Chapter1 青く眩しく脆い星屑 2話

タユに連れられて、ジャコウとロワンがホールに駆けていくと、少女がうつ伏せで倒れていた。


透き通った、オパールのように輝く髪が、絹糸のように、彼女の細い背中を伝って床に落ちている。

服は私服とは言えないような派手な色をしたスカートのドレスで、アンテナのようなものが伸びているヘッドフォンをしている。

外傷はないようだが、気を失っているようであった。


その傍らには、ただ座り込んで彼女を見守る他なにもできないでいる青い顔をしたチヒロがおり、ジャコウがきたことに気づくと縋るような表情を彼に向けた。


「ど、どどど、どうしましょう…!お店の扉の前に立っていたからディナータイムはまだだって伝えようとしたら倒れ込むようにその、入ってきて本当に、倒れちゃって動かなくなっちゃって……し、し、死…⁉︎」

「落ち着けよ、ち〜ちゃん!…大丈夫、気ィ失ってるだけだ。それに…」

「ムジカだ、この子」


少女の様子を見ながらチヒロの肩を揺すって落ち着かせるジャコウの隣に、静かにリージアが座り込んだ。


「なんでわかるの?リージア」

「オレはお前らよりムジカとして生きてきた年数が多いから、見ただけでなんとなくわかるんだよ。……あと、これ」


リージアはそっと彼女の細い手首を持ち上げてみせた。


「脈が、浮き出てきている…たしかこの前のニュースで暴走したっていうムジカも同じ特徴だった。結構危険な状態かも」

「そんな、どうしよう…」


すると、後ろで様子を見ていたロワンが前に出てきた。


「俺、なんとかできるかも!俺のミューズは、他のムジカに感情エネルギーを分けてあげられるから」

「おい、お前自身あれ以降、感情エネルギー摂れてないんだから無理すんなよ」


ロワンは少し驚いた顔をジャコウに向けた。

ジャコウは茶化している様子はなく、真剣な表情であった。


「驚いた…ジャコくんがそんな心配してくれるなんて…」

「バカ当たり前だろ、大事な仲間なんだからよ」


一切照れる様子もなく真っ直ぐな瞳でそう言うジャコウに、ロワンは妙に気恥ずかしくなる。


「と……とりあえず、この子、命危ないんでしょ!そしたらしのごの言ってらんないよ、ちょっとやってみる!」


ロワンは少し下がって歌を口ずさむ。

すると徐々にロワンの足元から光が溢れてくる。

ロワンが手をひらひらと動かし、何かを形作るようにすると、その動きに合わせて光が集まり形ができてゆき、弾けた光の中からクッキーが出てきた。


「あう…」

「ロワン!」


少しよろめくロワンをジャコウが支える。

ロワンはジャコウに向けて微笑んで軽く感謝すると、少女の元へゆき、膝を突き、彼女の顎を指で少し上げる。


「ちょっとごめんね…」


親指の先を柔らかな少女の唇の間に、つぷと挿れ、僅かに開いた少女の口に光るクッキーを食ませた。


クッキーは不思議と、彼女の口の中に入ると瞬く間に溶けていき、喉を通っていった。


そうしてから5分ほど経った時、少女の指がピクリと動いた。

彼女が小さく呻くと、全員がほっと胸を撫で下ろして彼女に注目する。


少女は瞼を開く。

ルビーのように濃いピンク色の瞳を何度か瞬くと、

スッと体を起こした。


「だ、大丈夫…ですか?」


チヒロが恐る恐る聞くと、少女はチヒロに、表情を変えずに視線だけ向けた。

少女は不思議そうにチヒロをじっと見つめている。

まじまじと見つめられ、チヒロは少し顔を紅潮させて目を逸らした。


「君、自分の名前はわかる?体の調子はどう?」


タユが優しく聞くと、少女は少し躊躇してから口を開いた。


「…………名前ハ、アクアリリス、と、言いマす。体調は…そんなニ、よくないけど…大丈夫…デす…」


独特なイントネーションと声色で、それは故障したロボットを想起させた。

アクアリリスはすぐに周りの目の色を察して「ごめんなさイ」と小さな声で呟くと口をつぐんでしまった。

そうしてまた全員が少しの間黙り込んでしまう。


「なぁ、お嬢さん、その声普通じゃねエよな。なんかやったのか?」


ジャコウの無神経な問いかけにロワンは咽せて咳き込んだ。


「ちょっとジャコくん…⁉︎」

「例えば、それ。なんなのそれ?」


ジャコウがロワンに目もくれず、アクアリリスの方を向いたまま自分の喉仏のあたりを突いてみせた。

全員がアクアリリスの方を向くと、アクアリリスは自分の首についている金具のようなものをスッと撫でた。


「これハ…自分の声ヲ変えるこトがデキる、そんナ機械です。私は…自分ノ声を捨テて…他人の声を譲り受けていまス。身体中もそのたメに改造して、半分ムジカ…みタいな…生キ物です」


できるだけ自然に喋れるように努力をしているのか、ゆっくりと若干辿々しく言葉を紡いだ。


「…なんか訳ありって感じだな」


リージアが少し首を傾げてそう言う。

アクアリリスはまだ困惑し警戒しているのか、自分の腕を抱いて伏し目がちになりながら、周りをキョロキョロ見渡している。

そんなアクアリリスの前にチヒロが跪き、両手で彼女の手を覆った。


「辛いことがあったのかもしれないから…無理に話してとは言わない。でも、僕たちは君のことを助けたい。君のことを教えてくれないかな」


アクアリリスは驚いて、少し恥ずかしそうに顔を赤くしながら、数秒考えた末、ゆっくり頷いた。





アクアリリスは客席に腰掛け、ロワンの注いでくれた温かい野菜のスープを一口飲み、幸せそうに頰に手を当てた。


「おい、シい…」

「あはは!めっちゃ美味しそうに飲むねぇ。嬉しいよ!」


ロワンは彼女の隣に座ってにっこり笑った。

そうして申し訳なさそうに頭の後ろを掻いた。


「いやーごめんね…実は正直、君の声を聞いた時壊れたアンドロイドなのかなと思っちゃってた。でも、こんなに美味しそうにご飯を食べる女の子がそんなわけないよね」


アクアリリスは首を横に振った。


「…ロボットになれタラ、いっソのこと本当にロボットになれたら、こンナに辛くなかった…のかなっテ。そう思うコトが毎日、ナノで…」


そう言いながらスープの入ったマグカップをテーブルに静かに置き、アクアリリスはポツリポツリと話し始めた。


「……私はもともト、友達と2人デ、ユニットでした」



―――――




「リリ!カラオケ寄って帰ろう!」


コミュニティから帰る準備をしていたら、部屋の外から聴き慣れた友人の声がした。

私は鞄の金具を止めてから、呆れたように笑った。


「もう、シノイったらまた?毎日行ってるし私お金ないよ」

「いいよいいよ!私バイトしてるしお金あるから!」


シノイは私の親友。いじめられっ子でいつも一人ぼっちな私と、たった1人仲良くしてくれる女の子。

歌を歌うのが大好きで、コミュニティを卒業したらムジカになってアイドルになるのが夢だそうだ。

私はこうして毎日、カラオケに連れて行かれる。

私自身もシノイと歌う時間が大好きだった。

私はシノイに手を引かれるまま部屋から片足を出した時、背中に何か小さなものがぶつかる。


「まーたカラオケかよ。気持ち悪い声のくせに、シノイが優しいからって調子乗ってんのダッサ」

「あ…」


部屋の手前の机に何人かが腰掛けて、私たちを見てけらけら笑っている。私は自分の足元に落ちた紙屑を拾った。


「どうしてそんなこと言うの⁉︎リリの声はとっても綺麗でしょ!リリのことを悪く言うなら私が許さない!」


シノイが睨むと、私をいじめる連中は不平をぼやきながら退散して行った。


「…ごめんね、私なんかのために」

「リリももっと自分に自信持たないとダメよ!私はリリとリリの声が大好き。私がアイドルになるときだって一緒にユニットを組むんだから!」

「シノイ…」


シノイは私の両手をぎゅっと握って安心させながら、優しく微笑んでくれた。

シノイの優しさに、胸のあたりが熱くなって涙が出そうになる。


「ありがとう。ふふ、いっぱい歌ってこようね!」

「もちろんよ!」


私たちは手を繋いで部屋を出て、帰路に着いた。


私の声は、端的に言うと、低い。

周りの女の子に比べても、目を瞑って聞いたら男の子かと思ったとよく言われるし、私の声は浮く。

私はずっとこの声と言葉少なな性格でいじめられていた。


でも、シノイはそんな私を誰よりも愛してくれた。

シノイがいればどんな辛いことでも耐えられた。

友達はシノイだけでいいと思っていた。


コミュニティを卒業した後、シノイはムジカの手術を受けた。

彼女はとても愛らしく、ムジカになった後はらさらに歌声に魅力が増したように感じた。


「シノイ、すごくいいよ。私、ファン1号だね」


歌の練習をするシノイの横に座り、私は微笑みながら拍手した。

するとシノイはその言葉を聞いて途端に不機嫌な顔をした。


「ダメよ、ファンじゃなくてリリは私とユニットを組むのよ!……ムジカになるのはたくさんしんどいことあると思うけど、私と一緒よ!リリもムジカになって欲しいな」

「えっ…わ、私は…」


私はシノイの熱心な瞳から目を逸らした。


「私はダメだよ…シノイと違って可愛くないし、声だって汚いし。自信がないよ」

「ああ、リリ…どうしてそんなに自信がないの…?あなたをいじめる子たちのせい?それなら私があなたを守るから。ねえ聞いて…あなたは素敵よ」


目を合わせてくるシノイに、私は困ったように笑ってみせた。

たくさんの人に愛されてきた優しくて可愛いシノイには、私の気持ちなんてわからない。そんな思考に辿り着く自分に気づいて更に自分のことが嫌いになる。


せめて、この声が変われば。




あれから、1年経った。

私はゴッドツリーへ飛び、今、ウェスタンツリーのムジカ研究所に向かうバスに揺られている。

大切な親友の見舞いに行くのだ。


バスが研究所の前に着くと、開いたドアから飛び出して広い研究所の入り口に足を踏み入れた。

受付の女性に事情を話すと、シノイの元へ案内してくれた。


エレベーターで地下25階まで降りる。

消毒液のなんとも不快な匂いで満ちた廊下をしばらく歩くと、シノイのいる病室にたどり着く。

病室を案内人が開けたら、広い空間の真ん中に、たくさんの点滴用の薬が入ったパックに囲まれている一台のベッドが目につく。


「シノイ‼︎」


駆け寄り、点滴パックを倒さないように慎重に少しどかし、のぞいた骨張った細く白い手に縋り付くように自分の手を乗せた。

シノイは身体中に点滴の針が刺されている。

手首と足首は鉄の枷で固定されているが、足首も手首もとても細くなっており、すり抜けてしまいそうだった。

シノイは、生きているというより、生かされている、という印象であった。

シノイの手を覆う私の手に、はたりはたりと熱い水滴が落ちる。無駄に広い真っ白な病室には無機質な機械音と私の啜り泣く声だけが響く。


「…………リリ…?」


とても小さな掠れた声だったが、確かに自分のあだ名を呼ぶその声の主を、私は驚いた顔で見た。

シノイは僅かに口角を上げ、目尻を下げていた。


「来てくれたんだね………リリ。どう…?私と…アイ…ドル…してくれる…………気持ちには、なっ…た?」

「バカ…!こんな時まで何言ってるのよ!私のことなんか待ってないで、シノイはシノイで活動すれば、こんなことには…!」


シノイは僅かに向けていた私への目線に哀しみを含ませた後、天井へとその視点を移した。


「……できないよ。私……リリとアイドルが…したかったの。あなたへ、最後まで、私の気持ちは…届かなかったけれど。本当に私は……あなたの声が好きだった。あなたが…大好きだった。」


私は自分の不甲斐なさに泣きながら首を横に振る。

すると、シノイは指を少しだけ動かした。


「手を、握って?」


私はシノイの手をぎゅっと握った。

シノイの手にも私の涙が垂れている。


「お願いが…あるの。私の1番の、夢は、ダメだったけど。2番目の夢は、まだ、叶えられるから」

「何⁉︎」


私の指の間に、シノイはするりするりと自分の指を絡ませようとする。その冷たく、私を勇気づけるために握ってくれたあの時の手の何倍も細くなってしまった指に、さらに嗚咽が出そうになる。


「…私の声を……もらって欲しい。それで…思い切り歌って、アイドルになって…?そうしたら私、リリとアイドルになれる」

「な、何言ってっ―――‼︎」

「私ね、リリが目標だった」

「え…?」


呆然としている私を、シノイは微笑んで見ていた。


「リリのハスキーで強い、歌声が、私も欲しかった……みんなの中にもリリの声が好きだった人…いたはずだよ。でも、言えなかったんだよ……みんな、辛い目に遭いたくないから。

私も、怖かったけど、リリを失う方が怖かったから、戦ったよ」

「どうして、そこまで……」


突然、シノイの手が私を振り払った。

鉄の枷が大きな音を立てる。私は驚いて後ろに尻餅をついた。


「ご…ごめん…はは…なんかね、知らない、私の中にいる悪魔かお化けかが……暴れるの。すっごく体が痛くて、気づくと自分が自分じゃないみたいになって……怖いね、ムジカの極限空腹状態――――うあっ!」


裏返ったシノイの悲鳴はその苦痛と、狂気を持ち合わせていた。


「………もう時間がない。私が私として、リリにお話しできる最期の時間、全部使ってお願いする。お願いっ……私の声をもらって、アイドルになって輝いて…!おねがっ……」


無機質に等間隔で同じ音を出していた機械は、突如警報音のような大きな音を出し始めた。

入口の方で黙って待機していた案内人と、警報を聞きつけた警備員たちが私の元へ走ってきて、私の腕を引き寄せた。

あまりにも思い切り引き寄せるので、シノイに繋がっていた何本かの点滴が抜け、耳をつん裂くような音を立てて倒れる。


シノイは苦しそうに何か聞き取れない言葉を叫びながらもがいている。私はただ青ざめた顔でそれを見ていた。

研究員の人たちが彼女を一斉に囲い始め、私を庇うように立っていた警備員たちは彼女に銃を向けた。


「やめてッ!シノイをころさないで!お願い!シノイがいないと、私…!」

「リリ……!答えて……!早く……!」


シノイが呻き声を混ぜながら私を呼ぶ。

ここでシノイのお願いを断ったら、私は人の形をした悪魔だろう。私は彼女の目をしっかり見て答えた。


「わかった………!」


研究員たちの間から見えたシノイの顔は、穏やかに見えた。

しかし、私たちにもう時間はなく、警備員たちは私を羽交い締めにしながら引きずり外に出した。


「先生たち……頼んでいたこと、どうか、お願いします」


最後に聞いたシノイの言葉は、そうだった気がした。





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