Chapter2 希望と灯りの星空 2話

「チヒロくんってば!」

「…っわ⁉︎」


タユにゆすられて我に返ったチヒロはきょろきょろと周りを見渡した。

隣には心配そうな顔をしているタユ、その一つ奥通路側に手摺に頬杖をつきながらこちらに視線だけ送っているリージア。

静かな飛行機内には、エンジンの音と、たまに聞こえてくる他の客の咳払いだけが響いている。


「…大丈夫?チヒロくん、なんだかぼんやりしていたみたいだけど」

「ううん、故郷のみんなどうしてるかなって考えてただけ…それでどうしたの?」


するとタユの代わりにリージアが少し顔を寄せて小さな声で話し始めた。


「オレたち曲も振り付けもできてるけど、そういや衣装なくね?と思って。なんか考えてたりする?チヒロ」

「あ…あ〜、衣装……全然考えてなかったかも。急いで考えとくよ」


リージアはチヒロのふわふわとした回答に少し苛立ったようで眉間に皺を寄せた。


「おい、任せて大丈夫なんだろうな?」

「だ、大丈夫だよ!心配無用だから」


リージアは大きくため息をつくと、どっかり椅子に座り直してみせた。


「チヒロくん、僕チヒロくんのサポート役だからさ、なんでも頼ってね」

「あはは……ありがとうタユ」


チヒロはタユにそう言って小さく手を振ると、窓の外に顔を向けた。


チヒロは別に事実から見ると迷ってはいなかった。


自分はどうやったってムジカになったらもうアイドルを続けていく選択肢しかないわけで、迷いようがないからだ。


大切な友達に、輝く未来を想像していた大切な友達がそれから間も無く絶望的な最期を遂げる瞬間を見てしまったって。

ずっと行方不明だった憧れの人が全く知らない表情でいきなり目の前に現れて、アクアリリスの遺体を物のように見ていたって。


進む道は一つしかないのだけれど、それでも何か、黒い霧がかかっているようでしっかり前を見て歩けない、そんな思いを抱えていた。


――チヒロ、よく考えてね。いつでも力になるから。悩んでいることは大一番まで悩んだままにしておかないこと!いいわね?――


(するべきことはわかってる……でも気持ちだけが晴れない。どうしたらいいのかな……お母さん…)


チヒロはほんの少し、瞼を下ろした。





「ついた〜!カブキ!へへへっ、カブキの文化は興味深いの多くて一回行ってみたいなってずっと思ってたんだよな〜!」

「ふふ、リージア嬉しそう」


リージアが軽くスキップして空港の外に出た。

タユもそれに続いて外に出て、一歩後ろに続いてチヒロも外に出た。


「えっと……僕の故郷の方に向かうバスは…あっちのバスターミナルかな。ここからバス一本乗り継ぐから大体4時間かな」

「げえ、そんな長いのかよ」

「仕方ないよ…お金ないし…」


肩を落とすリージアに2人は苦笑いして見せた。

リージアは元々、アイドル活動をする上で必要な費用を自分の収入で半分は賄えると2人に提案していた。

しかし、アイドル活動で必要な費用は安定するまでは3人で等しく出し合いたいとタユもチヒロも首を横に振るばかりであった。

リージアは2人のそういう義理堅い一面も大好きだが、少々面倒に感じている。


「えーっと、22番乗り場だから…あっちだ。チヒロくん!……あれ、チヒロくん?」


タユが隣を見ると、そこに居たと思っていたチヒロがおらず、慌てて周りを見渡して探した。

幸いにもすぐに見つかったが、チヒロは空港の出口のすぐ横でぼんやり立ち尽くしていた。

タユは小走りでチヒロの元へ駆け寄ると、彼の肩を揺すった。


「チヒロくん、ちょっと…!ちゃんと一緒に行動しなきゃ危ないでしょ⁉︎大丈夫…?具合でも悪いの…?」


チヒロは我に返ったように目を見開いた。


「……っあ、ごめん…!やっぱ母国に帰ると安心して力ぬけちゃうね…あはは」

「チヒロくん…?」


目を合わせて笑わないチヒロにタユが不審に思っていると、リージアも歩いて2人の元へ来た。


「何やってんだよ、バス来たぞ。のろーぜ」

「あ、タイミング良くてよかったね!行こう、タユ」

「え、ちょ、チヒロくんってば…!」


タユにまともに取り合わず、チヒロは何か話しながらリージアと共にバス停へ向かっていってしまった。


「……チヒロくん…」





バスがビルの立ち並ぶ都会を外れて、田園風景が広がる村に差し掛かる頃には、リージアはタユの肩に頭を預けて静かに寝息を立てていた。

タユはそれを静かに微笑んで一瞥したあと、窓の外を向いたまま顔を動かさないチヒロに目を向けた。


「…チヒロくん、あのさ、僕たちまだそんなに過ごした時間も長くないし、僕が頼りないのもわかるんだけど…それでも悩んでるチヒロくんを放っておけないんだ。だから…無理に聞きはしないから、あんまり取り繕うのはやめて欲しい…んだけど…」


チヒロは窓の外に向けていた目を大きく見開いてから、そのままタユへとゆっくり視線を移した。タユはとても心配そうな表情でチヒロを見つめていた。

チヒロは暫く黙って迷うように視線を泳がせてから、バツが悪そうに上目遣い気味にタユに視線を戻した。


「…多分気持ちの整理がまだついていないだけなんだけどさ…アクアさんのこと、マコトさんのこと……うんん、きっとこれだけじゃなくて…でもわからなくて…

なんかね、お母さんに言われたんだ。僕が無理してるって。

……それはアクアさんの死がまだ、どんとのしかかっているから…だと思ってるんだけど……

ごめんねタユ、こんなこと言ってもわからないよね」

「ああえっと……そんなことないよ、わかるよ、全然…」


タユはそれ以上の言葉が出てこない自分を恨んだ。

チヒロは寂しそうに少し笑ってから自分の膝の方を見遣った。

タユは何か声をかけようとしたが、言葉が見つからず、虚しく膝の上でぎゅっと握りしめた拳を見つめることしかできなかった。


バスはその後しばらくすると、目的の停留所に停まった。

3人はそこそこ大きな荷物を降ろすと、外にはチヒロの友人が10人ほど集まっていた。


「わ、みんな…!」

「チヒロ久しぶり〜!元気にしてた?」


あっという間に囲まれてしまったチヒロに、リージアとタユは呆気に取られていた。


「チヒロくん、人気者だね…」

「そ、そうだな…」


チヒロを取り囲んでいた男女は今度は2人の方を見た。


「わー!あなたたちがチヒロと一緒にアイドルしてる人たち⁉︎チヒロがいつもお世話になってまーす!」

「あ、は、はい…」


タユが少し後ずさって困惑していると、チヒロがそれに気づいて歩み寄った。


「まず紹介しなきゃだったね!こっちがタユ、リージア。2人ともすっごい実力がある仲間なんだよ!」

「へえ〜!たしかに、2人ともすっごいイケメンだわ!」


タユとリージアが質問攻めに合い、たじたじになっていると、友人たちの中の1人がチヒロの方を向いた。


「つーか、チヒロがアイドルなんてめっちゃ意外。真面目だったし都会の方行って普通に働くのかと思ってたよ」

「あ…」


チヒロが言葉に詰まっていると、自然と皆喋りをやめてチヒロへとその注意を向けた。


「えーでも…むかしアイドルになって世界中の人に歌を届けるとか言ってたの聞いたことある気がする。でもあれ、冗談で言ってたよね。ほんとにアイドルなっちゃうなんて、チヒロすごいよね!」


タユとリージアは怪訝な表情をチヒロに向けた。

チヒロは数秒何も言わず固まっていたが、やがて引き攣り気味に笑ってみせた。


「……あ、あはは!そうなんだよね!やっぱ歌歌うの好きだし、挑戦してみるのもいいかなって!」

「すごいよチヒロ!応援してる!」


友人たちがチヒロを再び囲んで賑やかになる。

チヒロはそれを適当に受け流すとタユとリージアの元へ駆け寄り、友人たちに手を振った。


「ごめん、ちょっと長旅で疲れたからさきに家で休むね!また連絡する!」


チヒロは2人の一歩先に行くと背中を向けたまま「行こ」と声をかけた。

群衆が何かそれぞれ言っているのに背を向け、2人はそれに続くことにした。


リージアがチヒロの隣に並ぶ。


「おいチヒロ。冗談ってどういうことだよ」

「ごめん、むかしのことだからそんな大したことでもないし、気にしないで――」


リージアはチヒロの肩をがしりと掴んで止め、怒りを顕にする。


「大したことないわけないだろ!なんだよそれ…お前、命懸けの目標じゃなかったのかよ。青春ごっこがしたかっただけだったのかよ!」

「…っ!それは違う!」


チヒロは迷いと怒りが混じり合った複雑な表情でリージアを睨む。

リージアは歯を食いしばってチヒロの胸ぐらを掴み上げた。


「なにが違うんだよ!お前……なんであいつらにはあんな薄っぺらい言葉で話すんだよ。なにが『挑戦してみるのもいいかなって』だよ!オレはお前が生半可な気持ちでアイドル目指してるわけじゃねえって判断したから一緒にやってくことにしたんだぞ⁉︎それが……」


リージアの声が震える。わなわなと震える口角は涙を我慢しているように見える。タユは慌てて2人の間に入ろうとした。


「リ、リージア…きっとチヒロくんにも事情が…!」

「リージアに何がわかるんだよ!」


チヒロの怒声が響く。

穏やかで優しいチヒロから聞いたことがない怒声に、少し遠くなった群衆も何かただならぬものを察してざわめいている。

チヒロは呆気に取られているリージアの手を振り払った。


「リージアは強くて、器用で、自信家でも恥ずかしくないくらいちゃんと実力があって。不器用で地味で小心者で普通の僕の気持ちなんてわかるわけないだろ…!友達付き合いだって大してしたことないくせに勝手に裏切られたみたいに言うなよ!」

「チヒロくん!」


タユがチヒロの頬を叩いた。

タユはひどく冷静で、それでいて怒りがわかるような冷たい目をチヒロに向けていた。

チヒロは我に返って、自分の赤くなった頬を手で抑えながら青ざめていく。


「え、なになに、どうしたの…?」

「チヒロ⁉︎大丈夫⁉︎」


遠くで見ていた友人たちがチヒロの元へ駆け寄ってくる。

タユは黙ったまま何も言わないリージアの前に立つ。


「チヒロくん……打ってごめんね。でも今のは冷静じゃなかったと思う。」

「……………ごめん」


チヒロは少し俯いたまま、友人たちを軽く手で退けてから、再び前へ歩き出した。

少しチヒロとの距離が空いた後、タユもリージアと一緒に、群衆に会釈してから後を追いかけた。


実家に着くと、3人のただならぬ空気に、チヒロの母はひどく心配した。

しかしチヒロはタユとリージアを簡単に紹介し、荷物を部屋に運び終わると、「散歩に行く」と言って2人を残して外に出かけてしまった。


「……ねえ、2人とも。チヒロなんだかとっても暗い顔をしていたけど、何があったかわかる?」


チヒロの母に話しかけられ、2人は気まずそうに目を合わせてから彼女に向き合った。


「………チヒロくんって、お母様から見て、どんな子でしたか?」


タユの問いかけに賛同するように、リージアも頷いた。

母は思いもよらない質問に不思議そうな顔をしたが、やがて優しく微笑んで自分の手首を撫でるような仕草をした。


「チヒロはね、すごく人を気遣う子よ。それはいいところでもあり…一方でそのせいで自分の気持ちを封じ込めちゃう悪いところでもあった」

「え…」


母は少し間を置いてからまた口を開いた。


「実はね――」

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