第6話 告白③

 重苦しい沈黙が支配する家康の居室。

 家康と忠勝は、二人きりで向かい合い座っていた。

 ずぶ濡れだった家康の若草色の着物は、鮮やかな浅葱の着物に着替えられ、何事もなかったかのように表面上は見える。

 一方、忠勝の方はというと、この世の終わりとでもいうような顔で、先ほどからずっと俯いている。


 そんな忠勝を見て思うところがあったらしく、家康が大きく息を吐いた。

 家康は十九年前、この世に生を受けた。

 父は松平家当主松平広忠、母は水野大子の娘として。男児は他にいなかった。

 だが、時は戦乱の世。お家の為にどうしても後継ぎが必要だった父母は、家康を嫡男として育てることを決意した。

 幼い頃より武芸に励み、いつか岡崎の主となるべき男として研鑽を積んできたつもりだ。

 松平家家中の者でも、家康がおなごであることを知るのは一握りの人物のみ。家臣の多くは、家康が男のふりをしていることを知らない。

 だが、ついに目の前の忠勝に知られてしまった。この事態に、どう対処すべきか。家康は迷っていた。

 本多家は、代々松平家の為に尽くしてきた譜代の家臣。忠勝の父親も祖父も、松平家の当主の為に討ち死にしている。そんな出自の者さえ騙してきたことに、家康は今更ながら途轍もない罪悪感を感じていた。

 お家の為には、仕方のないことなのだろう。しかし──。


「忠勝、あのな」


 家康の問いかけにも、忠勝は黙ったまま。心なしか、眉間の皺が深くなった気さえする。


「失望したのか? その、儂が……」


 おなごであったことに。

 おなごの身でありながら男として振る舞い、忠勝たちを欺いていたことに。

 一本気な性格の忠勝のことだ。主君にあるまじき行いをした家康を、到底許すことなど出来ないのかもしれない。

 家康が唇をきつく噛み締める。

 その時、忠勝がようやく視線を上げた。


「殿?」


 訝し気な忠勝の目と家康の目が、カチリと合う。

 忠勝は一瞬交差した視線に慌てるように、再び視線を逸らした。


「やっぱり」

「えっ」

「嫌になったんじゃろ、儂のことが」

「……は?」


 家康の声が微かに震える。

 忠勝が怪訝そうな顔で、家康のことを見る。その視線が心細そうな黒い瞳に止まり、細い首筋を辿り、浅葱色の着物に包まれた──。

 忠勝の頬に、うっすらと赤みがさす。

 


 初めて目にした透き通るように白い肌。

 豊かな膨らみを押しつぶすように、ぐるりと巻かれたさらし。

 ふっくらと盛り上がった果実のような二つの山は白い布で幾重にも巻かれ、絶対の秘密として……。



 そうなのだ。

 忠勝の頭は単に、衝撃の秘密を知っことで手一杯になっていただけであった。

 この世の終わりかと思うような表情も、ただ単に思考が現実に追いついていないだけ。主君に失望したとか、大変な秘密を知ってしまったとか、そういう域まで達してはいなかった。

 先ほどから繰り返し頭に浮かぶのは、ただただ殿の白い肌とさらしに包まれた……。


 忠勝が邪念を打ち払う為に、ブンブンと首を振る。

 そんな忠勝の心を知らず、家康は覚悟を決めて語り出した。

 自分の生い立ち、お家の為に男として生きていかねばならぬこと、そして、その為に忠勝ら家臣たちを欺いてきたことを。

 家康が両手を着いて、がばりと頭を下げた。


「本当にっ、すまなかった!」


 忠勝は無言のまま、家康に膝で歩み寄る。

 肩に手を掛けると、そっと家康を元の体勢に戻した。


「忠勝……」

「生きていくつもりか?」

「え」


 ようやく口を開いた忠勝の言っていることが飲み込めず、家康がぽかんと口を開く。

 忠勝が、じっと家康の瞳を見つめる。


「殿は、一生男として生きていくつもりか?」


 忠勝の言葉に、家康が息を飲む。

 家康は、自分の覚悟を試されているのだと気づいた。


「そうじゃ」


 忠勝の方を見て、力強く頷く家康。

 忠勝が、ほうと息を吐く。

 家康の肩が、びくりと揺れた。


「なら、守ってやる」

「へ?」


 忠勝が射貫くような眼差しで、家康だけを見つめている。



「殿がそうして生きていくと覚悟したのなら、俺が一生守ってやる」


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