Chapter2 希望と灯りの星空 3話


ざくっと靴の先を地面に軽く食い込ませてしっかりと歩む。


チヒロは1人、故郷の小さな丘の上へと向かっていた。

丘の上には東屋があり、ここにくるととても綺麗な夕日を拝むことができる。

ここに来ることが幼少期から大好きだったチヒロは、古くなった石段を進みながら様々なことを思い出していた。


石段を上りきって一息つくと、チヒロは振り返って下を見た。


「……昔はここまで上ってくるのも、めちゃくちゃ大変だったような気がしたけど。体力ついたのかなぁ僕」


そんな独り言をこぼしてから息を吐くように笑うと、東屋の中に入り、きのみが溝に食い込んだ木の長椅子に座る。


(……僕、さいてーだな…リージアに八つ当たりした)


しかし、それよりもチヒロがショックを受けたのは、チヒロの言葉に黙り込んだものの、真剣な表情でまっすぐ自分の方を見つめ続けていたリージアのその反応だった。


「……悔しい。恥ずかしい…」


つい口から溢れる素直な感情に、チヒロは長椅子の上でぐっと自分の膝を抱きしめた。


チヒロは、自分はリージアに八つ当たりをすることで自分に向き合うことから逃げたのに、リージアはそれを受け止めてなおチヒロをまっすぐ見ていてくれたのだ。

リージアは血のつながった、何よりも大切だった消息不明の兄弟に再会するというショックを受けていたはず。

チヒロは、無意識にリージアは自分と同じ心理状態、もしくはそれよりも深くショックを受けているはずと思っていた。

それは間違いないにしても、リージアは自分と違って全てを受け入れ、尚も強く前を向く勇気をすでに手にしていた。


考えれば考えるほど、持ちたくもない劣等感のような感情が底から溢れ出てくるようで、チヒロは噛み締めた歯の奥から息を漏らした。


(アクアさんに、僕はあの時本当に、ただ悲しむことしかできなかったのかな…アクアさんは公園で会った時、希望に目を輝かせていた。きっとあの日何かあったんだ…彼女は死を望んでなんかいなかったはずだ…なのに…なのに…

マコトさんにだって何も言えなかった…マコトさんならアクアさんを助ける方法、知ってたかもしれない。知らなくても聞けばよかった。それだけじゃない、今何してるのか、"あの事件"の後どうしたのか…ぼんやりしてる暇なんてなかったはずだったのに)


頭を抱え、肘を膝に置く。

またため息が出てしまう。涙が抑えられてるだけいいだろう。


そうしている時、かさりと落ち葉が割れる音がした。


チヒロが顔を上げようとして下にまず目を遣ると、白い足袋と下駄があった。これはカブキの古い民族衣装だが、この辺りでもチヒロが知る限り着ている人はいない。

少しずつ視線を上げていくと、薄若草色の仄かに光沢をもつ着物に、真っ白な上着を羽織った、長髪の麗人が立っていた。

少し伸ばした雪原のような白色の前髪から垣間見える群青の瞳は、全てを見透かすような透明感を持っている。


チヒロがぼんやりと見惚れていると、麗人は目を細めて微笑んだ。


「…お邪魔しても?」


チヒロは我に返って、「へあ」と気の抜けた返事をしてしまった。

麗人はなおも微笑みながら「どうも」と会釈し、チヒロに向かい合う方の長椅子に座った。


「素敵な夕焼けが見えますね……やはり、カブキの夕焼けは特別いい」

「……そ、そう、ですね…僕もここ、お気に入りです」

「そうですか。ふふ…気が合ってとても嬉しいです」


掴みどころのないふわふわとした会話に、チヒロも戸惑っていた。麗人は少し黙ってから、顔を少し上げて目をチヒロと合わせる。麗人は後ろから夕焼けの眩しい光を受け、影になっており、表情がよく見えなかった。


「…何か、迷いが見えるようです。元気のない貴方は見るに堪えない。私にご相談くださいな」

「えっ…や、その…」


チヒロはなんと答えたらいいか分からず、目を泳がせた。


「困らせてしまいましたね…実は、私は貴方たちのライブの生配信を拝見しておりました。素晴らしかった……まだ未成熟ではあるものの、さながらダイヤモンドの原石でした。すっかり貴方たちのファンになりまして…ここに来たのも、リージア君の配信を見たからなのですよ」

「へ…?ファン…?リージアの配信…?」


麗人は腰のあたりからモバイル端末を取り出して、何かの動画を見せてくれた。

そこにはリージアが映っており、隣のコメントのような文字列は物凄い速さで流れていた。


「彼が、あの有名なゲームbgmクリエイター、Rzだとあかし、ここでライブをするとこの配信言っていたのです。Rzかなり影響力のある方なので……このように。私以外にも人で溢れているかと思いましたが、そうでもないようですね…」

「リージア…」


時に罵倒するような言葉も流れるが、画面の中のリージアは全く物怖じせずにしっかりと話をしていた。


「…迷いは、人の力を奪います。迷っている間は、人は半分も力を出すことができません。しかし、その迷いから抜け出した時、その人は誰よりも強くなるのです。私は、そんな貴方がどうしても見たい……どうかお力になれませんでしょうか」


麗人は優しく微笑んでいる。

チヒロは少し考えてから、口を開いた。


「……ファンの方…にこんな情けない姿見せて申し訳ないんですけど…たくさんあります。でも今は…大切なユニットメンバーにすごく悪いこと言っちゃったことが一番の悩み…かな。リージアは本当にすごいんです。ちゃんと言ったことは全部実現させる。だから……いろんな瞬間の僕がもしリージアだったら、できたこともっとあったのかな、とか。そういう自分の情けなさを悔やんで彼に八つ当たりしちゃったことで、落ち込んでます」


麗人は顎に人差し指をやって考えるような仕草をした。


「……すぎたことを悔やんでも仕方ありません。そういった後悔や反省は、本来繰り返さないために自然と人間が行う思考でしょう」

「それは……わかっているんですけど…」


チヒロは軽く唇を噛んだ。

麗人はその様子を見据えて、少し考えてから、また話し始めた。


「…貴方は貴方ですよ。例えどんな選択をしたとしても、それは尊い選択なのです。自分の魂がもし他の人だったらなんてそんな勿体無いことは考えなさらないで欲しい。貴方の前に現れた選択肢は、貴方にしか決定権は得られませんよ」

「お兄さん…ありがとう、ございます」


夕日の影になっていてやはり表情はよく見えなかったが、麗人は微笑んだように見えた。


「それに…貴方はもう、じゅうぶん自分に自信を持てる存在であるのではないかと私は思いますよ。以前は信じてもらえなかった貴方の夢。それは貴方の実力や才能が他人から全くそれに及ばないように見えたからでしょう。

例えば、ネズミが空を飛びたいと夢を謳えば、みんな鼻で笑うでしょう。しかし人が空を飛びたいと謳えば、今は技術がある。誰も笑いやしません。…なんて、少し極端でしたかね」


2人の間に風がそよいだ。麗人の髪がさらりと靡き夕日の光を受けてチラチラと輝いた。


「お兄さん……貴方は…」

「知ったようなことをずけずけと、申し訳ありません。でも覚えていて…貴方の友人は皆もう、貴方の夢を笑わないでしょう。皆きっと善人です。私には、そう見えましたよ」


チヒロが茫然と麗人を見ていると、麗人はゆっくり立ち上がった。


「ライブ……とても楽しみにしています。いろいろ大切なお仕事を断ってここに来ているくらい。そろそろ約束があるので、失礼いたしますね。」


麗人は頬にかかった髪を軽く耳にかけながら横目でチヒロに会釈をすると、ふわりと東屋から出て行った。


「……あの人、どこかで見たことがあるような…」


チヒロは何かモバイル端末で話をしながら離れていく麗人の後ろ姿を無言で見送った。


ふと、先ほどから自分のモバイル端末が振動していることに気づいた。慌てて取り出すと、タユから通知欄が埋まるほどメッセージや着信が来ている。

それと同時に、大きく通知欄に出たのはシェアモニターの通知であった。


とある有名なゲームのイラストを背景にしたリージアの顔がサムネイルの配信アーカイブの通知である。


「タユがたくさんメッセージくれてたのこれについて、かな…ほんと悪いことしたな……」


チヒロは決心したように頷いてから、立ち上がる。

配信アーカイブの通知をタップし、聴きながら帰路を辿り始めた。



――――



チヒロが実家から出かけたその少し後のこと――


「……だめ、チヒロくん繋がらない」

「仕方ない。タユ、もう始めるよ」

「でも、リージア…」


リージアは配信を始める準備を着々としていた。


「あのさ、タユ」

「ん?」


リージアは耳にかけようとしていたヘッドフォンを一度置いた。

タユはモバイル端末から耳を少し離してリージアの方を見る。


「オレ…ずっと友達いなかったから。オレんとこの故郷はさ、今は結構安心して外出回れるくらいにはなったんだけど、オレがあそこにいた時は、マジで外にずっと兵隊さんが歩ってたし、コミュニティも特例で行けなかったんだ。勉強はずっと家でしてた。だから……なんていうか、オレ、バカだったな」


タユはリージアの側に一歩近づく。


「っ…!それは違うよ…リージアの言ったことは正しかった。でも……チヒロくんがそうした気持ちも、わかる。」

「な、なあタユ。その気持ち、よく教えてくれない?」


リージアが椅子を回して振り向いた。

タユは頭を捻る。


「んえっと……端的にいうと、仲間はずれになりたくないって気持ち…かな。あとは、なんとなくさ、相手の中で自分ってこうだろう、みたいなイメージを壊すことへの恐怖…っていうのかな。」

「…そんなことにまで気使うのか?」

「そう言われたらそこまで…だけど…えーっと…ほら、リージアだって何か新しいものを買う時とか、買ってみたら思ってたのと違う、みたいな経験ない…?相手の期待に応えたいって言うと、良く聞こえすぎちゃうかな…む、難しい…」


リージアは尚も曇った表情のままでいる。


「…最初からさ、自分の本当の部分を曝け出すのってちょっと勇気がいると思うんだ。でも曝け出すタイミングを見失うと、そうなるんだと思う。それで結局相手との間に自分の中でずっと壁ができてしまうことって、僕もそういうことばかりだったからさ」

「ふうん…」


リージアは少し考えてから微笑んだ。


「それなら、最初の友達がタユとチヒロだったオレはラッキーだな」


タユは少し慌てたように顔を赤くして目を丸くする。


「き、急にそんなこと言われると照れるよ!……でもそんな風に思われてるなら嬉しいなぁ…」

「だから、尚更だな…チヒロのやつ、あんなにアイドルとして必要なもの全部じゅうぶん持ってるしあんなに友達とやらに愛されてるのに…チヒロに言ってやりたい」

「……うん」





「チヒロはね……すごく純粋な子で、私に一度こんなことを言ってきたことがあったわ。『世界中の人に自分の歌を届けるのって、すっごくおかしなことなの?』って」


チヒロの母が話し始めるのを聞いて、タユとリージアは荷解きの手を止めてそちらに注意を向けた。


「とてもつまらない考え方かもしれないけど、そういう抽象的な夢って大人が取り合ってくれるのは小さい子にだけじゃない?大体は14歳ごろにはもうそんなの非現実的だって思い始めるのが世間の一般的なものじゃないかなって思うのよ。


…ええ、チヒロは大真面目だったわ。私にそう言ってきたチヒロの顔、よく覚えてる。なんだかひどく傷ついたような表情だったから。なんとなく…想像はついたけれど、チヒロに聞いたわ。おかしなことじゃない、チヒロが本気で取り組めば叶えられる夢よって。そしたらチヒロがね、そう言ってくれた友達が自分のいないところで『そんな歳であんなこと言ってるなんて幼稚、バカみたい』って言ってるのを聞いたんだって。それが相当ショックだったみたいで……そんなの気にしなくていいのにすごく気にしてた。


『お母さんも、本当は僕のことバカだって思ってるの?僕の夢は幼稚なの?』って聞かれた時はもう、私泣いちゃって。チヒロのこと抱きしめたわ。

チヒロはそのままでいいのよって、そんなこと言う人のことなんて気にしなくていいわって言ったの。

チヒロはわかったって言ってくれたけど…周りには隠すようになっちゃったのね…

コミュニティの進路調査の紙が締め切りギリギリになってもチヒロの机にずっと置いてあったのを覚えているわ…

結局なんて書いて出したのかは知らないけどね」


母が話し終わったのを確認するように間を置いてから、リージアは大きく息を吐いた。


「なんだよ、そんなバカにするような奴なんて友達じゃねーだろ。なんで気遣うんだよ」


リージアを嗜めるように苦笑いをこぼしたタユも、再び口を開いた。


「……でも、僕もチヒロくんの夢を最初に聞いた時は眩しいなぁって、とても自分と同じ世界の人じゃないなって思っちゃったんだよね。言葉悪くなっちゃうけど、そういうまっすぐでキラキラしたチヒロくんに嫉妬したんじゃないかなぁ。」

「そうね……私もそう思う。リージアくんの言うことも、そうね。チヒロが我慢する必要なんてどこにもなかったもの。

チヒロのその友達だって本当は悪い子ではなくて、チヒロが帰ってくるって伝えた時はすぐに自分たちにできることはないかって色々動いてくれたのよ。」

「はぁ…⁉︎バカにしたのに急に手のひら返しするのかよ、マジでわかんねー…」


頭を抱えるリージアの背中をタユが優しくたたく。


「リージア。チヒロくんの、うんん、僕たちの"本気の夢"をみんなに見てもらおう?掌返しだって聞こえは悪いけど認めてくれたってことなんだから、全部いいように受け取っちゃおう」

「タユ……そうだな」


リージアはタユの方を見て強気に笑って見せた。


「おばさん!ここでちょっと配信させて欲しいんですけど、使っていい部屋ありますか?」

「配信…?ええ、それならちょうどチヒロの部屋が全部もの片付いてるから。こちらへどうぞ」





リージアはヘッドフォンを耳に当て、静かに目を閉じた。

そしてそっと目を開ける。リージアの瞳に青白いモニターの画面が映る。


「タユ、配信、始めるぞ」

「うん…!」


リージアは画面に指を伸ばし、赤いボタンを軽く押した。




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