第7話 居酒屋料理・だし巻き卵


 味山は人生の難しさを思う。

 なんか変な連中に絡まれたと思えば、今度は上司がヘソを曲げているからだ。



「ほらアシュフィールド、ヘソ曲げんなって。俺のだし巻き卵1つあげるから」



 味山は手近にある皿を差し出す。


 まだ誰も手をつけていないてらてらのだし巻き卵。これに大根おろしと醤油を少し垂らせば神の食べ物になる。



《コイツ、マジか》

《52番目の懐柔にだし巻き卵……?》

《俺たちが思ってるよりバカなのか?》



 しかし、アレタはふいっと顔を逸らす。


「美味しいぞ?」


 食べないんなら仕方ない、味山が皿を戻しながら箸で1つだし巻きをつまんだ。



「それ」


「あ?」


「それがいい」


「いや、だからほら。あげるって。大根おろしもつけていいから」


 なんだこいつ。味山は再び手元に戻した皿をアレタに向けて差し出す。


 金の髪がふるふると横に振るわれた。


 味山が怪訝な顔をすると



「……違う、タダヒトが今お箸でつまんでるのがいいの」


 消え入りそうな声とともに、アレタは味山が食べようとしてるだし巻き卵を指差した。



「なんだ、コイツ、わがままか? 怒るなよ、アシュフィールド」



《お前さあ……》

《なんなんだよ、お前は》

《俺たちは何を見せられてるんだ》

《アレタ様の目晒し赤面やばい。夢小説に新たな解釈が生まれた》

《いつもはアレ×夢主だけど、これ夢主×アレもいける……ってコト!?》

《貴女はあたしの側にいればいいのムーブが原点にして頂点のアレタ界隈のテンプレに、貴女の側にいさせてムーブも可能な訳……ね》

《ふーん、えっちじゃん》

《最大手サークルのミー・ラーク様の意見が聞きたい所だけど……》

《不思議ね、配信の日は決して現れないもの》

《ヒッ……なんか動画に影響されて地下から魔物が這い出た》

《石を持ち上げたらエグい虫が湧いてきたみたいだな》

《味山只人は要石だった……?》



「……ん、べ、別に怒ってるわけじゃないわ。でも、タダヒトがそこまでしたいなら別にしてもいいけど」


 髪の先をいじりながらアレタがブツブツと呟く。探索の時と違いその姿には覇気がない。いつもよりだいぶ小さく見えた。



「あ? 別にそんな言うほどしたくはーー」


「タダ! お前、死ぬ気か?」


「え?」


 グレンが端末の画面を開きそこを何度も指差している。


 そこにはやばい量のコメントが。

 味山の行動にバチバチの殺意を向けてきているものが多い。



「……アシュフィールド、ほら、だし巻き卵。是非食べてくださいお願いします」



 ネットのまとめサイトにまとめられるのは中々精神がキツイ。



「そ、そこまで、言うなら仕方ないわね。いいよ」


 髪の毛を耳にかけてから、アレタが目を瞑って口を小さく開けた。


 味山は箸でだし巻きを摘んだまま、ゆっくりとその薄い桜色の唇に近づけて



「……うん、美味しい」



 もぐ。

 アレタが差し出しただし巻きを咀嚼する。


 猫っ毛の金髪はパブの灯りを受け控えめにきらめく。真っ白な肌はアルコールの影響か、わずかに赤い。


 アーモンド型の切れ長の瞳が今はによによと丸まっていた。



 とびきりの美人が口元を押さえながら食べるその姿に味山はなんとなく満足感を覚えた。



「良かった、ここの組合本部の酒場は飯が美味いからな、少しは機嫌治ったか?」


「む。別に機嫌は元々いいわ。ただ、貴方がルーナにデレデレしてたから、どうかと思ってただけ」


「デレデレはしてねえよ。知らねえ人に絡まれてオドオドだよ」


 変な女だった。



 味山はさっきの乱入者のことを思い出しつつ、仲間の機嫌が戻った事に安心していた。



 そのまま箸でだし巻きをつまみ、ひょいと口に入れる。


 一口噛むたびにじゅわりと何重にも巻かれた卵糸から旨味の詰まったダシが溢れる。



 探索終わりの疲れた身体にしみる。あー、最高。次は大根おろしと醤油かけて塩気足しちゃお。



「うまい…… ん、どうしたアシュフィールド、まだいるのか?」



 味山はだし巻き卵に舌鼓を打ちつつこちらを見つめてくる視線に気付く。


「え! いや、ううん! 別にもう大丈夫よ! タダヒトの好物なんだから、タダヒトが食べて…… えと、タダヒトは気にならないの?」


「なにが? だし巻きに醤油をかけること? 大根おろし乗せること? あー、そうか、アメリカには大根おろしないから不思議かもしれないよな」



 味山は呟きながらまた、大根おろしをつまみ黄色のだし巻きの上に乗せる。醤油をひとさし、そのままだし巻きを口に運ぶ。



 うまい。



「あ、また…… う、ううん、別にタダヒトが気にならないのなら良いの…… はあ、あたし馬鹿みたい……」



 アレタがなにを言いたいのかがイマイチわからない。


 味山はビールの盃を傾ける。


 炭酸の刺激と、ホップの苦味が卵を喉に流し込む。たしかな満足感、決まった。



「ふむ、まあ邪魔者は去った。視聴者諸君には良い娯楽になったことを祈ろうか」


「そっすね。……うお、接続数が40万……飲み会してるだけなのに……これが、コンテンツ力……」


「当然さ、アレタが見れる放送媒体は数多くあれど、我々の配信動画に勝るリアルなものはないのだからね、まあそれを意識したいでふだん通りに振る舞う味山の勇気には敬意を抱くわけだが」



「馬鹿、やめろ。また俺だけが炎上する」


 ソフィを制止しつつ味山はふと席を見渡した。



 アレタ・アシュフィールド、52番目の星。


 ソフィ・M・クラーク、女史。


 グレン・ウォーカー、上級探索者。


 いずれもこの現代ダンジョンの現れた時代における有名人、アレタに至っては既に教科書に名前の載っている生ける伝説。


 改めて見ると、俺、だいぶ場違いだよな。


 凡人である味山は内心呟きながらジョッキを煽る。苦味と刺激が胃の底に溜まってゆく。


「まあ、なんにせよ。今日も我々は生き残った。それが何よりだよ。それにしても2人ともよく足止め出来ていたね。あれは感心した」


 ソフィがテーブルの上で手遊びしながら味山もグレンに紅玉の視線を向ける。



「いやー、でも割と間一髪でしたよ。俺なんか途中死にかけたっすもん。ねえ、タダ?」


「あー、あれは焦った。まさか透明になるとは思わないよな。偶々適当にぶん回した斧がクリーンヒットして良かったよ。あ…… そうか、ローン……」


 味山は話しながら自分が失ってしまった物を偲ぶ。どうしよう、3年ローンで買ったのに一瞬でぶっ壊れてしまった万能片手斧。



「……安心しなよ、アジヤマ。チームの経費で落としてやるさ、なあ、リーダー?」


「ええ、そうよ、タダヒト。ローンの払いに使えばいいわ」


「まじか、ありがてえ…… よし、じゃあ早速明日組合の武器屋でも行ってみるかな」


「タダ意外と金遣い荒いっすよねー、つーか大鷲の討伐でそんなにもらえるんすか?」



 グレンが給仕のスタッフに追加のおかわりを求めつつソフィに向けて問いかける。酒場の喧騒の中、スタッフが笑顔で注文を聞いていた。



「ああ、今回討伐した怪物種25号は組合により特異個体と認定されたからね。透明化が可能な個体だ。無理はないよ」


「やっぱかー。強かったすもんね、あいつ。まあでもアレタさんとセンセイが到着してからはものの数分で終わりましたけど」



 味山はあの狩りの結末を思い出す。


 自分とグレンがそれこそ命がけで足止めした化け物との決着は、指定探索者の到着を以って呆気なく完了した。



「アレタの投槍がメタを取れたね。大鷲はサイズこそ巨大だが、空を飛ぶために見た目以上に体組織がスカスカだ」



「ソフィもよくサポートしてくれたわ。何度見てもすごいわね、その鞭は。さすがは、遺物保持者ってところかしら?」


 2人の美人が笑い合う。


何しても絵になるな、コイツら。味

山は自分にはないオーラを肴にビールの残りを飲み干した。


「おまたせしましたー! 生ビールです!」


「はーい、はいはい、俺っす、お姉さん」


 グレンがスタッフからビールを受け取るのと、同時に端末の着信音が鳴り響く。



 ピピピ、ピピピ。



「おっと、失礼、ワタシの端末だね。……ふん。アレタ、少しいいかい? お手洗いに付き合ってくれ」


「え? ええ、問題ないわ。ごめんね、タダヒト、グレン。少し外すわ」



「おう、ごゆっくり」


「行ってらっしゃいでーす」



 アレタとソフィが連れ立って席を立つ。男2人はビールをちびりちびりと飲みつつその後ろ姿を見送った。



 インナーにジャケット、割と薄着の2人の背中をぼーと見つめる。



「アレタさん、後ろ姿から何から美人っすねー。みてくださいよ、あの長い脚! 周りの探索者の連中、みんな横目で盗み見してるし」


 味山はグレンに促され、手洗いへ向かうアレタを見送る。



 喧騒が満ちる酒場、しかしアレタとソフィの進路に近いテーブルは皆静かだ。


 男が、女が、酒場のスタッフまでもが。


 ちらりと一瞥するもの、じっと見つめるもの、こそこそと盗み見するもの。様子は様々だが、皆一様にその2人に目を奪われている。



「すげえ…… ホンモノのアレタ・アシュフィールドだ」


「どうしよう? これ、ソフィ先生サインくれるかな?!」


「綺麗……」


「おい、声かけてこいよ」


「バカ、相手にされるわけないだろ! お前が行けよ!」



 ざわ、ざわ。


 沈黙と喧騒が綺麗に分かれる。2人の指定探索者が離れたテーブルから順番に会話が溢れ出ている。



《ビジュアルやばすぎるよな、改めて》

《探索者って美男美女多くね?》

《アレタ様、いいわぁ〜ああ〜、浄化される》

《浄化されるならお前たちの界隈は消えてるはずなんだよ》

《クラーク先生、ずっとニコニコしてていい》

《アレフチーム以外での場所だとマジで無表情なのに、ギャップやべえ》



 配信のコメントにも2人の指定探索者に惜しみない賛辞が向けられている。



 あいつら。やっぱり凄い奴なんだよな。


 味山は妙に現実感のない感想を抱きながらビールのおかわりを頼んだ。



「たしかに絵に描いたような美人だけどな。でもよ、ツラの良さならお前のセンセイ、クラークだって負けてねえだろ」


「いやー、確かにセンセイはなんも知らなければ現実離れした美しい女性なんすけどー、ホラ、日常を見てるとどうもそんな感じしなくて。山のように積もった吸い殻とか、脱ぎ捨てられたパンツとか洗濯機に放り込む身としたらねー」


「見る分には綺麗だが、登る分にはてやつか。富士山みたいだな」


 おまたせしましたー。


 差し出されたビールのジョッキを味山が会釈しながら受け取る。


 なみなみと注がれた黄金色の液体をちびりと舐めた。


 きいん。


 澄んだ金属音。また、アレが来る。


 味山は苦い酒を喉に押し込む。



 TIPS€ お前の噂が広がっている



 グレンの声ではない。


 それとは別のナニカが味山の耳に囁く。



 その声が聞こえた瞬間、ごおおおおと空気の鳴る音が耳に届き、そして。



『おい、見ろよ、星屑野郎だ。また生き残ったんだとよ』


『アレタ・アシュフィールドの寄生虫が。なんでまたあの星はあんな凡人を飼ってるんだ?』


『ねえ、あの人、この前日本人の探索者から聞いたんだけど、前のパーティでも問題を起こして追放されたらしいよ?』


『聞いた、聞いた! 女を取り合って、しかも振られてそれで逆ギレしたんでしょ? マジありえなくね?』



『グレン・ウォーカーが一緒じゃなけりゃ少し分からせてやるんだけどな』



『まったくだぜ。目障りなジャップめ。ダンジョン発祥の国の人間だからって、てめーまでがえらいわけじゃねえのに』



『この前のウィンスタ見たか? アレタ・アシュフィールドと一緒にクレープ食べてたぞ。調子に乗ってやがる』



『ククク、しつこ過ぎず、それでいて濃厚な味。相当良い蜂蜜を使っとる…… このパンケーキのシロップ……! ワシの目はごまかせん、生地にもわずかに練りこんどる……! バベルミツバチのミツを…!』



『仰る通りです。立神様。お口に合ったようで何よりです』



 耳にまとわりつくように聞こえる声、声、声。


 それらは通常の聞こえ方ではない。それぞれのテーブルの中でしか伝わらない小さな陰口まで全て拾って聞こえる。


 味山は耳が良い。正確にはとある探索を終えたその日から耳が良くなった。


 聞こえないはずのものが、聞こえなくて良いものが聞こえる、その耳。



 TIPS€ 探索者にとって評判は大切だ。横の繋がりは新たなる探索の呼び水となる



 うるせえ、知ったような口を叩くな。


 陰口とは別にどこからか聞こえるささやきに内心で返事をした。


 TIPS€


 味山 只人にはダンジョン攻略のヒントが聞こえる。


 それは具体的な攻略だけにとどまらず、コツや豆知識などがどこからともなく流れ込む。



 味山にはとても出来の良い耳が備わっていた。



「どーしたんすか? タダ」



「いや、なんでもない。それより俺、そろそろ肉系がいきたい。アシュフィールドたちが戻ってくる頃には来るでしょ」



 味山が机の上にあるメニュー表をひらりと眺めて。


「それなら、三戦鳥の唐揚げはいかがですか? 唐揚げ、好きでしたよね、味山さん」



「あ! それいい! それに決めーー え?」



 突如、掛かって来た声に反応しながら味山は言葉を止める。


 先程までアレタが座っていた席に誰かが座っている。


 味山どころか、グレンですら声をかけられるまで気付かなかった。2人の男が目を大きく見開いて、ポカンと口を開けていた。



「お久しぶりです、味山さん。お元気そうで何よりです」



《え?》

《また誰か来たぞ》

《あっっっ》

《"リンタイム"の予告動画から来ました》

《"リンタイム"で言ってた通りだ! 貴崎ちゃんがアレフチームの祝勝会に凸ってる!》

《自由すぎてワロタ》




「貴崎……?」



「はい、味山さんの元パーティメンバーで、現在! 味山さんを補佐探索者にスカウト中の貴崎 凛です」



 無邪気な笑顔で、黒髪ポニーテールの美少女が味山に笑いかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る