声
霜月 雪華
第1話 璃子14歳夏
あれは10年程前の夏の夜。
始めて私が恐怖を感じた出来事でした。
19XX年 8月
その夜は何時にも増して、寝苦しい夜だった。
ベットに汗が染み込み、それでも足りないのか身体にベタベタと纏わりついてくる。
暑さのせいか、急に目が覚めた。寝起きの筈なのに、
頭も妙にすっきりとしている。
「何時なんだろ・・まだ暗いし・・・」
しーんと静まりかえり、音の1つもしない暗がりが広がる部屋の天井を見ながらそんな事を思った時だった。
「ミシッ ミシッ」
階段を誰かが上がってくる様な音がした。
「誰かな・・・お母さん?」
璃子の母はいつも家事やらなんやらで、遅くまで起きていたから、この時も母が畳んだ洗濯物でも持って上がって来たのかと思った。
璃子の家は、父・母・璃子の3人家族。
ごく普通の共働きの家庭で、家も築40年とこの田舎街で良くある年数の家だ。
以前は祖母も居たが5年前に亡くなり、その後祖母が使っていた部屋に両親は移り、両親が使っていた2階の部屋を璃子の部屋にして、あとは客間に使っている部屋が2部屋あるだけだ。
「ミシッ・・ズルッ ミシッ・・ミシッ」
目を閉じながら聞こえてくる音に、璃子は違和感を覚えた。
「違う・・・お母さんの足音じゃない」
聞き慣れた母の階段を上る音と何かが違う。
足音と一緒に何かを引きずるように近づく気配に、言葉に出来ない恐怖を感じた。
「ダメだ! 絶対見ちゃいけない!
見ちゃダメ! 見たらダメだ!」
近づく足音に璃子の頭の中で、大きく警告音が鳴っている。
その足音は少しずつ、璃子の部屋に近づいてきた。
その気配が近づくにつれ、体中から吹き出す冷たい汗と、今にも口から飛び出しそうなほど激しく脈打つ心臓で倒れそうな程だった。
「ダメ!目を閉じなくちゃ!
絶対に見ちゃいけない物が来る!」
本能が見る事を拒絶している事を感じ、必死に目を閉じようとするのに何故か瞼が閉じない。
自分の体が思う様に動かなくなってしまっている。
金縛りにあってしまったのか、体中全てが璃子の意識とは逆に、まるで拒否したかのように動かせないでいる。
「ダメだ!早く!早くしないと見てしまう!」
その何かは、ついに部屋の前に来てしまった。
必死の思いで瞼を閉じようと力を入れて必死にもがき、その何かが部屋の方を向く寸前で何とか目を閉じる事が出来た
それなのに璃子の目はハッキリとその姿を捉えてしまった。
目を開けてはいないのに、何が扉の前に立っているのかが分かった。
黒い影・・・違う、黒よりもっと深い黒だ。
どこまでも深い黒・・・漆黒。その影はスーッとドアを抜けて、部屋の中に入って来た。
璃子の方へ近づくにつれ、恐怖心がどんどん増して来る。
その深い黒を纏った影から、ただならぬ気配を感じていた。
悪意と言うべきなのか?
いや、そんなものじゃない。
もっと恐ろしい、体中の血液が細胞が壊れてしまう様な、何処までも冷たい淵に落とされそうな・・・。
ー 死だ ー
その黒い影を纏った何かからは、死の恐怖を感じた。
目にしてしまえば、そのまま死の底に引きずられてしまう・・・そんな恐怖を感じた。
必死に閉じた瞼の裏に、その何かが顔を覗き込んでいる状況が見えている。
どこまでも黒く、顔などがわかるはずもないのに見られている。
息がかかりそうな所まで顔とおぼしき影が、近づきじっと璃子の目を覗き込んでいる。
「コッチヲミテ・・・コッチニキテ・・・。」
頭の中に流れてくる言葉が、益々璃子を強張らせた。
「嫌だ! 絶対に見ない!
だから早く居なくなれ! 私の側から居なくなれ!」
言葉にならない言葉を叫びながら、璃子は必死に抵抗していた。
その影は璃子が目を開けない事が分かったのか、すーっと顔から離れていった。
「良かった・・・」
璃子が目を開けない事に諦めてくれた・・・と、そう思った。
ガクン!
璃子が安心した次の瞬間、右手がベットの下に引きずり落とされていた。
「え? 何」
璃子の体は何かに引っ張られ、上半身がベットからずり落ちて行くのが分かった。
少しずつ、確実に、ズルズルと落ちていくのか分かる。
体中の毛穴から、冷たい汗が吹き出している様だ。
「ダメだ! このままだと私は何処かに連れて行かれる!」
「嫌だ! やめて! 行きたくない! 絶対やだ!」
「いなくなれ!」「いなくなれ!」
「私は行かない! 絶対行かない。」
心の中で必死に叫び続けた。
その間にも体はどんどん、下に下に落ちていく。
「出て行けー!」
ありったけの声で叫んだ次の拍子に、簡単に璃子の体は自由になっていた。
先程までの恐怖心が嘘の様になくなり、あの黒い影の気配も感じなくなっていた。
璃子はゆっくりと瞼を開けた。 ベットから上半身が不自然な形でずり落ちていた。
腰の辺りや右手辺りがズキズキと痛むのを感じ、ゆっくりベットから下りると痛む腰に手を当て部屋の電気を点けた。
一瞬、眩しさで目がチカチカしたが直ぐに慣れた。
目の前には見慣れた自分の部屋が映る。
「痛っ!」
右手首に痛みがはしり手を当てた。
当てた手を退けると、手首に赤い痣がくっきりと就いていた。
何かに掴まれた様な跡だった。
あのまま璃子が抵抗しなければ、何処に連れて行かれたのだろう。
そこはきっとこの世生らざる物が居る所なんだと思う。
璃子には確かに聞こえていた。
必死に抵抗する自分に囁いてきた言葉を・・・。
「コッチヲミテ・・・コッチニキテ」・・・と
10年前のあの夏
あれがその黒い影を始めて感じた時だった。
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