Chapter1 青く眩しく脆い星屑 3話

目が覚めると、枡状の模様が施された真っ白な天井があった。


随分長いこと眠っていたような気がして、私はこれまでのことを思い出すように頭に手を当てた。


シノイが死んだ。

そして、私はそのシノイの声を譲り受ける約束をして、あの後あのまま手術室に運ばれた。


そして今起きた。

改めて表れた喪失感が私の中を満たした。私はそっと自分の喉に手をやる。

何か鉄の金具のようなものが付いている。


「ア…」


声を出してみる。

急に目が覚めるような感覚になる。

もう私の声ではなかった。よく知る、シノイの声。

でも思ったような高さの声が出ない。


「あ、目、覚めたんですね」


部屋の自動ドアが開く音がして、そちらの方を見ると研究員がこちらへ走ってきた。


「身体の神経などを全体的に手術することになったので、目覚めるか少し心配でしたが、よかったです!まだ意識も戻ったばかりで混乱してると思うけど…」


研究員のことを私がぼんやり見ていると、研究員は少し背中を曲げて首にかかったネームプレートを私の前に出してニッコリ笑った。


「はじめまして、私、ここで研究員をしております、ヤキと言います!」


私はネームプレートとヤキという研究員を見比べてから苦笑いした。


「あ…エと、私…ハ…」


シノイの声になったが、機械の加工した声のような音が喉から出てくる自分に、大きな違和感を感じ少し顔を顰めて黙り込んでしまった。

ヤキはそんな私を慰めるようにまた私に一歩近づく。


「でも、すごいですよ、アクアリリスさん!このような手術は過去にも成功したことがない、と思うし。それにその声帯だと歌うと一音も外さず完璧に歌えるんですよ」


私は彼女から目を逸らした。


「自信が、なイです。人前に出ルのも元々苦手で…みんな私ノこと嫌いだかラ、そういう理由でずっとシノイの誘い、断っテきたノニ………まぁ、約束したし、やるシかないんですけどね…」


苦笑いして震える手をそっと重ねる私の手に、ヤキの手が乗った。


「私は、あなたを応援していますよ」


ヤキはそう優しく言うと、私の目を真剣な表情で真っ直ぐ見つめた。

私もそっと微笑み返した。


「ありがとウ…ゴザいます」






ヤキという研究員によると、私の体は"半ムジカ"というものになっているらしく、ムジカ特有のミューズは持っていないが、歌唱力は格段に上がっており、歌って人々から感情エネルギーを摂取して生きなければいけないという部分はムジカと同じ、という仕組みになっているらしい。


私は研究所を出たら、1人でとにかくムジカとして必死に生きる努力をした。


歌っている間は比較的自然な発声ができる。

シノイの歌声が私の中から出る感覚は最初こそ違和感が大きく、気持ち悪くなって嘔吐したこともあった。

しかししばらくそういった生活をしていると、馴染んでくるものだった。それこそ、元の自分の声を忘れかけるほど。


歌うのは楽しかった。

曲を作るのも好きだった。シノイとコミュニティにいた時みたいに、私の作った曲をシノイに歌ってもらうあの時みたいに。

私が作った曲を、シノイの声で私が歌う。


(シノイ、私たち、一緒に歌ってるね)


私なりにシノイの約束を守って、楽しかった。


そう、思っていた。

けれど、現実はそこまで甘くはなく、半ムジカというイレギュラーな私を受け入れてくれる人たちは、ごくわずかだった。


歌うと、「きもちわるい」「声が変」と石を投げられる。

さっきまで食べていたファストフードのゴミを投げられたり、指をさされてクスクス笑われたり。


(そっか。私は、私だった。)


シノイの声で歌う私だが、所詮私なのだと。

シノイではないから。

勝手に私は生まれ変わった気分でいた。そんなことなかった。

でも今の声は好きだ。


私は崩壊しそうになる心を宥めるように、1人でシノイの声で、「大丈夫だよ、リリ」と言葉に出してみせる。虚しくはなるが、側にシノイがいる気がした。



――――――――




「……そうシて…私は、少しずツ歌う機会を減ラしてゆきまシタ。今日は、路上でライブをしテ、いつものようにゴミや石を投げらレた、帰りでした」


もう既に聞いていられないというような顔をして作曲に戻っている、リージアのそばに立って話を聞いていたタユと、自分の側で膝をついて心配そうな顔をしているチヒロに、アクアリリスは視線を送った。


「……美味しそうナ香りと、あなたタちの眩しい笑顔に、惹かレてつい、見惚れてしまったノデす」


そこまで言うと、ホッと息をついた。

次の言葉が出ないのを確認してから、チヒロが口を開いた。


「…君みたいな素敵なアイドルにゴミや石を投げたり、心無い言葉を浴びせたりする人を、許せる気がしないよ。それと……ムジカの一つの結末に、改めてちょっと怖いなって思った」


両手をぎゅっと握り合わせて手の震えを抑えるチヒロの背中に、そばに来たタユとリージアがそっと手を添えた。


「オレたちならそんな結末には絶対ならない、そうだろ?」

「そうだよチヒロくん…!」

「2人とも…」


3人は顔を合わせて笑った。アクアリリスは少し切なげに彼らを見て微笑んだ。


「…やっぱり、羨まシイ、あなたたちが。」


アクアリリスは自分の胸に手を当てて、目を瞑った。


「私も…シノイがああなる前二、決意していたラ、あなたたちみたいになれた、ノかな…」


そう零したアクアリリスのもう片方の手を、チヒロは手に取る。


「過去には戻れないけど、1秒先の未来はいくらでも帰ることができるよ、アクアさん」


アクアリリスはチヒロの手を見つめながら彼の言葉を聞き、少し驚いた顔で彼の顔を見た。


「…もしよければ、君の歌を聴きたい。君と、シノイさんの、歌を」


アクアリリスはさらに目を見開く。

しばらくそうして真剣なチヒロの目を不思議そうに見てから、こくりと、真剣な表情で頷く。


「聴いて…私"たち"の歌―――!」







「――近くのスピーカーにアクセス。接続完了。異常ナシ」


アクアリリスが真っ直ぐ店内のスピーカーに手を伸ばすと、スピーカーはそれに呼応するように青色の光を灯す。


「すごー……なんか本当にこういうの見るとロボットみた…」


ロワンが慌てて口をつぐむより先にジャコウがロワンを張り飛ばした。


「った‼︎あ、あのねぇ⁉︎もっとその、ほ、方法が…!」

「あ〜〜すまねえジャコウくんお疲れでちょっとよろけちったごめんねワンワンく〜ん」


床に倒れ込んでジャコウを睨むロワンから、ジャコウは口笛を吹きながら目を逸らす。


「……私は、特殊な存在だカラ、警戒さレがちで、見向きすらしてもらエないことが多イ。だから、その分曲ノ完成度ガ、大事」


アクアリリスはそう言って試すような目をリージアに向けた。


「だから、曲もよク、聞いて欲シい」


リージアは少し口角を上げて見せた。


「勉強に、なるといいけどね」


アクアリリスは満足そうに微笑むと、スピーカーを背に、店の開けたスペースに立つ。


「――行くよ」


音楽が始まった。

前奏が長い。彼女の雰囲気に合ったテクノポップな曲調だ。

前奏が盛り上がって曲が始まると思ったら一度落ち着いた曲調になる。それが彼女の歌声への期待を増幅させる。


「なるほど…前奏がこんなに長くても全く飽きないし単調じゃないのはあの子の力量だな。やるじゃん」


再び前奏が盛り上がり、一瞬全ての音がなくなった瞬間、彼女の口が初めて開き、息を吸う音が聞こえた。


「―――!」


彼女から放たれるロングトーンがその空間で迸る。

その声は全くブレのない、完璧で模範的な歌声。

それでいて類を見ない神秘性を持つ人を逸した声だった。

その場にいた全員が彼女の声に一瞬で惹かれたのは言うまでもなかった。


全員の感情が動き、そのエネルギーを吸収した彼女から、キラキラと光が漏れ出る。ミューズは持たないが、彼女の絹のような髪を天の川のように光で彩られる。


彼女は歌い終わると肩で息をして額の汗を拭った。


チヒロは大きく拍手した。


「……す、すごいよ!アクアさん!僕、アクアさんが歌い始めた瞬間鳥肌が立つのがわかった…」


チヒロに続いて全員が拍手をする。

アクアリリスは驚いた顔のまま少し顔を紅潮させた。


「それに、アクアさんだったらムジカスタートダッシュ応援ライブで大活躍できるに決まってるよ!あ…でもアクアさんはデビューしたてではないんだっけ…」

「…?なんですか、ソレは…」


チヒロが傍に置いていたタブレット端末を取ってくると、彼女に画面を見せた。


「ここで予選突破して選ばれたムジカたちはおっきなステージでたくさんのお客さんの前で歌えるんだよ!ファンだってできちゃうかもしれないすごいチャンスなんだよ。僕たちも出ようと思ってて…!」


彼女は黙ってその画面を見ていた。

カウンターの内側で彼らを見守っていたジャコウが口を挟む。


「アイドルとかの音楽活動で収入を得ているムジカは応募不可ってだけで他に制限はないみたいだぜ」


鼻を鳴らして笑ってみせるジャコウを一瞥してから、アクアリリスは画面に再び目を向けた。


「…………少シ、考えます」


困惑が残る彼女の顔を見て、チヒロは少し残念に思った。


「アクちゃんは今日はどうするの?あと2時間でディナータイム始まるからよかったら食べてかない?」

「いえ、お金あまリ持ってナいので…」


ロワンが厨房から顔だけ出してホールの様子を見ている。

アクアリリスは少し体勢を整えてから、店の出口の方へ向く。


「……家に、帰りまス。色々ありガトうございました。御恩と言いますか、何かありマシたら必ずお力になります」


アクアリリスは一礼すると、もう振り返らずにさっさと出て行ってしまった。


「大会、出たくなかったのかなぁ…」


タユが少し困ったように微笑む。

ホールは数秒間静寂に包まれていたが、すぐにロワンが静寂を打ち消した。


「2人はどうするー?まだユニットで会議する?」

「あ…!手伝います!すみませんずっと何もしてなくて」

「いいよいいよぉ。ランチサボってた分ジャコくんに動いてもらうから!」


ロワンがジャコウを小突く。


「お前なぁ!オレがなんのために遅れてきたと思って…!」

「何のためですかー⁉︎正当な理由なら許してあげますけどー⁉︎」


ロワンが耳に手を添えてジャコウの声をよく聞くようにすると、ジャコウは「う…」と低く唸る。


「……はー、わぁったよ。だがなロワン、店閉めたらオレたちも大会予選の打ち合わせだからな!体力残しとけよ!」

「え〜〜⁉︎」


腕まくりしながら躍起になって厨房へ戻っていくジャコウに、ロワンは何かぶつぶつ言いながらついていった。


「オレはご飯食べさせてもらうわ。そしたら帰るけど」

「うん!僕たちもお店終わったら帰ってメッセージ送るね」


手を軽く振ってから再び作曲を再開するリージアを見た後、タユはチヒロに目を向けた。

チヒロはぼんやり店の出入り口の方を見ていたので、タユはその肩に手を置いた。


「お店の準備しよう、チヒロくん。アクアさんには、なんかまた会える気がするよ、僕」


チヒロが我に返ったように少し顔を上げ、タユを見るとタユはにっこり笑っていた。

チヒロはそれを見て少し迷ってから微笑み返すと、頷き、タユと共に店の奥に向かった。

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