


 ステラはそっとユイカの髪に触れた。


「わたくし、ユイカ様が好きですわ。ユイカ様を取られなくて、グランツを悪し様に言ったのです」


 誰もが羨むような可愛らしい容姿のステラは、誰もが頬を染めるだろう美しい笑顔でユイカを見つめた。


「弟はあのように人当たり良く、世間では非の打ち所のない貴公子などと言われていますけど、その実は頑固で他人を信用しない面倒くさい男ですわ」


 けれど、


「頑固ですからとても誠実でしてよ」 


 それは、


「…知って、います」


 ステラはふふっと笑うと、ユイカの髪にキスをした。


「悔しいですわ。ユイカ様ったらグランツに取られちゃうんですもの。でも趣味を分かち合う友人ではずっといてくださいましね?」

「もちろんです!私こそお願いします。ずっとずっと友達でいてください」

「さ、準備を致しましょう。今から準備したら少し遅れてしまいますわね」


 ああ、でも、とステラは悪戯っぽくウィンクをする。


「良い女は少し遅れて登場するものでしてよ」


 そう言ってステラは花のように微笑んだ。



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