第12話【番外編】最終兵器忠勝②
不貞腐れている忠勝の隣で、家康はその大きな黒い瞳を前方の銃を構える男たちに据えた。
確かに、あの程度の人数と装備なら、家康と忠勝なら何とかなりそうな気もする。
家康はいたって平凡な人間だと自負しているが、徳川組の跡取りとして、泣いても逃げ回っても、武道は一通り叩き込まれてきた経験がある。
そして、忠勝はといえば、まあ何と言うか、規格外のとてつもない―― 簡単に言えば、チートだ。しかもとびきりの。
本物の銃を持つ中央の主犯格さえ何とか出来れば、残りの二人を制圧することは可能だろう。だが、それをするには、犯人と自分たちとの距離がいささか遠かった。
カウンターに立ってこれ見よがしに銃を見せるつける男と、その下に立つ二人の男。金髪に、茶髪に、赤髪。その前に人質たちが集められ、家康と忠勝がいるのはその一番後方だ。二人が動くには、間に挟まれた人質たちがあまりに危険だ。
せめて、自分たちがいるのが、犯人と一番近い前方であったなら……。
「きゃあっ」
突如響き渡った悲鳴に、深い思考の海に潜り始めていた忠勝と家康の意識が浮上する。
いつの間にかカウンターから飛び降りていた浅黒い肌の金髪の男が、座り込む女性の髪を引っ張り上げたのだ。この銀行の制服を着た小柄な若い女性。肩まである緩くウェーブした栗毛色の髪。ぱっちりとした目鼻立ちのなかなか可愛らしい女性だった。
無理やり立たせられた彼女の背後に立つと、金髪の男は彼女の背中にぐっと銃を突きつけた。
「ひっ」
女性の白い顔がさらに蒼褪め、もう殆ど血の気が感じられない程に紙の様に白くなる。小刻みに震える紅い唇は、歯の根が合わないのだろう、カチカチと小さな音を立てていた。
にやり。背後に立つ金髪の男が、その分厚い唇を歪めた。
「お前には、俺たちがこの銀行から逃走する際の人質になってもらう。お前が盾になれば、逃げる時も警察は俺たちに向かって無闇に発砲したり出来ないからな」
「い、嫌ぁ」
「か~わいそうに。泣いちゃってんの」
「まあ、いいじゃねえか。四人で楽しいドライブしようぜえ」
浅黒い金髪の男の言葉に、他の二人も同調して下卑た笑いを浮かべる。
見開かれた女性の瞳から、つうと一筋の涙が流れた。
「やめよ」
静かだが凛とした、よく通る声だった。
歯を剥き出して下卑た笑いを浮かべる男どもの声が、ぴたりとやむ。
三人の男たちの視線が、瞬時に家康の元へと集中する。
忠勝が小声で制するも、隣に座っている家康はじっと男たちの方を見つめている。
「か弱いおなごを人質にして、逃げるなんて卑怯な真似。お主らに、銀行強盗としての矜持はないのか?」
「殿!」
家康の言葉に、ぽかんと口を開けていた浅黒い肌の男が、ぶはっと噴き出した。そのまま三人の男たちは、ゲラゲラとさも愉快そうに笑い出した。
「殿って何、殿って」
「あだ名ー?」
「確かに、ちょっと殿っぽいな」
「ぎゃはははは」
「ヒーロー気取りのお殿さん、カッコいいねえ。彼女の代わりに、自分が身代わりになるってか?」
「いや、人質になるのは俺だ」
三人の男の会話を遮るように忠勝が、すっくと立ちあがる。
隣の家康が、忠勝の袖を引いた。
「ちょっ、忠勝」
「俺が行く」
茶髪と赤髪の二人が、「泣けるねえ」だの「男の中の男だなあ」だの口々に囃し立てる。忠勝が、ニヤリと笑った。
「お前たちだって、盾は大きい方がいいだろう? 俺なら縦にも横にも、その女の何倍もデカい」
「何倍は言いすぎだろ。確かにお前の方が、もし銃弾が飛んできた時にはいい盾になるだろうが……でも、ダメだ。その妙な落ち着き具合が気に食わねえ。やけくそになって、俺たちを攻撃しようとする可能性もあるからな。それに」
一旦言葉を区切った男が、顔面中に嫌らしい笑みを浮かべた。
残りの男達が、いっせいにブフウと噴き出す。
「それに、悪ぃな。お前みたいにデカくてマッチョな男は好みじゃねえんだわ。旅のお供は、とびきりのかわいこちゃんじゃねえと楽しめねえだろう? なあ、お、ね、え、ちゃん?」
背後から舐めるように、人質の女性の顔を覗き込む。
恐怖が許容量を超えてしまったのか、女性は特に反応を示さず、ひきつけでも起こしているかのように浅い呼吸を繰り返すのみだった。
「ゲス、が」
地を這う様に低い掠れ声を、忠勝の鋭い聴覚が拾う。
ぎりりと爪が食い込むほど拳を強く握りしめていた忠勝の手が、その拍子に緩む。
隣を見ると、いつの間にか自分と同様に立ち上がっていた家康が、静かに前方を睨みつけていた。
女性の肩越しに、背後の男が顔を出す。
「ああん? 何か言ったか?」
「お前らも強盗のはしくれなら、おなごを盾にして逃走する様な地に落ちた行為はやめろ。儂は決して抵抗しないと誓う。代わりに儂を連れて行け」
「殿っ!」
さっと顔色を変えた忠勝が、声を荒げる。
それを視線だけで制して、家康は一歩前に出た。
忠勝は、動けなかった。彼の中で主命は絶対であり、万物絶対の頂点に存在するのが家康だったからだ。
じろり。浅黒い肌の金髪の男が、家康を凝視する。
見るからに上質な素材で出来た細身のダークスーツ、ぴかぴかに磨き上げられた黒い革靴。艶やかな黒髪、陶磁器の様にすべらかな透き通る様に白い肌、淡く色付いた小さな薄い唇。
そして、くっきりとした眉の下できらきらと輝く、深い夜の闇を宿した大きな瞳。
家康の頭上から革靴の先までを、舐める様にねっとりと男の視線が這い回っている。
茶色い髪の髭面の男が、横から口笛を吹いた。
「マッチョのお兄さんの次は、随分可愛らしいお姉ちゃんの登場だなあ。最近、流行ってんの? ヒーローごっこ」
ぴくり。
家康のこめかみに、微かに青筋が立つ。だが、それ以上は特にリアクションもせず、ただじっと男たちの回答を待っていた。
「儂は、足利家の人間だ。警察や官僚連中にも、大勢知り合いがいる。儂を人質にすれば、警察は手出し出来ない。彼女よりも儂の方が、人質としての価値はあると思うが?」
「何っ、足利?」
「兄貴ぃ」
家康が咄嗟に紡いだはったりに、忠勝がギリリと歯軋りをする。
家康の言っていることは、もちろんはったりである。
足利家は、国内でも有名な財閥一族だ。国内屈指の大企業を幾つも経営しており、政財界や警察、ショービジネスの世界にまでとかなり顔が効く。そして勿論、家康と足利家の間には何の繋がりも、足利の現当主にも一度として会ったことはなかった。
家康の幼馴染、織田信長は面識があるらしいのだが。
随分長いこと無言で家康をねめつけていた浅黒い金髪の男が、ふっと唇を歪めた。
「……いいだろう。そこの黒髪の女、こっちに来い。ただし、妙な真似はするなよ。少しでも不審な動きをすれば、すぐさま頭をぶっ放す」
「約束は守る」
ゆっくりと足を踏み出す家康の腕を、後方から物凄い力で忠勝が掴んだ。
すぐさま三人の男の銃口は、いっせいに忠勝へと向けられる。
「殿、駄目だ」
「大丈夫だ。お主は動くな」
静かな、だが有無を言わせぬ口調でそう告げると、家康は肘に絡みついた忠勝の骨ばった大きな手をやんわりと外す。その場で固まったまま立ち尽くす忠勝が、彼らしくもない酷く焦った表情を浮かべている。
「行くな、殿……」
忠勝の強張った声に、一度だけ家康が振り返る。
家康は黒い瞳を柔らかく細めると、心配するなと視線だけで忠勝に応えた。
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