第2話 妻の仕事帰り
時間は鈴虫の声が聞こえる頃 時計の針は12時を指し示す
扉が開かれる。 音の導かれると闇の中には少女が立っている。
近寄ると首筋にナイフがあてられる。
僕の妻は殺し屋だ。会社員のように平日に仕事という感じではなく。依頼が入ると出かける。依頼によっては長いこと帰ってこないこともある。
今日は違った。
僕はいつ帰ってきてもいいように晩御飯の準備をすましていた。
窓を開けて鈴虫の音を聞きながら、ソファに座り、小説のアイディアが浮かんではメモ帳に書き込んでいた。
深夜12時
彼女は帰ってきた。扉がゆっくりと開いて閉じる音が聞こえる。
「今日は早かったな。」
独り言のように呟いて妻がいる玄関に行く。
しかし、リビングは明かりをつけいているからか、明かりのついていない玄関はあまりに暗すぎた。
そこに1人の少女が立っていた。しかしそこに生気はない。
まるでリビングが光の世界で、玄関が闇の世界。
彼女と僕の違いをつきつけるかのように明暗と音の静けさが空間を分断する。
しかしそんな境界線を僕はやすやすと喰いちぎる。
愛する妻を夫が労って何が悪い。中学2年生の反抗期のように世間に今だけ牙を向ける。
しかし、僕は仕事から帰ってきた彼女が一番危険だと知っている。
まだゾーンなのだ。
役者が、舞台が終わってもまだ役が抜けきらないかのように。彼女もまだ暗殺者モードだ。
だからゆっくりと近づく。警戒する猫に近づくように
彼女を少女のようだといつも思う。暗殺者モードの彼女はいつも猫背だ。腕も力が入っておらず、プラプラと遊んでいる。だから遠くから見ると小さく見える。
彼女の前に立つとどんな姿をしているかが分かる。
黒のスーツをきっちりと着こなしており、赤色のネクタイをしており。髪もポニーテールに結んでいる。そして全身血まみれだった。透き通るような綺麗な白色の髪も汚らわしい赤黒い血で汚れていた。
「おかえり」
言い終わった時、すでに僕の首筋にはナイフが突き立てられていた。しかし、僕は妻の手首をつかんで防いでいる。
鈴虫の声は聞こえない。僕は全五感を妻に向けている。今は妻しか見えていない。
必ず、妻は僕から見て右からナイフを首に突き立てようとする。これを避けてはいけない。避けると次の攻撃が来る。だから受け止める。これも彼女を愛してるが故の技だ。
これは言い過ぎではなく実際そうだ。彼女が本気でナイフを振れば、軌道なんか見えない。どこから出てきて、どういうルートを通って、どのぐらいの強さで当てに来るのか見えないのだ。ほんとに初めての時は驚いた。何度も繰り返すうちに彼女のこの攻撃だけは防げるようになったのだ。
彼女は帰ってきてからずっとブツブツ言っているが僕には聞こえない。しかしナイフを受け止めた後は聞こえる言葉で一言つぶやく。
「殺す」
おそらく彼女はまだ悪い夢を見てるのだ。だから、彼女をこちらの世界に連れ戻すのは僕の仕事だ。
彼女のナイフが握られた手を両手で包み、彼女の目線より下から瞳に向かって見上げる。思いが届くように祈りながら彼女に伝える。
「お仕事お疲れ様。頑張ったね。ほら、夕食できてるよ。あったかいココアも用意してある。でも、お疲れのようだからまずはお風呂に入ってゆったり休んで。」
何ら変わりない普通のセリフ。それでいいのだ。
「うん」
まだ生気を感じない声だが、さっきよりましだ。実際彼女には声は届かなかったのかもしれないが、トリガーになっていることは間違いない。この一言でいつも彼女は明るい世界へ歩き出す。
僕は手を放して靴をそろえる。
妻はペタリペタリと浴室に向かう。
ここまでしてようやく鈴虫の声が聞こえた。
しばらくすると妻がお風呂から出てきた。
リビングにつながる扉が開くとシャンプーのいい匂いがした。振り返ると兎柄の可愛らしいパジャマを着た妻が髪を乾かす用のタオルを肩にかけていた。
「おかえり」
仕事からなのか、意識の中からなのか、それともどちらも踏まえてなのか。どっちの意味合いでいうべきか悩むが、妻からすればどうでもいい問題だろう。
「ただいま」
ちゃんと答えてくれてよかった。やっとすべての緊張から解放された。
「夕飯は?」
「まだだ。」
「良かった。座ってて。今盛り付けるよ。」
いくらクールに見せようともヴェルカさんが来ているパジャマのせいで可愛らしく感じる。本当に雰囲気ががらりと変わるため同一人物か怪しく思う。
「何か今失礼なこと考えてなかったか?ミスター柊」
「いや、そんなことないよ。」
危ない危ない。
僕はキッチンに向かい、調理済みの料理を盛り付ける。ヴェルカさんが料理を待って静かに座り、僕は料理を盛り付け、鈴虫の歌が心地よく流れる。このゆったりとした時間が僕の大好きな時間だ。
「おまたせ」
2人前の料理を机に並べる。
「ミスター柊もまだ食べていなかったか。」
「ああ」
「先に食べていればよかっただろう。」
「一人で食べるより二人で食べたほうがおいしいだろ。」
「本当は?」
「ヴェルカさん、一人で食べると寂しいだろ。」
「本当は自分が寂しいだけじゃないのか?」
「ははは そうだね。…うん。きっと寂しかったんだと思う。」
「なんだそれ」
妻がこちらの瞳を覗いてくる。机に乗り出し、じっと見つめてくる。
「そんなにあたしに会いたかったのか?」
意地悪にニヤッとした笑顔を向けてくる。
先ほどのハイライトがない目とは打って変わって、キラキラとした輝く瞳、強調された胸、端正に整った顔。そんな破壊力抜群のワンショットが僕の瞳には映っていた。
僕をキュン死させる気か?
「悪いか?」
少し目をそらして、柄にもなく強い口調で反発する。
しかし、ヴェルカさんはなにも感じなかったのか「そうか」とだけ言って席に座りなおした。
「いただきます。」
ヴェルカさんは何事もなく食事を始める。
「今日は魚か」
僕も一応配慮がある。肉塊を血まみれにした後に肉なんか食べたくないだろうと、あえて魚料理にする。後は新鮮な野菜。今日のメニューはシーフードシチューだった。
パンをシチューにつけながらパクパクと食べる妻を見つめる。相変わらずおいしそうに食べる。いつまでもこの幸せのような時間が続きますように
「ほんとにお疲れ様」
ふいに頭をなでる。
「むぅ」
少し不機嫌そうな顔をするヴェルカさんを見るとまた「可愛い」と思ってしまい、幸せをかみしめた。
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