第13話【番外編】最終兵器忠勝③

 先程まで男に銃を突きつけられていた若い女性が解放され、同僚の女性に肩を抱かれ、うずくまってすすり泣いている。それを視界の端で捉え、家康はほっと息を吐いた。


 ゴリッ。


 背中に固い感触を感じる。

 身代わりに人質となった家康は、先程から何度も銃口をゴリゴリと背中に押し付けられていた。

 最初は、ぴたりとただ背後に当てられているだけだった銃は、気紛れに強い力で押しつけられては、また引かれ、またぐいぐいと痣が残りそうな程強い力で押しつけられては離され、それの繰り返し。完全に、おもちゃにされている。

 こちらの神経を逆撫でするかのような男の行動は、正直不快ではあったのだが、すぐ目の前に沢山の人質がいる以上短気を起こすわけにもいかず、家康はぐっと唇を噛んで堪えていた。

 角刈りの様な金髪に、浅黒い肌、逞しい筋肉に隆々と覆われ、180㎝はゆうに超えているだろう男。


(こいつが厄介じゃな、本物の銃も持っているし。茶髪の髭と赤髪は、何とかなりそうだ)


 家康は何とか反撃のチャンスをうかがってはいるが、見るからに屈強そうな、軍隊崩れか格闘技の経験者であろうその男は、なかなか隙を見せない。


「おい。早くしろよ」


 銀行のカウンターを超えた向こう側から、姿は見えないが先ほどの茶色い髭面の男の声が聞こえる。

 事務員だろうか、小ざっぱりとした黒髪ベリーショートの女性を引き連れ、彼女に金庫の中の金を詰めさせているのだ。金を詰め終わったら、男達は車で逃走する手筈なのだろう。彼らが足利家の関係者だと信じ込んでいる家康を人質に連れて――。


 家康は背中に銃を突き付けられたまま、視線だけを銀行の入口へと向ける。

 すぐに解決すると思っていたが、やはりこれだけの人数を人質に取られていては、警察も迂闊に突入は出来ないらしい。

 その証拠に、銀行の扉の向こう側には、大勢の警官や警察車両が待機している気配が感じられるのだが、彼らも思案中なのだろう、突入してくる様子はまだない。


(まずいな)


 これ以上、長引くのはまずい。

 本当にあの三人が家康を人質に逃走したら、それがもし、テレビジョンの中継映像なんかで流されたりでもした日には……。

 銀行強盗犯の背後にどんな組織がいるのか、単独犯なのかは知らないが、家康に手を出すことは、徳川組を敵に回すということだ。

 青筋を立てた酒井忠次や石川数正、ぶちキレた榊原康政の顔が脳裏に浮かぶ。そして、何より──。


「はあ、まずい」


 本当にまずいのだ。これ以上、家康が危険にさらされるのは。

 自業自得とはいえ、バーサス徳川家以上の事態が起こる可能性に、家康はぶるりと身震いをした。


「なあ」


 ぞわり。

 耳元に生臭い暖かな息を掛けられて、家康の肌が一気に泡立つ。

 背後で銃を構えている金髪の男が、いつの間にか家康のすぐ耳元に唇を寄せていたのだった。


「何かお前……いい匂いすんな」

「ぐっ」

「香水、じゃないよな。甘くて、すっとして……花みたいな……」


 くんくん。

 まるで犬のように、家康の耳の後ろ辺りの匂いを嗅いでいる男。

 ざわざわと、あまりの気持ち悪さに、家康の全身が総毛立つ。

 フェイクの銃を構えた赤毛の男が、呆れたように笑った。


「なんだよ。随分あっさりあの女を解放したと思ったら、そっちが本命かよ」

「バカ言え。俺は老若女女、どんな女でも愛することができる愛溢れる男だぜ? こいつがヤバいんだ。何だか、こいつの傍にいると……」

「ハイハイ。大きな黒目に、長い睫毛、色白で、着やせして見えるが、結構いい体してやがるし。お前の好み、どストライクだな」

「分かってんじゃねえか」


 ゲヘヘへッ。

 品のないやり取りが、家康の背後で行われている。

 右手の銃を家康の背中に押し当てたまま、金髪の男のゴツゴツした左手が家康の左肩にそっと触れた。

 そのまま毛の生えた太い指が、さわさわと妙に柔らかく、まるでピアノの鍵盤を叩くようなソフトタッチで家康の肩の上で蠢いている。

 家康は声を漏らすまいと、血が出そうなほど唇を嚙み締めた。


「細っそいなあ。この薄い肩なんて、俺の片手で簡単にへし折れそうだぜ」


 やめてくれ、もう。これ以上……挑発しないでくれ。

 あまりの不快さにぎゅっと眉を顰める家康を尻目に、男の指は、今度はその艶めく黒髪を好き放題に弄り始めた。さらさらと指の間を流れるちょっと硬めの感触が気に入ったのか、耳の上からうなじ辺りに向かって、何度も男の指が肌の上を往復している。


「この髪も、サラサラで人形みたいじゃねえか。「殿」なんて呼ばれるような上流階級の奴らは、みんなこうなのか?」


 家康は答えない。

 少しでも口を開けば最後、背後の男を全力で口汚く罵倒してしまいそうで、下を向いたままぐっと拳を握り締めている。

 家康から何の反応もないことを特に気にした様子もなく、好き放題動いていた男の太い指が、ちょんと家康の左耳に当たった。


「ひあっ」


 思わず声を漏らす家康。

 そのまま男は家康の白くて柔らかな耳たぶを摘まむと、ぐりぐりと弄び始めた。

その明らかに粘ついた嫌らしい手つきに、限界まで膨れ上がった不快感を抑え切れず、家康は「っ……や、めろ」と押し殺した声で拒絶する。

 男の荒い鼻息が、家康のうなじにハアハアとかかっている。

 あまりの気持ち悪さに身をよじって逃れようとすると、男は家康の後頭部にわざと鼻先を埋め、そのまま深呼吸するかのようにスウゥと大きく息を吸った。


「ひっ」


 血が出るほど噛み締めた唇の隙間から、思わずか細い悲鳴が漏れる。喉元辺りまで、急激に胃液が込み上げてくる。

 ──家康に、そして、それ以上の限界が静かに近づいていた。


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