【光射す未来へ:グランツ編】5




 それから、半年が経った。





 空にユイカの歌声が響く。


 ほの白い魔方陣がユイカを中心にして広がって浮かび上がり、それが天にまで昇って霧散すると、同時に瘴気も消え去った。


 夢見心地といったユイカの虚ろな瞳が宙を見て、そしてふっと意識を飛ばす。

 無重力から急に重力を得たかのように崩れる身体を抱き止めて、グランツは壊れ物を扱うみたいにそっと抱き上げた。


 魔王を退け世界樹が新芽となって、概ね世界は平和になってから一年近く経ったが、瘴気の被害がなくなったわけではなく、ユイカは今も時折、聖なる乙女として守護者を伴って、浄化の為に各地を赴いていた。


『瘴気がかなり濃くて範囲が広かったですわね』

「ああ、お嬢ちゃんも力を使いきったみたいだな」

「そうだな」


 グランツはヴァルミオンとキララに答えながら、腕の中で眠る聖なる乙女を見つめて目を細めた。


 初めて出会った時は少女であったユイカも、もうすぐ二十歳になる。以前より女性らしさを感じるようになった。

 そう言えば、ユイカがこの世界に来た日も、こうやって抱き上げて連れて帰ったのだと思い出して少し思い出し笑いをする。


「それにしても、良く我慢が続くもんだな」


 ヴァルミオンは、まるで、絵本の中のお姫様を抱き上げる騎士そのもののグランツを見て、苦笑した。


「さすが優等生。俺ならとっくに手を出してるね」

「お前と一緒にするな。…聖なる乙女とは、軽々しく触れて良い女性ではない」


 グランツの答えを聞いて、ヴァルミオンはわざと深いため息を吐いた。


「前にもそんな事を言ってたな、お前」


 エタンセル山の魔物を倒しに行った時の事を思い出して、グランツも苦笑した。


「そんな事を言ってたら、一生指一本触れられねえだろうが」


 すっかり少女と言うよりは女性と呼ぶ方が似合うようになった、乙女の寝顔を見下ろしてヴァルミオンは目元を緩める。


「お嬢ちゃんの気持ち、分かってるんだろ?だったらさっさと自分のものにしとけ」


 傍目に見て、まったく色恋に疎かったユイカも、近頃ではようやく自分の気持ちに気付いてきたのか、グランツを意識しているのがよく分かる。

 だから自分も含めて他の守護者は遠慮してるって言うのに、この男はいつまで経っても指一本、彼女に男として触れようとしない。 

 普通ならここで押して、なんなら押し倒してしまうだろうとヴァルミオンは思った。


「キスぐらい、するだろ普通」


 キスぐらい。

 確かにそうだ。

 別にキスぐらい大したことじゃない。

 その先だって別に難しいことじゃない。

 求められて気が向けばそうしてきた。


 あの夜、ユイカが自分を見上げたその瞳は、女が男を見る目だった。

 だからユイカが自分の事を男として意識してくれていることは分かっている。

 分かって、嬉しかった。

 見上げる彼女の唇が薄く開いたあの瞬間、本当は、欲情した。 


「彼女には将来について許可を取る親も親戚もこの世界には居ない。だからせめて大人になるのを待ってあげたい」


 詭弁だ。

 本当はキスしようとして、やめた。

 やめなければ、止められる自信がなかったからだ。


「………………それ、マジで言ってるのか?」

「当たり前だ」


 人目があるかもしれないような場所でも、おそらく未経験であろう彼女を、無茶苦茶にしてしまいそうで、止めた。


「………………大した自制心だな」


 ヴァルミオンは呆れた顔でグランツを見た。


「二十歳になるまでってか?」

「そのつもりだが」


 そんなにそういう方面の欲が強い方ではない。

 だからいつだって冷静に、まるで貴婦人をエスコートするみたいに、冷たく言えば手際よく、そういう事も出来ていたはずだ。


 けれど、そんな余裕は微塵もなかった。

 こんな事は初めてだ。

 ヴァルミオンの言った、なけなしの自制心がグランツを止めた。

 ただそれだけだ。

 

 あの時、目を閉じてくれて良かった。

 あの時きっと、醜いオスの顔が剥き出しになっていたに違いない。

 それを見たらユイカはどう思うだろうか。


 グランツの胸に擦り寄って眠るユイカをちらっと見てヴァルミオンは頬を指先で掻いた。


「お嬢ちゃんはちゃんと大人だと、俺は思うがね」


 世界樹が救われてから月日が経ったからとか、そういうわけではなく、お嬢ちゃんは最初から結構大人だったけどなあ、とヴァルミオンは思い浮かべながらグランツを横目で見た。


「それにキスぐらいしとかないと、気付いたら逃げられるぞ」

「そうなったら、仕方がない」


 誰もが憧れる騎士団長。

 誰もが認める、凛とした光の守護者。

 いつだって優しいお兄さん。


 ユイカの中にある、そんなグランツ像イメージを、壊したくない。


「格好悪い自分は嫌いか?」

「そんなもの好きな奴がいるのか?」

「格好悪いのも女には可愛いもんらしいぜ」

「……」

「我慢がすぎると良くないぜ」

「………

「まあ、お前って昔から頑固だよな」

「…………」

「俺にだけ笑顔ねえよな」

「気のせいじゃないか?」


 にっこり笑ったグランツにヴァルミオンは半眼した。



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