第2話 晩夏の夕暮れ

8月も終わりに近づくと、璃子の住む街は山々に囲まれているせいか、朝晩の風が少しひんやりと感じる時がある。

明日からは学校が始まるという前日、友人の真帆子(まほこ)が、夏休みの課題の確認をしようと訪ねて来ていた。

そうは言っても女の子が2人集揃えば、おしゃべりが9割・残り1割が本題といったところだった。


「ねぇ真帆〜。英語の作文ってさ、この用紙2枚だけで良かったよね?」

璃子は用紙をヒラヒラさせながら、真帆子に聞いた。


「うん、大丈夫だよ! てか璃子! めちゃめちゃ短いじゃん! ちょっと待った! マジで?!」

璃子の手から用紙を取り、書いてある文章を見て、真帆子は呆れ声を上げた。


「いや・・・だってさ、何書けばいいか、ぜっ・・ぜん浮かばなくて、とりあえず大好きなアイドルの事を書いた?的な」

璃子はそう答えながら、視線を用紙から反らした。


「はぁ〜アイドルね・・・。まぁ、書いて無いよりはいいのか。」

そう言うと、真帆子は咳払いを1つして「おぃ、瀬下〜。アイドルの事もいいが、もう少し書いてこいよ」と、担任の内田先生のマネをしながらそう言った。似ているのかどうか微妙な加減のモノマネに、2人で吹き出して笑い合った。

「ところでさ、あれだけど大丈夫だった?」真帆子がグイっと、肘を詰めて少し小声で聞いてきた。

来月2人が好きなアイドルのファンイベントがある為、お互いの両親に自分達だけで行きたいと、頼み込んでいたのだ。

「うん、大丈夫だよ!」と璃子が返事をすると真帆子は「ラッキー!楽しみだね」とニンマリと笑った。璃子も真帆子に、同じ様にニンマリと笑って返した。

「あ、私ちょっとトイレ行くね」と真帆子に声を掛け、立ち上がりながら、「そうだ、昨日雨上がりの2人の最新巻買ってあるから、読んでていいよ」と、2人が好きな漫画の最新巻を、棚から取り出して真帆子に渡した。

「え?あ、そうだ。昨日発売日だったね。ありがと、読ませてもらうね~」

そう言い、漫画を受け取った真帆子は「行ってら〜」と、手をヒラヒラ振りながら読み始めた。

璃子の家のトイレは、玄関の直ぐに横にある。玄関の硝子戸から差し込む日差しが、少し翳り始めていた。

トイレに入るドアを開け、用を足していると「ガラガラ〜ッ」と、硝子戸の開く音がした。

「お母さんが帰って来たのかな?もうそんな時間なんだ」

と、真帆子と長い時間、宿題の確認と言いつつおしゃべりに夢中になっていたと思った。

「お母さん、お帰り〜」

トイレの中から声を掛けたが、母の返事はなかった。それでもトイレのドアの前で何かを話している様な声は聞こえてくる。

「お母さん?何か言った?」

トイレのドアを開けながら、廊下に居るであろう母に声をかけてみたが返事は無かった。外に出ると居る筈の母の姿がそこには無く、夕暮れに染まる薄暗がりの空間だけだった。

そのまま視線を左手側の玄関に移つし、少し身を乗り出すように玄関の敲きを覗き込んで見たが母の靴は無かった。

「気のせいだったのかな・・・」そんな事を思っていると、ふと後ろから視線を感じた。

直ぐに振り向いたが、そこには誰も居なかった。

背中を冷たい汗が流れるのを感じ、慌てて2階へと階段を駆け上り、自分の部屋のドアを勢い良く開けた。

すると部屋の中に居た真帆子が、不思議そうな顔をして、璃子の方を見返した。

「あれ?璃子〜何やっての?」 と呆れたような声で聞いてきた。

「え?何って・・・あ、ごめん、勢い良くドア開けちゃって。今トイレから戻ったよ」  

璃子の返事に、一瞬真帆子が怪訝な表情をした。

「やだもう、何言ってんの〜。さっき戻って来たでしょ?

私がおかえりって言ったら、良く聞き取れなかったけど、ちゃんと返事したじゃん」

と答えた。

呆れ顔の真帆子の表情からは、とても璃子をからかっている様には思えなかった。

璃子が返事に詰まっていると「璃子?どうしたの?」と真帆子が少し心配そうに聞いてきた。

丁度その時、1階のリビングにある時計が18時を知らせる音を鳴らした。

「あ!もうこんな時間になっちゃった!璃子ごめん帰るね!イベントの相談は明日学校しよ!」

そう言うと真帆子はさっさと荷物をバックにしまい「じゃ〜ね〜。お邪魔しました〜」と玄関を出て行った。

玄関の硝子戸が閉まる音が消えると、途端に家の中が静まり返っていった。

真帆子は嘘や冗談で、人をからかうような事はしないと良くわかっている。

それならば、さっき真帆子の言っていた事は何なのだろう。

それと、璃子がトイレに入って居る時に聞いた音と声は・・・空耳だったのだろうか?いや、確かに玄関の硝子戸が開く音を聞いた。

璃子がまだ1階に居るにも関わらず、真帆子は璃子が既に部屋に戻っていたと言う。ならば、真帆子は誰と居て、誰と話をしたのか?

夕陽が差し込む部屋で、璃子は数日前の事を思い出していた。

真夜中に自分を連れて行こうとしたあの声を・・・あの黒い何かが、黒い影の様な何かが、真帆子に近づいたのではないのだろうか?

そんな考えが浮かんだ途端、背中をヒヤリとしたものが通り過ぎていった。


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