第3話 夫は勘だけは良い
シャーペンを走らせる音 紙がめくれる音
コーヒーの苦み 本のニオイ
穏やかな仕事場に似つかわしくない音が響き
弾丸が頬をかすめる
柊斗真は小説家だ。彼の仕事部屋は大量の本とフィギュアそしてインクや道具が乱雑する机が置かれている。
書いている小説は数多くあれど、今は2つのシリーズを書いている。今大人気の恋愛漫画の原作と不思議な影の世界の物語。どちらも人気作品でファンからのメッセージもよく届く。
そんな今を輝く小説家の朝は早い。少なくとも10時には仕事机に向かっている。そして必ずそばには妻が入れたコーヒーがある。
彼は空間認識能力が一般の人より長けており、周りを五感で楽しみ、自身の刺激にし、BGMにしながら執筆している。そのため、音や気配に敏感なのだ。
そんな彼でも現役暗殺者の妻ヴェルカの足音や気配を感じ取ることは難しい。そのため感覚でいなすことはよくある。実際コーヒーをもらう際も…
今朝
「ミスター、コーヒーができてるぞ。」
「ありがとう。」
柊は妻が淹れたコーヒーを受け取ろうとしていた。料理が壊滅的な妻も飲み物ぐらいは作れる。彼女はお盆にカップの乗せて柊の元まで行くとお盆を右手で持ったまま、彼の視界から突然消えた。と、思うと足元に身を低くしたヴェルカがいて足払いをかける。盛大に転んだ柊の上にヴェルカが馬乗り状態になり、ナイフを胸めがけて突き立てる。
しかし、ナイフを握った手を握ることにより、柊は一命をとりとめた。
「いきなり危ないね。」
「なぜいつも私の攻撃を防ぐんだ。」
「そりゃ、簡単には殺させないよ。」
しかし危なかった。あともうちょっと反応が遅れてたら、完全に殺されていた。
「コーヒー、もらってもいいかな。」
「ああ」
ヴェルカは柊を起こし、カップを渡す。そして柊は一口飲んだ。
「うん。おいしいよ。」
そういうとヴェルカはお盆で顔を隠す。
少し気になった柊だったが、(ここで追及したら、また殺しに来るな。カップも持ってるから動きも鈍くなるし今は触れないでおこう。)と思い仕事場に向かう。これがこの夫婦の朝だ。
「そうだ。お昼前には呼んでね。ご飯作るから」
現在
彼は物音をBGMに筆を滑らせていた。
(だんだん乗ってきたぞ。この調子なら締め切りより余裕ができそうだ。)
そんなことを想っているとギィと異音が聞こえる。
彼には扉が開いた音か、きしむ音か判断はつかなかった。扉は木製のため、湿度等で異音がなることもある。
調子が乗っていた彼にとっては気分を害するものであった。
(あーあー、せっかく調子が乗ってたのに。まぁいい、アイディアは溢れかえっている。このぐらいの障害で僕を止めることなどできぬわ!)
しかし、彼は違和感を覚えた。少し嫌な予感がしたのだ。それでも、仕事に集中するために首を回そうと右に頭を傾けたその時
バァァン!!!
衝撃音と共に弾丸が彼の頬をかすめた。
慌てて後ろを振り返ると銃を構えたヴェルカが冷たい目でこちらを見ていた。
「なぜ毎度毎度避けれるんだ。」
「たまたまだよ。たまたま。」
「勘のいいやつだ。」
冷たい目でこちらを見てくる妻に恐怖を覚えながらも、堂々としておく。そうでないと隙を見せると殺られる。それでもヴェルカさんには見栄を張っているのはばれていると思うが。
「ならこれはどうだ?」
そういいながらヴェルカは僕の座っている椅子の足を撃った。足は壊れ、椅子が傾き、僕はバランスを崩した。
まずいこのままだと顔が地面に! そう思ったとたん体が勝手に動いた。地面に手をつき、受け身のように前転して、近くに会った本を盾代わりにした。作家が本を盾にするのもどうかとは思ったが、命のやりあいをしているときにそんなことは関係なかった。どうやらヴェルカの攻撃を防いできたことで、自然と受け身の方法を体が覚えていたようだ。人間の順応力に関心を覚えるが、銃声ですぐに現実に引き戻される。
「今日は妙にしぶといな。」
いつになくマジで殺しに来てるな。それでも100%の力ではないのだろうけど…
「そういう君も今日は妙にキレキレだね。動きも、感情も!」
不意を突いて突撃する。幸いそんなに距離が離れてるわけじゃない。ヴェルカもまさか僕が立ち向かってくるとは思ってなかったらしく一瞬反応が遅れた。
「そこだぁぁ!」
銃を持っている手をつかもうとした。間合いは完璧、腕も長さも考慮すれば確実に腕をつかむことができる。 そう思った矢先、やはり僕の詰めは甘いということを思い知った。
「やはりミスターは詰めが甘い。」
彼女の反応速度、銃を構える速さ、対応力の豊富さ、それを考慮していなかった。
彼女は確実に僕の額に銃口を向けていた。 背筋に嫌なものが走る。その銃口は彼女の瞳と同じで無機物めいていて、冷たかった。それと同時に憎悪と怒りと殺意が込められていた。
気づくのが遅すぎた。
遅すぎたんだ。
彼女の眼には、青い火の様に、冷たく鋭い明確な殺意が込められていることに
あまりの殺意と銃口への恐怖で体がぶれてしまった。そのせいで躓いて倒れそうになる。
それに気づいたヴェルカが僕を受け止めようとした結果。
おたがいハグをするような形になってしまった。このままではまずい!やられる!っと思って顔を上げると、殺意が消えた代わりに顔がリンゴのように真っ赤になったヴェルカがいた。
「ぁ、…えぁ、は…はぅ」
「えーと、ヴェルカさん?」
「あ…あつ、あちゅい!、は、離れろ!」
わたわたと僕を引きはがし、せわしなく銃をしまっている。
なんとか死なずに済んだようだ。
「なんか今日は妙に積極的だったね。」
「し、しるか!もう、今度こそ殺せると思っていたのに!なんであそこで転びそうになるんだ。」
どういう種類の怒られ方をされてるんだろう、僕は。そんなことを考えながら一応傷がないか確認していると、背中が妙にべとべとで気持ちが悪いこと気が付いた。
そういえば、仕事に熱中していて気が付かなかったが、今日は猛暑だったな。
「もしかして、暑さでイライラしてた?」
「な、私はこれでもプロだぞ!気温なんかで感情が爆発するわけ…」
ヴェルカの身体が大きく傾く
「おっと!」
とっさの反応でヴェルカを受け止める。息が荒くなっていて、明らかに顔色が悪かった。
「もしかして熱中症?!」
「そんなわけあるか」
「強がらないの!とりあえずリビングいくよ。」
ヴェルカをお姫様抱っこしてリビングに連れていく。
ヴェルカは暑さに弱い。熱いとイライラするし、殺気が強くなる。だから普段涼しさを感じれるものを置いているのだが、猛暑には勝てなかったようだ。
襲ってきた理由も八つ当たりだろう。
ひとまずヴェルカをソファに寝かせて、冷たい水と氷枕を準備する。ヴェルカの元に戻ると先ほどよりも顔色が悪かった。
「うう、ぅ」
「ヴェルカさん?」
「ん」
どうやら意識が途切れかけているようだ。
「口開けて。お水持ってきたから。」
彼女の頭の方に座り膝枕をした。そして水を飲ませる。
少し息が落ち着いてきたら、脇にペットボトルを挟ました。
「どう?」
「だいぶ楽になってきた。」
「はぁ、もうムリしないでね。」
ほぅっと一息付けた。仕事に浸るのもいいが、夫として妻の体調に気づけなかったのはよろしくないな。
「ムリもするだろう。私は暗殺者、おまえはターゲット。ターゲットに隙なんか見せられるか。」
「ターゲットである前に僕は君の夫だ。しんどい時はしんどいって言ってよ。僕を殺すのはちゃんと体調を万全にしてからでも遅くないよ。」
怒りがこみあげているのが分かった。まだ僕は妻には信頼されていない。この怒りは信頼してくれない妻と信頼に値しない自分へ向けたものだろう。
「だが」
「僕は逃げも隠れもしない。僕は君以外に殺される気はないからね。」
「ふん。簡単、には・・・殺らせて、くれない、くせ、に」
そういうと寝息を立て始めた。心地いい寝息が一定の間隔で聞こえてくる。だいぶ落ち着いたようだ。
この様子だと、お昼ご飯はそうめんになるかな。
その後、ヴェルカが起きて、膝枕されてることにまた顔を赤らめた。そしてなぜか怒られながらも2人でそうめんを食べた。
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