第9話 縄張り争い配信 その2



 声が降りかかる。


 人々の注目が否応にも高まる。


 味山は息を吐き、吸う。

 やましいことはしていない。

 なのにこの居心地の悪さはなんだろうか。


 味山がアレタを落ち着かせようとしてーー。




「チッ……もう来ましたか」



 え、何、それ。


 貴崎の小動物のように潤んでいた瞳が一瞬で乾き、その瞳から光が消えていた。



「あら、カワイイ舌打ちが聞こえたわ。どうしたの? リン・キサキ。何かプランにない事でも起きたのかしら?」



 そんな貴崎の変化など意にも介していない。

 アレタが挑発的な笑みを浮かべながら机にその細い腰をもたれかける。



 行儀が悪い。

 なんて注意できるはずもない。



《何が起きてるんだ?》

《wwwwやべえ、接続数、接続数見てwwww》

《探索配信でもないのに18万!?》

《ええ……》

《スカイ・ルーンの配信で同時生配信してるww、めちゃおもろい》

《今北産業》

《もうそれ今の子誰もわかんねえぞ》

《なんで急に法人名を……?》




「うふふ、いいえ。くしゃみしちゃっただけですよ。ミス・アレタ。少し耳が遠い…… いや、他人の会話だけはよく聞こえるらしいからお耳は良いのですね」


「ええ、そうなの。耳だけじゃないわ。何処かで嗅いだ、そうね、発情したネコみたいな匂いがしたものだから戻ってきたのだけれど、予想通りね。鼻もいいみたいよ、あたし」


「うふふ、汚い言葉。ご自身の匂いと勘違いされたのでは? 香水だけじゃ誤魔化せないものですよ? 体臭って」



《怖い》

《人ってこんなに綺麗な顔のまま喧嘩できるんだ……》

《すげえな笑いながら、互いにいつでもお前を殺せるって伝わるもんなんだ》

《探索者配信が出来てからドラマとか見なくなったけど、無理ねえな》

《現実が面白すぎる》

《アレタ様……怒ってる顔、オスみない……?》

《凛ちゃん……そんな顔も出来るんだ。かっこよ……》



 味山は急に店内の温度が数度下がったように感じる。


 ざわざわした喧騒は消え、あるのは張り詰める空気。酒場中の人間が皆一様にこのテーブルを眺めていた。



「おい、あれって、あの学生推薦組だよな」


「リン・キサキだ…… 半年で上級探索者に上り詰めた推薦組だ」


「おいおい、星屑野郎、アイツどれだけ見境いないんだ? 」


「見ろよ、アレタ・アシュフィールドにガンつけてやがる、上級探索者に過去最速で昇進した女はやっぱいかれてやがるな」


「おっぱいでかいな…… あとあのうなじも」


「ああ……良い。だがアレタ・アシュフィールドは脚と尻だ。2人はそれぞれ頂点の違う山なのでは?」


「くくく、やはりワシの勘は間違えていなかった…… 来おった、1ヶ月ぶりのスイーツ欲の悪魔…… お姉さん、追加…… バベルスイーツバイキング……1人!」




 潜めた声を味山の耳が拾う。



 アレタと貴崎は互いに微笑みながら、言葉を交わす。


「あら……これはごめんなさい。この前、お買い物に行った時、連れがいい匂いだって言ってくれた奴なの。お子様にはまだ早かったかな?」


「あなたと私の年齢差って3か4ですよねえ? 大人ぶりたいお年頃はそろそろ卒業してはいかがですかぁ? 20代に突入してるんですし」


「あは、そうね。ええ、確かに20代。年頃が近いとね、価値観とか常識が同じだから一緒に居てリラックス出来るの。あ、ごめんなさい、貴女には何のことかわからないわよね?」



 アレタがちらりと、こちらを見る。



 え、なんで、なんで、こっちを見るんだ?

 味山はもう何がなんだか分からない。

 もう家に帰ってお風呂に入りたい。



「あはは。価値観? 年齢なら私もすぐに近くなりますし。それにそれを言うなら、国。国籍とかどう思ってらっしゃいます? 申し訳ないですけど、距離で言えば圧倒的にこちらが近いのですが?」



 貴崎もまた、味山をちらり。


 グレンに助けを求めようとしても、すでに潰れて役には立たない。


 そうだ、配信。

 なんかV-TUBERとか、結構なんかゲーム配信とかで視聴者にアドバイスをーー。



《しんで、どうぞ》

《まさか、この2人のマウント合戦て……》

《いやあああああああ、考えたくない! アレタ様はねえ! 男には興味ないの! ヤ! メスの顔で独占欲出すアレタ様はヤ!……あれでも、やべ、めちゃ色気ある……》

《いやいやいやいや、凛ちゃんはさあ、なんか今日調子おかしいだけだからwwてかあれだよ、探索者の誇り的に52番目の星に挑んどる的な?》

《悲報・凡人野郎、52番目の星と最速の上級探索者のマウント合戦に巻き込まれる》

《羨ましい……》

《いや、言うほど羨ましいか? 多分コイツ、選択肢ミスると死ぬぞ》

《RIP》

《レストインピースで!!》



「ダメだ、使えねえコイツら」



《使えねえとはなんだ、お前はもう死ぬんだよ》

《可哀想、明日には出荷されるのね》

《はいはい、美人に取りあわれる俺すげーね。くっさ》

《マジ無理》

《じゃあ見るのやめろよ。ここは凡人野郎を眺めながら酒飲む配信だから》

《酒が美味え》

《チッヒ、これは?》

《ワイが知ってるのはヒト科の女同士の機微や。化け物のマウント合戦までは知らん》



「ほら、リン・キサキ。配信のコメント見てよ。貴女のファンはきっと驚いてるわ。普段の貴女と今の貴女、少しキャラ違うんじゃない?」


「あはは〜、創作意欲高めのお姉様方の王子様に言われると笑っちゃいそうです。最近どうやら、アレタ×夢女主の同人世界イベント開かれたとか?」


「ええ、光栄なことにね。あら、そう言えば貴女も、……ふふふ、ニホンのコミケ……? たしか、貴女によく似た探索者の女の子が、こう刺激的な目に合う本がたくさん出てたらしいわね?」


「えへへ〜、そうなんですよ。皆さん、絵がお上手で。実家に何冊かありますからお渡ししましょうか?」



《アッ》

《うそ、認知されてる?》

《ごめんなさいごめんなさいごめんなさい》

《やべえ、この2人、引かねえ》

《どんなメンタルしてらっしゃる?》

《探索者ってやっぱ普通と違うわ》

《見ろよ、夢小説イベントの神にされてる女と、同人の一ジャンルに祭り上げられてる女のメンチの斬り合いだ》

《イメージ少し変わるけど、俺、こっちの2人の方が好きかも》

《わかる、なんかガチ感があるよな》

《それはそれとして凡人野郎は死ね》

《100回氏ね》





 アレタと貴崎。


 微笑んでいるはずなのに朗らかな雰囲気は全くない。



 冷えたジョッキの表面、水滴が手のひらを濡らす。


「あら、それは楽しみ。でも、今はいいかな? それよりリン・キサキ、今あたし達、見ての通りチームでの打ち上げの最中なのだけれど? 部外者の参加は断ってるの」


「うふふ、あら、そうだったんですか? ごめんなさい。味山さんとグレンさんしかいらっしゃらなかったものだから…… 味山さん、私、お邪魔でしたか?」




 

 ここで俺に振るな!!


 喉の奥から叫びたい衝動を味山は抑える。


 潤んだ瞳でこちらを見つめる少女に味山はわずかにたじろいだ。


 アレタの顔は見ない。

 悪霊が確実に住んでいる墓穴の下を暴いて覗く度胸はない。



 クソ耳。ヒント出せ、ヒント。



 胸中のつぶやき。そして



 TIPS€ もうこれはダメかもしれんね



 このヒント、使えなさすぎる。

 味山はもう諦めて、一般常識に従うことにした。



「……悪い、貴崎。今日は遠慮してくれ。アシュフィールドが言ったように今はチームで飲んでんだ」


「……そう、ですか。……ごめんなさい、久しぶりに味山さんをお見かけしたものですから、少しはしゃぎ過ぎちゃいました。……うん、今日はこの辺で! グレンさんには悪いことしちゃいましたね!」



 たっと、貴崎が身体を跳ねるように席から立つ。

 アレタへ視線を送った後、ふわりと身体を動かした。


 うおっ。


 味山はいつ貴崎に顔を寄せられたのか分からない。足運びか、速度か。



 甘い果物に似た匂いが味山の鼻をくすぐる。


 味山の耳に貴崎のピンク色の唇が瞬いた。



「今日は邪魔されちゃいましたけど、また誘いに来ますから。味山さんからも遊びに誘ってくれたら嬉しいです。……話せて良かった」


「あ」


 味山が何やら返事をしようと思った瞬間、果物の匂いは離れる。



「じゃあ、また! 味山さん、おやすみなさい、良い夜を」



 流れるような動作でウインクして貴崎は酒場の出口へ消えていく。



 ポニーテールを揺らしながら嵐のように去った貴崎に向かい、味山は小さく手を振った。



「……リン・キサキがいたままの方が良かったかしら?」



「……意地悪言わないでくれよ、アシュフィールド。正直、助かった。いまいち貴崎のしたいことが俺にはわからん、昔組んでた時と最近は雰囲気が違う」


「……人間手に入れたものより失ったモノの方が惜しくなるんじゃないかしら。モノの良さを知ってれば知ってるほどね」



 アレタが小さく息を吐く。


 味山はアレタの言っていることがよくわからなかったが、とりあえず頷いておいた。



「まあ、どちらにせよお帰り。そこ座れよ。貴崎が座ってたけど、お前の席だろ?」



「……ええ、そうね。この場所はあたしのモノだもの。昔はどうか知らないけど、今と、これからはずっとあたしのモノ……」



 アレタがじとりとした目つきで貴崎が座っていた椅子を撫でる。



 ぐるぐるした瞳孔、蒼い瞳のそれはまるで捕まったら2度と抜け出せない渦潮に見えた。





 

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