第14話【番外編】最終兵器忠勝④

 殺す。いや、殺しては駄目だ。絶対半殺しにする。


 家康が頭の中の妄想で、金髪の男をバシバシ叩きながら半殺しにしている。

 半殺しといえば、群馬県出身の舎弟が以前、皆でおはぎを食べた時に「半殺し」と言っていた。

 「半殺し」という言葉は、もちろんこの場の人間全員叩き潰すという宣戦布告ではない。これは、おはぎのお米の状態を表しているらしいのだ。もち米をなめらかなお餅になるまでつかず、粒々が残る状態まで潰したものを「半殺し」と呼ぶのだそうである。

 あまりの悔しさにおはぎへと現実逃避していた家康の視界に、ふと一か所に集められ床に座り込んでいる人々が映る。極度の恐怖と、緊張と、不安と、皆が同じように疲れ切った顔をしていた。


 そうだ。今は駄目だ。

 堅気の彼らを、危険に晒すわけにはいかない。

 人質が全員解放されたら、すべてが終わったら、必ずこの手でボコボコに……。

 家康は堪える為に、餡子たっぷりのおはぎを食べている自分を想像して紛らわす。


「もしかして、好きなのか?」

「は?」


 いつの間にか、家康の真正面に移動して顔を覗き込んでいた金髪の男が、荒い息で問うてくる。

 背中に当てられていた拳銃は、今は家康の左胸の辺りに向けられていた。

 この体勢だと、確実に心臓を撃ち抜かれる位置だ。

 男の言葉の意味が全くもって分からない家康は、ただぱちくりとその大きな瞳を瞬かせた。


「好きとは?」

「こういうの、興奮する?」

「あ?」


 するり。

 男の太い毛むくじゃらの指が、家康の白い頬を蛇の様に這い回る。


「ぎっ」

「こんなすべすべの子供みたいな肌して、おまけにこの童顔。それにお前の体、なんか甘ったるい花みたいな、菓子みたいな妙な匂いもしやがるしよお」

「ちょっと、何言ってるのか」

「俺も好きだぜ、こういう衆人環視のネトラレシチュ」


 頬に掛かる男の鼻息が、発情した犬の様に荒い。

 ハア、ハア、ハア、ハア。

 すぐ目の前にある男の瞳が、妙に血走っていた。


「……誘ってんのか?」


 べろり。

 目の下から顎の近くまで、頬をナメクジが這う様なねっとりとした感触を感じた。

 ぴしりと、石のように固まる家康。

 金髪の男は、家康を舐めたその長い舌で自身の唇をべろりと美味そうに舐めると、ニイィと吐き気がするような下卑た笑みを浮かべた。

 そして、男の口角が上がっていくのに合わせるかの様に、拳銃の銃口の先が家康から少しずつ逸れ、頭上の天井の方へとズレていく。


 そして、銃口が完全に家康から逸れたその瞬間、男は真横に吹っ飛んだ。


 男が家康の視界から消えた直後、銀行のロビー内に凄まじい轟音が響く。

 気味の悪い笑みを浮かべていた男が、飛んできた、まさに飛んできた忠勝に飛び蹴りを叩き込まれ、そのまま横にふっ飛ばされて壁に激突した音だった。

 観葉植物とゴミ箱を蹴倒し、音を立てて壁に激突した男が、そのままずるずると床に崩れ落ちると、逃がさないとばかりに物凄い速さで家康の視界を黒い影が横切った。

 展開についていけず、あっけにとられた家康が視線を送ると、向こうの壁際で、思いっきりガスガスと何かを蹴っている大きな背中が見えた。


「た、忠勝……?」


(やめてくれ、もう。これ以上……挑発しないでくれ)


 家康は先ほど自分が考えていたことを、頭の中で反芻する。

 遅かったか……。家康は、がくりと肩を落とした。


 家康と忠勝の付き合いは長い。

 主君への無礼を、忠勝は決して許さない。だから、こういう事態になることを、家康はどこかで恐れていたのだった。真面目な男なのだ、忠勝は。

 忠勝とは、数多くの修羅場で肩を並べて戦ったこともあるし、忠勝が敵対する組と揉めている姿を見かけたこともある。

 だが、こんな忠勝の姿はついぞ見たことがなかった。

 全身から立ち昇る気配はビリビリとした殺気に満ち、その漆黒の瞳は他の何も映してはおらず、ただひたすら目の前に転がる獲物だけに据えられている。

 大人びて見えるが頑固で熱血漢、どんな時でも生真面目なそんな六歳年下のよく知る男が、すべての感情を消して、ただひたすらタガが外れた殺戮機械の様に転がる男を蹴り続けている。


 こんな忠勝を、男を、家康は知らなかった。


 呆然としていた家康が、床の上の拳銃を拾いあげる。そして、ようやく我に返って叫んだ。


「忠勝、やめろ! お主がそれ以上やるとそいつ死ぬ!」


 聞こえているのか、いないのか。いや、確実に後者だろう。

 家康の声に振り返ることもせず、ひたすら敵を殲滅しようとする獣の姿。

 忠勝の体の隙間から、ちらりと見えた金髪の男の顔は血だらけで、すでに意識も失っているようだった。

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