7/2 ただいまと小夜啼鳥








「――くん、小夜啼鳥って知ってる?」

彼女は顔だけを僕に向けて尋ねた。

「さよなきどり?」

聞きなれない言葉に、彼女の顔を見た。

彼女は、屋上のフェンスに背中を預けている。

ついさっきまで空を見上げていたので、僕の存在など忘れていると思っていた。

「知らないんだ?」

「聞いたことない」

そっけなく答える僕に、彼女の笑う声がする。

小さいけど、鈴が転がるような音。

彼女は、もともと声がすごく綺麗なのだ。

その言葉ひとつひとつが、いつまでも耳に残るくらいに。

「まあいいや」

彼女はそう言って、また空を見上げた。

屋上は風が強いので、彼女の美しい髪が躍るように舞う。

強い輝きをはなつ瞳は、もう僕を見ない。

僕は、フェンスに寄り掛かるようにして座り込んだまま、参考書に目を落とした。

昼休みの、三十分。

なぜかいつも屋上に現れる彼女を、僕は密かに待ち焦がれていた。

ほとんど会話もない、ただそこにいるだけの彼女を。

だから参考書の内容なんて、ちっとも頭に入ってこない。

読んでいる振りをしていると、彼女が鼻歌を歌い出す。

外国の歌。

英語でもないそれは、歌詞も分からず、音の旋律だった。

まるで天国のような、素晴らしい歌。

夢見心地でいたのに、不意にチャイムが鳴った。

昼休みが終わる合図に、がっかりする。

彼女は歌を止めて、フェンスから離れた。

いつもならそのまま彼女の背を見送るけど、今日は思いきって口を開いた。

「き、綺麗だった」

「え?」

「歌、その……なんて歌?」

たったそれだけを発するのに、心臓がバクバクと激しく動く。

緊張に息を止める僕に、彼女は微笑んだ。

「ただいま」

「え?」

「ただいまーって言ったら、お帰りって言ってくれる歌」

「……はぁ」

何だかよく分からないけど、頷いた。

彼女は楽しそうに笑って、去っていった。







翌日。

彼女はいつものように現れて、フェンスに寄り掛かる。

そして僕を見て「ただいま」と言って笑った。

昨日の続きをネタにしたような、いたずらっぽい笑顔。

僕はあれから、小夜啼鳥の話を調べた。

正解か分からないけど、思いきって口を開く。

「おかえり……ナイチンゲール」

すると彼女は目を丸くする。

そして、腹を抱えて大笑いした。

「いや、意味わかんないし!」

爆笑する彼女に、僕は恥ずかしさでうつむく。

でも、彼女の声はやっぱり綺麗で、ナイチンゲールのようだった。







(終)





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