Chapter1 笑顔を目指すフルコース 1話

「師匠!俺はやっぱり…師匠の味は変わってしまったように思えます!」



青年のその一声の後、換気扇が回る音と、スープの入った鍋を温めている火の音のみが、沈黙から厨房を守ってくれている。


そこはツリーズポートの、港の景観が美しい通りに建つ小さなレストランであった。

表の入り口の看板はまだクローズのまま。開店前の料理の下準備の時間だ。


しかしその店では今、誰一人として手を動かしていなかった。

と言うよりも皆、動きが固まっていた。


「……ロワン、もう一度同じことを言ってみろ、お前は破門だぞ。」


一人違うコック服を着た初老の男は、低い声で唸るようにそう言い、ロワンと呼ばれた青年を睨みつけた。

しかし、ロワンは怯まなかった。


「破門でもなんでもいい、俺はこれ以上大好きだった師匠の味が退化していくのを黙って見てられない!

オムライスにかけるソース、最近味が濃すぎて最後まで食べてられません!これはお客さんも言ってるんですよ⁉︎自分でお気づきにならないんですか⁉︎」


ロワンはその勢いのままにカタカタと蓋を鳴らすスープの入った鍋を指差す。


「あのスープもそう!ランチメニューにつけるスープです!俺も師匠に弟子入りする前、あのスープの味に感動したものです。大体の店はランチメニューにつけるスープなんて余った食材の出来合いなのでオマケ感が否めませんけど、俺はあのスープの繊細な味…師匠があのスープでさえ本気でこだわって作る姿勢に!感動したんです!


なのに…!最近はもう俺が憧れた味じゃない!正直その辺の店のスープの方が美味しいくらいだ!」


初老のコック長の顔がワナワナと茹蛸のように赤くなり、怒りに震えていくのを見た周りのアルバイトや料理人たちは恐れて一歩引き、ロワンを止めようと視線を送る。

しかしロワンは全く怯まない。


「…加齢による衰えでもしできなくなってしまってきているのなら俺たちを頼ってください!俺なら師匠のあの味を取り戻せます!お願いします、俺たちをもっと信じて――」

「うるさい‼︎もうたくさんだ‼︎だいたい飯が口に合わないならこなければいい話だ‼︎」

「っ!そんな―――」


横暴を言い出す嘗ての憧れの師に、怒りよりも悲しみが溢れショックを受けていると、ロワンの肩をぐいと引き下げ、黒い影が間に入ってきた。


「あー、こんなとこにあんじゃんメシ。いたっきやーす」


黒い影は、コック長が開店前に作って置いていたオムライスのソースに指を突っ込み、その指をペロリと舐めた。

ロワンはゆっくりつま先から頭の先までそれを見ると、それは長身のスラリとした男で、黒いVネックの7部丈のシャツがよく似合っている。


あまりにも想像がつかない展開にだれも理解が追いつかず、口の中で舌を回しながら何か考えるようにしているその男に誰も対応できないでいた。


ハッと自分を我に返らせ、ロワンは前に出て男の腕を掴み自分の方へ引き寄せた。


「おい!あんた何なんだ!うちで働いてるもんじゃないだろ⁉︎」

「ほー…これ、面白いな!パテルナの種子が隠し味で入ってるわけだ」

「は…⁉︎」


男はロワンが見えていないかのように一瞬も目を合わさず、その手を振り払い、今度はコック長の前に立った。


「な…なんなんだお前は…!営業妨害だ!警備システムに連絡するぞ!」


男は自分の顎を少し撫でながら、コック長に視線を合わせた。

コック長はその男の丸いサングラスの向こう側で光るエメラルド色の瞳に吸い込まれるような感覚を受け、少し怯んだ。


「ねーねー、パテルナってさ、ドームの外に生えてる毒花でしょ?だからさ、むちゃくちゃ毒性が強いし、つかドームの外にでてこれ取ってくるってだけですげー大変だしさ、めちゃくちゃお金かかる食材じゃん?すげーよな。これ、大体の店じゃあ香り付けにほんの少しかけるくらいなのにさ、ここじゃあこんなにガッツリ使ってんだから。え?この花の味しかしねーくらいにはさぁ?な、おもしれーよなぁ」


ニィと笑った男はソースの入ったカップをシンクでひっくり返して見せた。

ソースはねっとりとカップの壁にその色を残しながら排水口へ消えていく。

コック長は青ざめて何か叫んだ。


「隠し味ってさぁ、メインの味を引き立たせるためにその正体がわからないくらいの存在感で使うものだよな?俺そんな詳しくねーからさ、違ったらわりーんだけど。

それがメインの味を押し退けてメインになってちゃそりゃ不味いんだよなぁ。こんなん食えたもんじゃねーぜ?」

「おい…おい‼︎何してくれるんだ‼︎お前‼︎もう我慢ならん、警備システムに今から繋ぐから‼︎」


コック長は男を押し退けて厨房の壁掛けのモニターへと指を伸ばした。

しかし男にその腕を取られてしまう。


「待てよ待てよ。こっちは感謝して欲しいくらいだぜ?

開店時間過ぎても一向に開かないしさぁこの店。みーんな腹空かせて店の前で待ってんのによぉ。だから俺が開けたげて全員中に案内して、その上お料理にお客さんとして貴重な意見申し上げてるのに、営業妨害はひどくねえ?」

「え、お客さんもう入ってるの⁉︎」


アルバイトや料理人たちはその男の言葉に、慌てて持ち場へ着き厨房に騒がしさを取り戻させた。


「ほらほら!お前さんの弟子たちはよくわかってんじゃん!お客さん来たら早く美味しいご飯提供するために忙しなく動くのがプロってもんだろ。警備システムなんか呼んでる暇あったら手動かしてコックさんの仕事しろ」


ひらひらと手を振りながらコック長の腕を離し、男は厨房の出口に戻っていった。

コック長は顔を真っ赤にしながら壁を一発殴ると、足音を荒げながら調理場に戻った。


投げ捨てようと手に取っていたコック帽を片手に、呆然とロワンが立ち尽くしていると、「あ、そーだ!」と言いながら男が戻ってきた。


「破門のにーちゃんよ、一緒に行くぞー」

「あ、ちょっ!」


ガッシリ手首を掴まれ、ロワンはこけそうになりながら男に引っ張られ一緒に厨房から出た。





厨房から一番近い出口は店の裏口で、二人は室外機のじめじめとした温風の当たる場所で一度その足を止めた。


「お前の声聞いた瞬間からめっちゃいいなーと思ってたんだよ。破門ラッキー!一緒にアイドルやろうぜ、ワンワン!」


(破門…?らっきー…?ワンワン…?)


ロワンはあまりにも嵐のような目まぐるしい展開に頭の中で目を回していた。


「…そ…うだ…」

「あ?おい、大丈夫かよ」


ロワンは突然顔を上げると男の両肩を掴んで思い切り揺らした。


「ぅえ⁉︎な、何―――」

「そうだよ!俺、破門されちゃったよーーッ‼︎どうしようーッ⁉︎うわーーんっ‼︎」


ロワンは顔色を真っ青にして助けを求めるような瞳で男の肩をぐわんぐわんと揺らした。


「ま、待って!おい!気持ち悪いからそれ!やめてくれ!」

「お前のせいだろ〜っ‼︎なんてことしてくれるんだよ〜っ!あそこで謝ってたら俺まだ戻れてたかもしれないのに!お前と出てきちゃったらもう戻れないだろ、バカー‼︎」


しばらく二人して喚いていたが、急に男の方がぴたりと何も言わなくなり、冷めたような目でロワンの手を押し返し払った。


「…あー、なんかもうダル。いいわ。」

「は…?」


後頭部を軽く掻きながら、男は大通りへ出て行こうとする。

ロワンは慌てて彼の腕をとった。


「…何」

「えっ?えっと…あの、その…」


心底面倒そうな男の視線に、ロワンはたじろぐ。

自分でもなんで引き止めたのかよくわからず、しかし「なんでもない」とその手を離す気にもならなかった。


「……あっ、あーーっ!そうだ!なぁ、さっきよくパテルナってわかったね⁉︎俺も最初師匠のオムライスを食べた時にめちゃくちゃあのソースがうまくてさ、どこでも食べたことない味で…パテルナが入ってることに気づいた時はマジで驚いたんだけど…」

「あ?あー…」


男はロワンの方に向き直ってくれた。

とりあえず引き止めることはできた、とロワンは少し安心する。


「…お前の言う最初のあのおっさんの作ったソースの味を知らんけど、もっと分量抑えてたらいい味になってたんだろうなとは思ったよ。で?」

「で⁉︎で…で、えっと…」

「あのさぁ…もうオレこの飯屋に興味ないんだけど。」


ロワンは必死にこの男を引き止める言葉を捻り出そうとする。

何も浮かばない。

何も浮かばなかった結果、その言葉を放った。


「………ここに興味ないのなら、"俺"には興味、ある?」


男は少し目を開いた。


「俺、お前とアイドル?やってもいいよ。でもそのかわり、お願いがある」


ロワンの試すような、まっすぐな瞳に、男もしっかり向き直ってロワンに対面した。


「そのかわり、俺と―――」





「やっっっっば…………」

「こんなちいせえとこでいーの?」


ロワンは男と、前いたレストランよりもひと回り大きく、またさらに見晴らしの良い戸建の前にいた。


「あ、ありがとう過ぎる…!ありがとう!えっと……えっと…うわごめん、名前…」

「オレ、ジャコウ」

「ジャコ?」

「ジャ・コ・ウ‼︎」


ロワンはジャコウの手を取りぶんぶん上下に振り回してお礼をする。


「で、オレとの約束は?」

「もちろんやる!でもお前、新しい店……っまでくれるのは良い誤算だったけど…この店で俺と一緒に厨房立つのが約束だからな!俺との約束、これからだからな!」

「わーってるよ…で、オレとの約束は?」

「やるって言ってるだろ‼︎‼︎アイドルだろ?ムジカにも昨日なってきた」


ロワンは胸に手をポンと当てて得意げに鼻息を出した。


ロワンは、舌が優れている器用なジャコウに、一緒に店を立ち上げて経営をするということを条件に、ジャコウの要件である一緒にアイドルをやることを引き受けることにした。


ジャコウにとっては、ムジカはたまにメディアで見かけるくらいで全く気に留めたこともない存在であった。

音楽が好きでムジカになりに来たという人も相当な覚悟でそれになると言うし、ロワンにとってもそれは例外ではなかった。


しかし、ロワンはそれ以上に、不思議とジャコウとの出会いを手放したくなかったのだ。


このジャコウとかいう男。

ぐいぐい来る時と冷めている時の差が激しく、まさにジェットコースターのような男である。さらにはよく喋るくせに自分の身の上話は、ここまで聞くまで自分の名前すら言わなかったように、全然しない。


スラリと身体の線が美しく、エメラルド色の瞳を閉じ込める睫毛も長く、妖艶さもあるまさに美男という言葉がふさわしい見た目をしている。

それに加えて即座に一軒の、しかも立地も良い物件を買い取れるほど懐が厚い。その前に自称『料理なんてよくわからん素人』があんなにも的確に料理を批評する他、聞いてみたら見ただけで大体はなんでも作れると言う。

オールマイティー過ぎて、謎は深まるばかりだ。


「おいおいワンワンくん?そんなにオレのことじろじろ見つめて…申し訳ねーけどオレお前のことは友達としかお前ねえんだよなぁ…」

「ばっ!変な誤解しないでよ!…とにかく、ここで店を構えるために、お前の料理の腕を見極めとく必要がある!さっそくキッチンに向かうよ!そのために適当に材料も買ってきたからな!」

「はいはい。オレが飽きたらオレの方の約束の番だかんな!」

「それほんとジャコくんしか許されないからね…」

「おいオレの事雑魚っていうな!」


二人は出会って数日とは思えない会話のラリーを披露しながら新しい店の中へと入って行った。

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