第3話 彼

「留学、決まったんだ」


 レストランでの食事中、彼の言葉で肉を切るナイフの手が止まる。


「もしかすると、そのまま海外に住むことになるかもしれない」

「そう、なんだ」


 唯花は思案する。

 おめでとう、と言うべきだっただろうか。いや、そうするべきだった。

 そう言えなかった理由は分かっているけれど。


「今までありがとう」


 わずかに眉尻を下げた彼。一緒になる気は無いという内心を精一杯隠して、別れを寂しく感じている(ように見せかける)という「彼なりの優しさ」で胸が痛い。

 ついてきて欲しいと言うつもりは微塵も無いのだろう。

 ついていっていい? と言わせるつもりも無いらしい。


――卑怯で、ずるいね。


「こちらこそ、ありがとう」


 最後まで本心は飲み込んだまま、薄っぺらな感謝で別れに合意する。

 彼との楽しい思い出は沢山あるし、いい人だったというのも分かっている。

 けれど、いくらデートを重ねようと、身体を重ねようと、裸の心で付き合えている気持ちにはなれなかった。

 見つめ合っていたのは、互いの偶像に過ぎない。


 食事代はいつも通り彼が全額払った。

 まるで手切れ金みたいだな、と思う自分が嫌になった。

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