Chapter1 星屑は瞬いて 3話

チヒロの純粋無垢な輝く瞳を向けられた時、

ああ間違ったな、と思った。


タユは窓の外の星空を1人眺めていた。

向かいのベッドでは、チヒロが静かに寝息をたてている。


「あーあ…眠れる気がしない」


タユは窓際にもたれかかって、漏れる夜の光に少し目を細めていた。


自分はムジカになって、どうしたかったのだろうか。


小さな頃、ゴッドツリーの伝説を記した本を読んでから、物書きにのめり込み、そのまま二桁目が2になる歳にまで成長してしまった。

あの頃から夢は一つ、小説家になって今度は自分が誰かに影響を与えられる文章を書くことだった。

そのために、いろんなものを犠牲にした。

たくさんのヒットしている小説などの文学を読み込み、文体を真似したり、研究してどんな話の運びが誰かの心を打つことができるのか考えたり、コミュニティに顔を出さず引きこもった。


両親にも大きな迷惑をかけたと思っている。

自分が小説家になることを何回反対されたかなんてもう覚えていない。

両親は反対しながらも、タユを支えてくれていた。

何か小説のコンテストが開催されるのを見かけたら積極的にタユに知らせた。その合間合間に就職を勧めるため求人紙も渡していたが、タユは全て破り捨てていた。


自分に才能がないのはわかっていた。

何度も何度も書き直して、何度も何度も読み直して面白いと思った作品を提出しても、こんなの平凡過ぎて読んだ後に何も残らない、そんな感想と原稿がそのまま返ってくるだけ。

自分の全てが否定される感覚を、何度もこの身に刷り込まれた。


疲弊して苦しみ、憎しみ、全てに苛立ちながら歯を食いしばって小説を書くタユに耐えられなくなった両親は、タユをリビングに呼び、"応援"の期限をつけた。


20歳までに夢が叶わなかったら、違う仕事に就職しなさい、と。


あとはもう、ここにいるこの自分がどうなったかを物語っている。

何も変わらなかった。

血眼で寝る間も惜しんで、書いて書いて書きまくったが、書けば書くほど何が書きたいのか、何のために自分はこんなに必死になっているのかがわからなくなり、考えれば考えるほど惨めで、何度一人で泣いたかすらわからない。


生きている限り自分は小説家の夢に取り憑かれてしまって書くことをやめられない。

もう嫌なのに。

だからタユはせめて、憧れのゴッドツリーで命を絶ちたいと思い、ムジカになるためここに来た。


なのに、チヒロに出会ってからめちゃくちゃだ。


『…僕、は、あのね、僕の地元の人が、僕の歌を聴いて喜んでくれたのが嬉しくて、それでね、歌うのが好きだから、世界中の人に聴いて欲しいって思って、ここに来た』


それを聞いた時、彼にムジカに何故なるのかを問うたことを後悔した。

当たり前なのに。

みんな音楽活動をしたくてムジカになりにきた。

夢を終わらせるために来た自分と、夢を始めにきたチヒロを自然と比較してしまい、そうするとその輝きを受けた自分の影が色濃くなるようでとても辛かった。

あの時吐かなかった自分を褒めたいくらいに。


でも、あの時夢を語り、自分と一緒にユニットを組みたいと満面の笑みで言ったチヒロに対して、自分もこれから変われるかもしれない、何かが変わるかもしれない、と枯れた心に雨粒が数滴落ちてきたような、そんな希望が微かに生まれたのも嘘ではなかった。


チヒロのミューズを見て、歌声を聴いて、生まれて初めて感動のための涙が込み上げてきたのも嘘ではない。

彼に感化されたのも嘘ではない。

自分もあの美しいミューズを出すことができるのではないかと高揚したのも、本当の気持ち。


でも、ずっと引きこもってきたせいで、ダンスも思うように踊れなければ、全く大きな声で歌えない自分に、失望してしまった。

研究所で歌った時も、ちらりと思い出してしまった。自分のムジカになりにきた理由を。

そうしたら足元の光がナイフへと変わって自分へと向かってきた。


あの後、ミューズの所見をチヒロの分まで渡されたタユは、ヤキに言われていた。


『あなたのミューズについては、あなたから説明しなさい。あの子が、"あれはあなたの意志だ"と知ったら傷つくでしょうから。あの子を傷つけないように説明しなさい。』


チヒロのミューズは『ウイング』。

エネルギーを羽へと変化させて飛ぶことができる、美しいミューズだ。


タユのミューズは、

『ドロウ』。

自分の思い描いたものを宙に映し出し、自由に動かせるというものらしい。

小説家を目指していたタユにとって、その才能は書くことではなく描く方にあったと言わんばかりの皮肉的なミューズで、タユは自分の空回り加減に反吐が出そうになった。


でも、言えない。

あんなに希望に満ちているチヒロに。

自分は終わるためにムジカになったなんて。

あの時のミューズは暴走じゃなくてしっかり自分の意志であっただなんて。


そんなことを思いながら窓の外を眺めているうちに、星空に薄明かりが差して、夜明けを告げる朝日が登ってきた。


「…起きよう」





「くそっ…!」


チヒロが去った後、ボールルームの壁を力一杯拳で突く。


なんでこんなにも自分は無力なのだろう。

アイドルに関してはまだ始めたばかりで無力なのも仕方ないとはわかっている。これから頑張ればいいことも。

しかし、チヒロがキラキラと夢に一直線な姿でいるところを見ていると、自分の不甲斐なさや、チヒロの溢れる才能に当てられてどうしても苦しくなる。

惨めだと、何で自分はこんなにも、と。


それでも、あんなにも自分に真っ直ぐに向き合ってくれた友人は初めてで、彼の力になりたいと思う自分もいた。

感情エネルギーは体内のストレスに弱いそうで、タユの感じている強いストレスは何もしていなくても感情エネルギーを殺し、ミューズを表出するエネルギーはもうほぼなかった。

タユは少しよろめきながらも歩いて、ポートパークへ向かった。


ポートパークに入ると、メロディーが聴こえてきた。

聴いた事のあるメロディーだ。

周りを見渡すと人だかりができている。

何かと見に行くとその中心には、チヒロがいて、元気いっぱいにパフォーマンスをしていた。


あの時チヒロから生えた羽と同じ色の鳥が一羽、辺りを飛び回って光る粉を観客の頭の上に降らし、チヒロを中心にあたりはキラキラと輝いていた。


それは間違いなく希望そのものだった。

しかし、タユの心の内には墨のような真っ黒い何かがじんわりと広がっていった。


(自分がいなくても、やっぱり大丈夫なんだ、あの子も)


パフォーマンスがおわって駆け寄ってきた彼に、どんな顔を向けていたか覚えていない。

今はこの涙でぐちゃぐちゃで、真っ黒い自分を、あの子の汚れにならないように遠ざけなければ、その一心で苦しみを抑えながら走り続ける。


チヒロの追随がないのを確認し、よろめきながら路地裏に雪崩れ込む。すうっと意識がなくなっていくのがわかる。

よかった。あの人が言っていたみたいに苦しく醜い死に方はせずに済むみたいだ、と、そう思いながら瞳に闇を宿した。





「おい。」


腹を蹴り上げられた。

驚いて身を捩る。ぼんやりとピントが合わない目で、足の主を確認しようと見上げる。

白いぶかぶかのパーカーのフードを被った小柄な少年だった。


「な…なに…」

「こんなとこで寝るな。オレの家の前にこれ以上ムジカの死体が増えんのはやなんだよ」


少年がくいっと動かした顎の方向を見ると、壁を背に力なく座り込んでいる人と、膝を抱えて座り込んでいる人に虫が集っているのを確認し、タユは小さく悲鳴をあげた。


「…あれ、でもなんでムジカってわかるの…?ムジカって見た目は完全にただの人間で…」

「オレは割とムジカで成功してるし力のコントロールも慣れてるから感覚でわかるんだよ。…お前人間が書いてる論文しか読んでないルーキームジカだろ」

「ル、ルーキー…ムジカ…?」


フードの少年は大きくため息をつくと、その顔をずいとタユに近づけた。

少年はとても美麗な顔立ちで、琥珀色に輝く瞳に、桃色の髪が差し掛かっていてつい見惚れてしまう。


「…オレの気まぐれに感謝するんだな。一旦オレのうち上がっていけ。つかってない非常用エナジードリンクが割とあるからさ。」

「…い、いらない。このまま死んじゃっても別にいいから」


タユが痛む腹をぎゅっと手で掴みながら顔を背けると、少年は思い切りタユの胸ぐらを掴み上げた。


「それで絶対に後悔しないならオレがこの手で今葬ってやるよ。さぁ言え!本当に後悔しないか⁉︎


死にてえやつはみんな死んだらまた母親の腹から生まれて赤ん坊からやり直せると思ってんだよ。この先幸せになれるかもしれない可能性だって捨てて、生まれ変わったら生まれた瞬間殺されるちっせえ虫ケラになる可能性だってあるんだぞ⁉︎


死ぬってそんなにいいことかよ、あぁ⁉︎」


少年は大きな目を吊り上げて怒鳴った。

片手には果物ナイフを携えている。

少年の剣幕に気圧されてタユは歯を食いしばって彼から目を逸らさないことしかできなかった。


「……もらった命だって自覚がねえからそんな自害なんて甘ったれた選択肢が思い浮かぶんだよ。

本当に話が聞けねえやつはそんな目すらできねんだから、お前はまだ後悔があるはずだ。

これが怖いだろ」


スッと目の前にナイフを出され、タユは仰け反った。

その瞬間少年がタユから手を離したのでタユはそのまま地面に尻餅をついた。


「まともな反論できねえならうちに来い、いいな」


少年が路地裏側の建物の裏口の戸を開けてタユを睨み付ける。


タユは少しの間反論を考えたが、ずっとその間睨み続けられて怯んでしまい、少年に続いて中に入った。





少年の部屋は薄暗かった。遮光カーテンで窓は閉ざされ、生活感のあるものは必要最低限しか揃っておらず、その代わりにたくさんの音楽機材がデスクを中心に広がっておかれていた。


「オレの仮眠用のソファベッドだけど、そこ座って」

「あ、はい…」


タユがソファベッドに座ると、少年はデスクの元にあった大きなゲーミングチェアに乗ったままそれを転がしてタユの前に来た。


「オレ、リージアって言う。お前は?」

「あっ…と、タユって言います…」

「なーあ、お前絶対オレより年上だろ。いいよ、タメで」

「あ、はい、あ、うん……」


リージアは席を立って全然使われてなさそうな台所に行き、冷蔵庫から瓶を2本取り出すと、そのうちの1本をタユに渡した。


「はい。ちゃんと1本分飲めよ」

「あ、ありがとう…リージアも飲むの?」

「は?オレはこれ、オレンジジュースですけど」


瓶の上部を持ち、下部分を揺らして見せるとリージアはオレンジジュースをゴクゴクと酒を飲み干すように一気に飲んだ。

それが余りにも爽快なので、おかしくてタユは少し吹き出してしまった。


「オレンジジュースって…なんか、可愛い。リージアってもっとキツい味のドリンク飲みそうって印象だったから」

「はぁ⁉︎んだよそれ、オレンジジュースバカにすんなよ!」


リージアの大真面目な反論がタユにはおかしくてケラケラ笑った。もらったエナジードリンクのおかげもあってか、だいぶ精神状態が落ち着いてきた。


「リージアは、何をしているムジカなの?」

「ん、オレ?」


リージアは得意げに椅子をスライドさせてデスクに戻ると、軽くタイピングし、ホログラムのディスプレイを4つほど出した。


「オレは、ゲームbgmの作曲家をしてるよ。"Rz(リズ)"って知ってる?」

「…!へえ…すごいなぁ…でもごめん、Rzさんは知らないかも…」

「なんだよー!オレ結構有名なんだぞ。あー…例えば…ほら、これとか」


リージアはもう一つディスプレイを出した。

そこには、あまりゲームに詳しくないタユでも知っているシリーズものの人気ゲームが出てきた。


「わ!これなら知ってるよ!僕も3は小さい頃やった」

「3の頃はオレも小さかったからさすがに作ってないけど…7からはオレ、ラスボス戦のbgmも作曲担当してるんだよ!ほら見て見て、O Tubeの再生数、400万回超え!」

「すごいね…」


路地裏で助けられた時は、厳格で、人と馴れ合わない性格のように思えたが、こんなに人懐こくて年相応に無邪気に笑う子だとは、タユは思っていなかった。こっちが本当の彼の性格なのだろう。ならどうしてあんな表情でタユを睨んだのか。


(きっと…何か辛いことが昔あったのかな…)


「リージア…君はどうしてムジカに?」


笑顔で話していたリージアはスッと無表情に戻ってしまった。タユは悪いことを聞いてしまったかと何かつづけて言おうとしたが、リージアは首を横に振ってそれを止めた。


「別に、音楽が好きだから、それだけ続けるためになっただけだから。親には反対されたけどね。音楽ができないオレは、オレじゃないから。」

「…それだけ?本当に?」

「お前にそれ以上話す義理はない」


リージアはタユにナイフを翳した時と同じ表情をしていた。

タユがまたたじろいでいるのを見て、リージアはため息をついてまた表情を緩めた。


「お前人の心配してる暇あんの?ちゃんと音楽活動でやってかなきゃエナジードリンクなんていくらでも貰えるもんじゃないんだぞ。」

「…君はわかってると思うけど、僕にはこれから生きていく自信も、死ぬ勇気もない。正直どうしていいか…」

「お前がムジカになったの、間違いだったな」


間違い。

そうだ、その通りだ。

こんなことならムジカになんかならないで、親のくれた求人誌もちゃんと見ておけばよかった。


(でも――)

タユはふと、チヒロの笑顔を思い出していた。

ムジカにならなければ、チヒロに出会えなかったし、チヒロの美しいミューズと歌声も知らないでいたかもしれない。


「そんなこと………ない」

「え?」


リージアは立ち上がったタユを少し驚いた表情で見上げた。


「嘘じゃ…ない。僕は…チヒロくんと歌ってみたかった。チヒロくんの輝きに負けちゃう僕が、僕自身が許せなくて、大嫌いで…つらくて…逃げちゃった…」


タユは、ぼろぼろと拭っても拭っても瞳から溢れる涙で顔がぐしゃぐしゃになった。

リージアも立ち上がって、少し背伸びをしてタユの頭を優しく撫でた。


「…向き合わなきゃ。僕の弱いところと、向き合わなきゃ。

チヒロくんの側で歌うために。踊るために。――新しい僕を、始めるために」

「よし、今のお前、サイコーにいけてんぞ。」


リージアが歯を見せて微笑む。


「ありがとう、リージア。僕、戻る!」


扉に手をかけて、意志を強く持ったタユがリージアに手を振った。リージアは、タユが出て行った扉を、少し切なそうに見送った。



「歌いたい、か……」


リージアはデスクの上の、伏せておいていた写真立てを直した。


「…そうだな…レイジア」


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