Chapter1 星屑は瞬いて 4話
「ハァ…ハァ…」
持ってきたペットボトルを思い切り傾けるが、喉を潤せる量の水はもう残っていなく、ポツリとチヒロの喉に落ちた一滴のみであった。
「お、おい…君…もう限界なんじゃ…」
「…ま、まだ、…ユが来てないから…ユは絶っ…るから…!」
チヒロは掠れる声で搾り出して観客に答えると、咳き込んだ。
あたりの観客たちはざわつき、チヒロの言う男の名前を叫ぶ者もいる。
チヒロは何回か咳払いをしてから、また息を吸う。
「タユに届けなきゃいけないんだ…僕の歌…!」
しかしもう声が出ない。
その場に座り込んで不甲斐なさに地面を殴る。
「チヒロくん‼︎」
ずっと待ち望んでいた声にチヒロは目を見開き、顔を上げる。
声が裏返ってもチヒロの名を呼びながら、タユが息を上げながら走ってくる。
チヒロが駆け寄りたくても膝が笑って座り込んだままでいるとタユが彼の目の前で躓いてチヒロに抱きつくようにして二人で倒れ込んだ。
「…はは、研究所の時と逆だね」
「チヒロくん…っ!何してんだよ…‼︎」
タユがボロボロ泣きながらチヒロの首元にぐりぐりと頭を押し付ける。
チヒロはびっくりしてしばらくポカンとしていた。
「ここで……歌っていた。僕は…たくさんの人に自分の歌を届けたいけど、目の前の大切な友達一人にさえ届かないようじゃ…ダメだからさ」
「…なんでそんな無茶するんだよ…僕なんかのために…!」
チヒロはそれを聞いてムッとし、タユの頬を両手で挟んで自分の顔の高さに持ち上げた。
「僕の大切な友達のこと、"なんか"とか言うな!」
「…‼︎」
チヒロは頬を膨らませていたが、タユの驚いた表情をしばらく見た後、糸が解けたように微笑んだ。
「よかった、無事で…嫌われちゃったのかなって心配してた。タユ、全部諦めたみたいな顔してたから、もしかしたら…死んじゃうかもって焦った、すごく、ドキドキしてた。
だからね…タユの声が、ふふ、裏返るくらいおっきな声出して僕の名前呼んでくれたタユの声聞こえた時、泣いちゃいそうになった。よかったーって。
でも笑顔でいなきゃタユが心配しちゃうでしょ?だから我慢してたのに…タユが泣いてんだもん」
タユは静かにそれを聞いていた。
チヒロも瞳に涙を浮かべている。
タユは彼を再び抱きしめた。
「…ずっと弱くて、カッコ悪いところばかり見せてごめん。
僕はずっと別の夢を、血だらけになりながら追いかけて、それでも届かなくて、打ちのめされて、もう終わりにするために…ムジカになろうと、ここに来たんだ。
でも、君と出会って、夢に直向きな君を見て、すごく、ものすごく恥ずかしくなった。その一方で、君の夢についていってみたい、とも思った。
僕はまだ、君の輝きに打ち消されてしまうほど淡い光しか放つことができないけど。それでも絶対に君の横に並べる自分になるから、だから!」
タユは初めて、真っ直ぐチヒロに目を合わせた。
「僕と…僕と一緒に、また、歌ってください…!」
チヒロはしばらくタユの目を真っ直ぐ見据えてから、ふっと吹き出した。
「そんなの、当たり前じゃん!てか、まだ一度もステージだって歌ってないよ」
「あ、そ、そっか…」
チヒロはにっこり微笑んで立ち上がりタユの腕を掴み上げ立ち上がらせた。
「タユが来てくれたから、さっきまで僕限界だったけど、こんなに元気になったよ!」
「ほ、本当に…?」
タユが訝しげにチヒロを凝視すると、チヒロは少しだけ眉を顰めた。
「…ほんとはちょっと喉が痛いけど、一曲くらいならいける。ほんとだよ」
タユは心配そうに彼をしばらく見ていたが、チヒロがそんなタユに向かって力強く頷いたら、少し安心したように表情を緩めた。
そして、タユも力強く頷き返す。
「僕たちの初ライブ、してみよっか!」
「うん!」
タユとチヒロは観客の方へ体を向ける。
手を繋いだまま、数秒目を閉じて、深呼吸する。
観客のざわつきが少しずつおさまってゆき、注目が集まっているのを瞼越しにも感じる。
「始めよう、僕たちの新しいスタート!」
チヒロはそう静かに言い放つと、息を一気に吸い、曲の始まりを歌い始めた。
チヒロの歌声はポートパークを一陣の風のように吹き抜けた。
観客たちの空気が一瞬で変わっていくのがわかる。
(チヒロくん…やっぱりすごい。)
タユは拭いきれない劣等感に胸が少し痛んだ。
(…僕はこの嫉妬も、全部受け入れる。今はチヒロくんには勝てない。……うんん、勝ち負けなんてどうでもいい。聞いてる?僕。僕はチヒロくんよりすごくなりたいんじゃなくて、チヒロくんとすごくなりたいんだよ。だから嫉妬なんてする必要ないんだよ)
タユは振り付けを間違えないように慎重にステップを踏みながら、少し下を向いて自分に言い聞かせていた。
(僕は―――幸せだ!)
タユは自分のソロパートが回ってきて、しっかり前を見据え、チヒロの前に出る。
タユの歌声はまだ少し小さかったが、伴奏には負けておらず、その優しくて柔らかく、穏やかながら芯の通った繊細な歌声は伸びゆく草木のようであった。
(タユ…やっぱり、すごく歌が上手い…!すごく優しい顔で歌ってて、楽しそう…!)
チヒロはタユの後ろから彼の横顔を見る。
サビにかけて二人で歌いながらターンで同じ位置に並びサビを一緒に歌う。そのパートに近づき、チヒロはいつもそこで間違えていたタユを思い出しタユの方に注意を向けた。
(――ここ!)
チヒロがターンをして前に出る。それと同時にタユもターンをしてチヒロに場所を譲り、二人並ぶことができた。
初めて本番でミスなくサビに移れた喜びに、二人で顔を見合わせ思わず目を大きく開いて輝かせた。
「…すごい、あの子たち、楽しそう」
「青い髪の子なんてさっき死にそうなくらいヘトヘトだったのに…」
「ムジカってあんなにキラキラしてるんだ…」
観客たちが二人のミューズの輝きを浴びて感動している。
(あれ…?なんだか体が軽くなっていく気がする…!)
初めてたくさんの感情エネルギーを吸収した二人は調子を上げて大きく舞う。
「――よし、ここで!」
チヒロの足元から青い光が溢れ、チヒロの背中に小さな羽が生える。チヒロは翼をはためかせ飛ぼうとした。
しかし、足が地面から離れない。
(うそ、飛べない⁉︎)
チヒロの様子がおかしいのをタユはすぐに気づき、その瞬間ぐっと左手で右手首を掴んで右手にミューズの力を集中させる。
「チヒロくん!」
チヒロがタユの方へ向くと、タユの右手の先から、観客たちの頭上の真ん中に橋を架けるように、キラキラと輝く天の河の如く星の道が描かれた。
観客たちはその美しさにわっと歓声を上げた。
「タユ…!」
「僕のミューズだ!これを使って…!」
(タユの作ってくれた…道…!)
チヒロがタユの描いた星の道に触れると、背中の羽が青い光を撒きながら羽ばたき、その道に降り立った。
タユのミューズは実体があるわけではないが、チヒロはその足元の星の道にタユの力が上昇気流のように溢れているを感じる。
「…!ありがとう!タユ!」
タユは小さく頷く。
チヒロは星の道を駆けながら歌い、観客たちに手を振った。
タユも歌いながら、ミューズで曲にあった様々なものの形を描き、空中に解き放つ。それは若草色の光を撒きながらチヒロの周りを舞ったり、観客の近くまで光の軌跡を描いて飛び、小さな花火のように弾け散る。
チヒロが中心で歌い、タユは歌いながら美しい演出で観客のボルテージを引き上げる。
そんな彼らの初ライブは、大成功に終わった。
ライブが終わる頃には、チヒロもタユも感情エネルギーをたくさん得られたおかげで始まる前よりも元気になっていた。
観客の拍手を受け、二人ともしばらく真っ白になり呆然としていたが、状況を頭で整理できた頃に、深く頭を下げた。
「タユ!」
「チヒロくん!」
二人で顔を見合わせて同時にニッと笑い、手首を交わした。
☆
「それで、タユのことを助けてくれたその子は今どこにいるの?」
「家にいると思うけど…今日はもう一回寮に帰ろうよ、チヒロくん」
「そだね」
二人は仲良く帰路についていた。
「あのね、ちょっと考えたんだけど、タユに僕らの歌の歌詞書いてもらえないかなって。どうかな?」
「え、僕が⁉︎」
タユは驚いて足を止める。
チヒロはその様子を見て子犬のように上目遣いでタユを見た。
「小説が書けるタユなら僕が思いつかない表現とかもできると思って…それにさっきのライブでも、タユのミューズの演出、打ち合わせとかもしてなかったのに完璧ですごかったし…!ダメかな…?」
タユは少し恥ずかしそうに目を逸らして頬を掻いた。
「…う、うぅん、僕で務まるかわからないけど…やってみる…!でも、それなら歌詞をつけるオリジナル曲も必要だよね」
「わ‼︎ありがとう‼︎でもそうだね…曲…僕が書けたらいいんだけど…」
二人で腕を組み考え込む。
するとタユが思い出したように「あっ!」と突然大きな声を出した。
「な、何!何か策があるの⁉︎」
「ある…!試してみなきゃわからないんだけど…」
☆
「無理。帰って。オレは人が歌う曲は書かないの」
「そこをなんとか‼︎」
扉を閉まらないように支えながら、リージアは頭を深く下げているチヒロとタユの後頭部を苛々した様子で見下ろしている。
「大体…お前らはオレに借りがあるくらいだろ。オレがお前を助けたのは気まぐれだし、オレはそんなに何度も困ってる人に手を差し伸べるようなお優しい人ではないんだけど」
「でも…!チヒロくんの歌はすごいんだ!きっと君も聴いたらわかるよ、もっと色んな歌を歌って欲しいって思うから」
「タユ…」
リージアは深くため息をつく。
「聴いたよ。お前らのライブ、撮影してシェアモニで配信してる人がいたからそれ見てた」
「え、見てくれてたの⁉︎」
「た、たまたま見かけたから!」
リージアは少し顔を赤くしてそう言うと、気を取り直すように咳払いをした。
「たしかに、初めてにしちゃ大成功だとは思うし、チヒロ?だっけ?も声はいいと思ったよ。けど、息継ぎのタイミングが不自然だったしロングトーンの部分伸ばしきれてないし、タユだって歌に一生懸命過ぎてちょっとステップが遅れてるし、まだまだだね」
二人はポカンと呆けた表情をしてリージアの話を聞いていた。
「リージア…めちゃくちゃちゃんと聴いててくれたんだね…!」
「だ!だから!たまたまだって言ってるだろ!」
リージアはまた咳払いをすると扉を半分閉める。
「とにかく!オレは人の歌う曲は作らないから!いいな!他のやつ頼れ!作曲家のムジカなんてたくさんいるんだから、じゃーな!」
二人の制止も聞かず、それきりリージアは扉を閉めて出てこなくなった。
廊下に立ち尽くした二人は、困った顔を合わせた。
「どうしようか…無理強いはこれ以上はしたくないし…」
「ごめん…リージアの作る曲、とってもキラキラしててかっこいいからいい案かなぁって思ったんだけど…」
「誰のせいでもないよ!ほら、寮出たら別の家探さないといけないし、アルバイト探しがてらゆっくり考えよう!」
「うん…」
名残惜しそうに何度もリージアの住む部屋を振り向きながら、タユもチヒロに続いてアパートを後にする。
リージアは、扉に背をつけたまま俯いていた。
「誰かのために、誰かが歌う曲を作るなんて、そんなの…もうできっこない…」
リージアは1人、震える腕を両手で抱えるようにして玄関に座り込んだ。
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