Chapter1 笑顔を目指すフルコース 2話


二人が新しい店に入ると、まだ何も設置されていない空間に大きな段ボールがたくさん無造作に積んであった。


「え、なにこれ」

「あー、適当に家具とか必要そうなもの買っといた。気に入らなかったら捨てていい。でも荷解きめんどいからオレやんない〜」


ジャコウは「さっさと料理しようぜ〜」と言いながら段ボールをするりと避けてカウンターテーブルの奥のキッチンへ向かった。

ロワンは段ボールをペタペタ触りながら口を開けたままでいる。


「な…なぁなぁ、ジャコくんってさ、なんか金持ち…?」


ジャコウはキッチンからロワンのもとに戻ってきた。


「…色々やってきたからなんか好きなもの買えるくらいには金持ってるだけだよ。ほら、調理器具かせよ」

「な、何やってきたの…⁉︎」


ジャコウはロワンから調理器具の入った鞄と買ってきた食材を受け取るとまたキッチンに戻っていく。


「なんの想像してるか知らんけど別に俗に言うやましい事はしてねえよ。真っ当にお仕事してきたの。会社の社長したりモデルやったりまぁ色々」

「しゃ、社長ぉ⁉い、今お前何歳なの…?︎」

「23」

「おな、お、同い年…」


平然と語るジャコウに、ロワンは口が塞がらない。

自分だったら武勇伝のように語りたいレベルの身の上話じゃないか。


「なー、早くやろうぜ〜」

「なんでそんなの辞めちゃったの⁉︎将来安定すぎるでしょ‼︎」


ジャコウはめんどくさそうに首の後ろを掻きながら息を吐いた。


「だから飽きたからやめたの!オレは常に自分のしたいことしてたいから」


(か〜〜〜っ…まさに天才の悩みというか天才の豪遊って感じで羨ましい〜っ!)


ロワンはジャコウに見えないように唇を噛みながら1人拳を突き上げていた。


「お前は違うの?」

「え?」


ロワンがふとジャコウの方に向き直ると、ジャコウがまっすぐ見つめていた。


「お前はオレと、好きなことするためにあの店を出たんじゃなかったの?」

「……えっと…」


なんで自分はここで新しい店を立ち上げようとしているんだっけ。


破門されたから?

行き場がないから?

その場の勢い?


頭に浮かぶ理由はそれくらいだった。

でもどれをその問いの答えに当てはめても、上手くハマらないような、どこかでつっかえているような、そんなモヤモヤした気持ちになった。


(好きなこと……?俺がしたいことって……なんだっけ…)


ロワンがしばらく黙っていると、ジャコウがロワンの頭の上にぽんと手を置いた。


「まぁいいわ。早く料理しよーぜ」

「……う、うん」


ロワンはジャコウと共にキッチンへ向かった。





「じゃあまずはこれ作ってみて!お前見ただけで作れちゃうんだろ?…あっ、下スクロール禁止!レシピ書いてあるから!」

「んあー、何。この赤いの、ミートソースだな。ふーん」


ロワンの見せる料理の写真を見て、ジャコウは「ふんふん」と呟きながら食材を漁り、ぽいぽいとシンクの隣の台に無造作に置いていく。

ひとしきり置き終わると、もう写真は見ず、さくさくテンポ良く調理を進めていく。


「え、お前これ作ったことある?」

「ない。」


ジャコウはフライパンでミートソースを作っている。

あっという間にそれっぽいものが出来上がっていく。

ちゃんと良い香りだ。


(それにしてもほんと、何しても絵になるよな…)


絹のように艶やかでさらりとした髪の間からのぞくエメラルドの瞳が、ちらちらと髪に反射して宝石のように光る。

つい見惚れてしまっていたところ、ロワンはジャコウと目が合ってしまう。


「そんなに見張ってなくてもちゃんと出来るってーの、ほい、パスタに乗せてっ…と」


ロワンは我に返って目を逸らすが、ミートソースの香りにまた視線が引き寄せられた。


「わっ…すご…本当にできちゃった…あ、味は…⁉︎」


ジャコウが皿を配膳するより先にロワンは皿を自分の方へ引き寄せフォークを取り出し食べ始めた。


「一応ちょっと味見はしたぜ。まぁ…再現出来てるかはしらねーけど味はいいと思う」


その完成度は非常に高かった。

買ってきた食材に無かったものなどは入っていないのでそれはどうにもならなかったが、それがあれば100点満点の完成度と言っていいだろう。

ロワンは夢中で食べた。


「…………お腹いっぱいにならない…」

「ムジカだからな」


ロワンはその時少しだけ後悔した。

自分にとって食事はライフワークのうちの最大の楽しみで、またその食事で得られる満腹感も最大の楽しみのエッセンスだと考えているからだ。


「てか…逆にどんどんお腹空いてくるんだけど…何これ…」

「ムジカだからな。感情エネルギーが尽きてくるとそりゃ腹は減るさ。逆にこういう食事じゃ"お腹いっぱい"を感じられない。………いや、これ研究所で最初に教えられただろ」

「……なんか難しそうだなと思って聞き流してた…」

「ワンワンくんはまともそうでたまにすんげーバカな。」


ミートソースパスタがかつて盛られていた皿の横で突っ伏して、体質の変化に打ちひしがれていると、それを覗くようにジャコウもカウンターテーブルに肘をついて姿勢を低くした。


「よし、そんじゃあ栄養取りにライブしに行こうぜ」

「…はぁ⁉︎」


驚いて立ちあがろうとするが、急な空腹に耐えられずロワンは少しふらつく。しかしそんなロワンを他所にジャコウは人懐こくニッと笑いながらロワンの手を引いた。


「ムジカになったらパフォーマンスして腹膨らますんだよ。

行こうぜ!」

「いや、いやいやいや、俺全然練習とかしてないし知ってる曲歌うので精一杯だし…!もしこけてしらけて二度と見てもらえなくなったらどーすんだよ…!」


ロワンのマイナス思考に、ジャコウは軽く呆れてため息を吐く。


「なんのためのミューズだよ。足りねえとこはミューズで補えばいいだろ。」

「でもでも、俺のミューズ…なんか大したことないし…」


引かれる手を引き返しながらも、どんどん苦痛が増していく腹部に手を当て、空腹以外に何も考えられなくなっていく。

ジャコウはそんなロワンをしばらく見据えた。


「じゃー、一回オレが1人でパフォーマンスするから、お前は客になって見てろ。」

「え…」


不思議そうな目をしているロワンにジャコウは悪戯っぽく笑って見せた。


「ぜって〜〜にお前もう舞台に立ちたくなるパフォーマンスしてやっから!」


なんだかその笑顔を見ていると不思議と自分にも力が湧いてくるような気がした。


「てかそういう約束だしな」

「うぐ…そうでしたね…」





2人はポートパークに来ていた。

ポートパークにあるミニステージは、誰でも自由に立って使って良いことになっている。

しょっちゅうここで何かをやっているムジカたちを横目に見ていたことはあったけれど、まさか自分がその立場になるとはとロワンは感慨に耽りながらステージの客席側に立っていた。


「ロワーン!立ち位置これでどうかな」

「あー、いいと思うよー!」


ジャコウの簡単なステージ設営を手伝いながら、ロワンは視線を背中に感じていた。


(こいつ目立つなぁ…)


ジャコウは全身ほぼ黒色で纏めていながらさらにサングラスもかけており、比較的目立たない服装のはずだが、さすがモデルをやっていただけあって小さな黄色い歓声が時折聞こえてくる。目立つのだ。


(こいつと並ぶの、やだなぁ…)


ロワンがため息をついていると、ジャコウは準備ができたらしく大きく両手を振った。


「ロワン行くぞ‼︎ちゃんとそこで見てろ‼︎あ、好きな時に上がってきていいからなこっち‼︎」


元気よくそう叫ぶジャコウに、ロワンは軽く手を振り、音楽の再生ボタンを押した。


「――っ⁉︎」


音始まった途端、ジャコウの顔つきが変わった。

あの不敵な笑みは変わらず残したまま、本当にスイッチが切り替わったように雰囲気がキリッと変わる。

ジャコウだけではなく、ジャコウを取り巻く空気も変わったように感じる。肌がビリリと痺れた。


歌声はやんちゃで、その中に男性特有の色気もある、耳を惹く歌声だった。


パフォーマンスは、体の柔軟さが表れる滑らかで且つキレのあるダンスで、時折挟むウインクには胸を射抜かれそうになる。


気づいたら、ロワンの周りには沢山の人が集まっていた。


ジャコウの身体を、金色の光が取り巻き始めた。

それは徐々にジャコウから離れてゆき、客席の方に流星のように飛んでゆき、宙で金粉となって降り注いだ。


それを浴びた観客たちを見てロワンは驚いた。

全員その場に満たされた顔をしながらどさどさと座り込んでしまったからだ。


「な、な、何⁉︎」

「ロワンこっち来い!」


ジャコウに呼ばれ、ロワンは言われるがままジャコウと共にステージに上がった。


「わー⁉︎まってまって俺なんも出来ないのに上がっちゃった!どうしようーーッ⁉︎」

「落ち着けって!」


ジャコウに肩を揺すられ、ジャコウの指差す客席の方に目を遣ると、みんな惚けていて、誰も気にしていないようであった。


「ね、ねえ…ジャコくんこれどういう状況なの?」

「はーー…制御が難しい…オレのミューズのせいだ」

「え、ジャコくんのミューズってどういう…」


ただならぬ状況に、パトロール中の警察隊がこちらをちらちら見ている。


「うーん一旦退散だ退散‼︎」

「ちょっと説明してよー!」


ステージを降りて手を引かれるままロワンとジャコウは店に走って戻って行った。





「スピーカーとか置いてきちゃったけど…」


息を切らしながら段ボールの山にもたれかかり、ロワンはカウンターテーブルに肘をかけて同じように肩で息をしているジャコウを見た。

正直空腹の上に全力疾走の疲労が重なり、ロワンはかなり限界であった。


「悪かったな、大口叩いといて」


ジャコウは項垂れるロワンに、一本、非常用のエナジードリンクを手渡した。

少し目を伏せて横に視線を送って目を合わせないジャコウに驚きながらも、ロワンは「ありがとう」とお礼を述べそれを受け取り飲む。


「オレのミューズ、『コージーポイズン』。

聞いた相手にめちゃくちゃ強い快楽を与えるんだ。"気持ちよく"なって聴いたやつは腰砕けになる。」

「……な、なんか…下ネタ…?」

「殴るぞ」


ロワンはジャコウが拳を掲げる振りをするのを、顔の前に手を寄せて「ごめんごめん」と軽く謝りながら制止する。


「でもそれって…とってもすごくない?聴いた人たちが嫌がることって絶対ないわけじゃん?」

「それはそうだけど、みんな曲の途中で腑抜けちゃって全然楽しくねーし。それに一応オレのミューズ毒なんだよ。あんま受けるとムジカはともかく人間の体にはよくない。だから上手く制御して使いこなす必要があるんだけど…」

「へーえ…」


ロワンは、深くため息をついて前髪を怠そうに掻き上げるジャコウを、意外そうな目で見ていた。


(ミューズって人に害を与えるものもあるんだ…もっとこう、キラキラした無害な夢みたいな魔法ってイメージあったな)


「てか、ジャコくんって自分が楽しければ他の奴らなんてどうでもいいぜぎゃはは〜!って感じの人だと思ってた」

「失礼過ぎるだろお前…」


ロワンは少し考え込む。

ジャコウの料理の腕は確かだった。あまり当てにしたくはないが、彼の貯金があれば暫くは新しい自分の店の維持は何があっても大丈夫そうだ。

彼がこのまま協力してくれれば店はなんとかなる。


(問題は…)


ロワンはエナジードリンクを飲んで少し持ち直したが未だに空いたままの腹をさする。


「体調は?大丈夫か?」

「…うん、エナドリ飲んだから一応大丈夫」


ジャコウは少し安心したのかホッと小さく息を吐いてからキッチンの方へ向かっていった。


ジャコウはあれほど実力があり、あれほど求心力があればムジカとして十分に生きることができるだろう。

彼がなんで自分を誘い、こんなに気にかけてくれるのかわからなくなるばかりのロワンは、ふと手を握ったり広げたりした。


もしもあの時彼について行かないで、師の元に戻り謝れば、普通に食事を取れば十分にお腹が膨れたし、こんな思いもしないで済んだ、はずだ。


でも自分はそれでよかったのか。

感情的に判断すれば良くなかったし、感情を挟まなければそんなのついて行かない方がよかったに決まっている。

ムジカになって生きていくなんて枷を自らつけているようなものだ。

自分はならないで、なって成功してる人を遠くから見て楽しむのが合っていただろう。


「はいお待ち。へへ!即席麺!こういうのなんかあんま美味しくねえのに美味しいよな」


もたれかかっている段ボールの上にちょこんとカップ麺が置かれる。

小気味良い音を立てながらカウンターで同じカップ麺を食べているジャコウに対して、その問いは無意識に口から出ていた。


「ジャコくんは…失敗するのが怖くないの?」

「あ?」


一度溢れ出したらもう止まらなかった。


「もし何かが変わるきっかけがあっても、それで失敗して人生を棒に振る結末になったらどうしようとか、考えないの?そんなふうになるくらいなら今のままでいいとか、そういう風に思うことはないの?」


ジャコウは訝しげな表情になる。


「あァ?んなの、失敗しなきゃいい話だろ。失敗したとしても生きてりゃ全力であれこれ考えてまた持ち直せるし。嫌んなったら辞めてまた好きなことすりゃいんだよ。

『やんなきゃよかった』より『やればよかった』のほうが取り返せねえしな」


立派過ぎる。

ロワンはぐっと床についていた手に力を込めた。


「ジャコくんは…めちゃくちゃ器用で才能に満ち溢れているからそんなこと言えるんだよ」


ロワンのその呟きに、ジャコウはピクリと眉を動かした。


「…お前、後悔してんのかよ」

「してるよ‼︎お前なんかに着いてかなきゃよかったって思ってるよ‼︎」


勢いよく立ち上がって喚くロワンに対して、ジャコウは冷静だった。全く動じず、見定めるのような瞳でロワンを見つめていた。


「でも、着いてきたのお前だし、一緒に店やろうって言ったのもお前じゃん。オレの腕掴み返してきてまでさ」


ヒュッと空気を飲み込む。

何も言えなかった。その通りだからだ。


「…っ!あの時はちょっと冷静じゃなかったんだ!」

「冷静じゃなかったにしても、何か考えてそうしたんだろ。どうしてそうしたんだよ。」


ジャコウの宝石のような瞳がちらりと光る。

ロワンは目を泳がせながらゆっくり口を開いた。


「……お前に行って欲しくなかったから…なんだか、そこでお前と別れたら、すっごく後悔する気がした、から…」


自分の口から出てくる言葉に驚いた。

それを口にして初めて、胸に広がっていたモヤが少し晴れたような気がした。


「なんだ、どっちにしろ後悔するんじゃねえか」


ジャコウが呆れたように笑いをこぼしながら箸を置いてこちらに近づいてくる。

ロワンも、自分でもなんだか笑えてきて「はは…」と乾き切った笑いをこぼした。


「じゃ、いいじゃねえか。『しなきゃよかった』は取り返せばなんとかなる!オレがいれば絶対なんとかなる!」


ジャコウは「だろ⁉︎」と自信満々な笑顔でロワンの頭をぐしゃぐしゃ撫でた。


「…ほんとに意味わかんないけど、ジャコくんにそう言われたらほんとに大丈夫な気がしちゃうよ」


不満が残る顔でロワンがそう言うと、ジャコウはロワンに視線の高さを合わせてまた口を開いた。


「オレだって適当なヤツ誘ってアイドル始めたわけじゃねえぜ。オレは、ロワンが良くて誘ったんだからな」

「え…」


思わずジャコウと目を合わせると、ジャコウは狙ったようにロワンの目の前でパンと手を打った。


「ぅわ⁉︎」

「なぁオレロワンのミューズまだ知らねえんだけど!教えろよ見せろよ!」

「き、急だなまた…!お、俺のはちょっと拍子抜けするほど弱いというか…だから…」


ロワンがモジモジしていると、ジャコウはロワンから少し後退りして離れると、その場に座った。


「よし、オレが客だ。オレだけのためにライブしてみろ」

「む、無理だよ〜〜ッ⁉︎」

「んなこと言ってらんねーだろ!オレ相手だったらぜってえ滑らねえから安心しろ!」


ロワンはぐっと一度口を噤んでから、ハッと一度に息を吐くと、咳払いを一つした。

そして、息を思い切り吸い、メロディーを紡ぎ始めた。

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