第5話 天国はメタバースから生まれる
クツマがメタバースのバーチャルプライベートオフィスに戻ると、部屋の中央に大きなアラートウインドウが浮いていた。そこには『接続が切れました』とだけ警告文が書かれていた。その下に表示されていた『確認』ボタンを押すとウインドウは消えて、何事もなかったのように接続が切れる前のオフィスの状態に戻った。デスクのモニタを見ると、直前まで作業していたプログラムエディターが開いたままになっていた。クツマはさっそく管理ツールを開いて、サトウを呼び出した。
「クツマくん、体調は大丈夫? 勝手に接続が切れるなんて滅多にないんだけどね……」
バーチャルプライベートオフィスに姿を現したサトウは、心配そうな顔でクツマを見て言った。
「はい、なんとか、無事に再接続しました」
「それは良かった。先日依頼した迷路アトラクションのプログラミングは順調?」
「はい、これから続きをやります」
クツマとバーチャブレイン社との契約内容は単純明快なものだった。それは、テーマパークによくあるような、様々なアトラクションをプログラミングすることだった。以前にクツマが運転したベンツは、カーアトラクションの一つでもあったのだが、このように、機械工によるメンテナンスも不要で、100%事故の起こらないアトラクションをメタバース内に作ることがクツマのミッションであった。
勤務時間は仮想現実時間で8時間。残りの16時間は自由時間なので、睡眠をとっても良いし何をしても許された。もちろん、仮想現実に休憩や睡眠は必要ないから、働き続けても問題はない。働いた分だけ残業代も支払われるため、クツマは二千万円以上を稼ぐため意気込んで寝ずに働こうと思っていた。
「あの、サトウさん、少し聞きたいことがあるんですが……」
「うん、何でも聞いて……。あ、もしかして、接続が切れた時にいろいろと自分の体が心配になった?」
心の中を見透かしたようなサトウの一言に、クツマは動揺した。イワタのこと、キヨカワエミカのこと、タカヤナギが待っているから急いで聞かねばならないが、やはり気になるのは自らの健康だ。クツマを病院まで運びこんだアラキは、メタバースは安全だと言っていたが、親身になって答えてくれたようには思えなかった。クツマは、このシステムが安全なのかどうか、健康に支障は出ないか、改めてサトウにたずねるとサトウの答えは思いがけないものだった。
「うん、クツマくんの言う通り、体は日に日に衰弱していくだろうね……」
「えっ……、だったらヤバイじゃないですか?」
「でもクツマくん、発想を変えたほうがいい。このシステムが世に出回ったら体なんかいらなくなるんだから」
「でも……、体が弱って死んじゃったら意味ないですよね……?」
「もちろんそうだよ。僕も最初は不安だったけど、他の部署ではメタバースで既に3年間生き延びている人もいるんだ。体を維持するための医療技術も日に日に進歩していて、電気的刺激で最低限の筋力を維持できるらしいんだ。体を健康に維持できれば、メタバースに永住しない選択肢はないよ。だって、ここがまさに現実なんだから」
サトウの言っていることはクツマにとって十分に理解できるものだった。メタバースがあたかも現実と見まがうほどのリアリティを提供するのなら、つまり、生身の体で経験できるすべてのことを体験できるなら、理論的には現実世界など不要なのだ。現実世界では交通事故や自然災害など予期しないトラブルに見舞われることもあるだろうが、メタバースではプログラミングされた内容を逸脱することはない。要するに、自らの好まざる人生を生きることは絶対にないのである。
「クツマくん。もしも天国というものが存在するなら、メタバースのことだと思わない?」
「天国?」
「うん。実際、肉体を維持するため、肉体に贅沢をさせるために人間は大昔からカネや資源の奪い合いをしてきただろ。つまり戦争だよね。でも、体を寝かしつけていれば戦争なんて起きないどころか、資源の節約にもなるんだ。動物や植物も天敵の人間が眠ってくれていた方が平和だよね。つまり地球そのものが天国になる。しかも、その天国を僕やキミが作るんだよ。これは、すごいことだと思わない?」
クツマには何も反論できなかった。反論どころかサトウの言うことはまさにその通りだと思った。人類が宗教という形で何千年の時間をかけて実現しようとしてきた『天国』が、まさかメタバースという最先端技術から生まれるだなんて誰も想像してなかっただろうし、だからこそ、それを自分たちで実現させれば、巨万の富を手に入れるだけでなく、人類史上に名を残すことさえできるのだ。いや、金や名誉などメタバースの世界に住み始めたらまったく意味をなさなくなる。それらを支えに生きていかなくてもよい世界こそがメタバースなのだから。
「どう、クツマくん、人類最後の究極の答えを手に入れた気分になっただろ?」
「は、はい、まあ……、なんとなく使命感を感じはじめてます……」
「あはは、そうだろ? 僕も今話したことを悟ってから考え方が変わったんだ。じゃあクツマくん、仕事はじめようか。迷路アトラクションが終わったら、次は謎解きアトラクションを作りたいんだ。なぜって僕もそこで休憩時間に楽しめるからね!」
その時、クツマの脳裏にタカヤナギの怒りに震えた顔が浮かんだ。もうまもなくすると、タカヤナギから現実世界へのお呼びがかかるはずだ。しかし、サトウの話を聞くかぎり、やっぱり、イワタによる詐欺だとは思えないのだ。逆に、これが詐欺だとすれば、どのような詐欺にメタバースを悪用するつもりだろう。イワタが詐欺師だという線は消えたと心の中で思ったクツマだったが、キヨカワエミカがどうなったかだけは聞いておこうと思い、最後にサトウにたずねた。しかしサトウは彼女には会ったこともないし、ここにいるかもわからないと言うのだ。
「クツマくん、僕がこの部署に来たときにキヨカワさんという女性はいなかったんだよ。プログラムの腕が認められてプロマネになった今、こうして会員リストを見ても彼女の名前はないんだ……」
それならば、なぜ彼女は突然行方不明になったのだろうか。300万円の案件を30万円でこなすほどの強靭な精神力を持つ彼女のことだ。タカヤナギを置き去りにして逃げ出すとはクツマには思えなかった。
「サトウさん、ほかの部署にキヨカワさんを知ってる人がいないか聞いてみてくれますか?」
「それは構わないけど、ほかの部署のことは、僕もあまりよく知らないんだよ……」
その時、クツマの脳裏にログハウスの女が思い浮かんだ。彼女は同じ女性ということで何か知っているかもしれないと思ったのだ。しかし、サトウはバツの悪そうな顔をしてクツマに言った。
「ごめん、大事な人の行方がかかってるみたいだから本当のことをはっきり言うよ。彼女、実はメタバースで開発されたAIなんだよ……」
「ま、ま、まじっすか?」
落胆したクツマを見て、サトウは事情を詳しく話し始めた。
「クツマくん本当にすまない。実はAIの彼女、僕が来たときにはすでにここにいたんだ。名前はクーロン。プロマネになってから教えてもらったんだけど、もともと男性を喜ばせるためだけに開発されたAIだったみたいなんだ……。入会しようか迷っている男性エンジニアに会わせて、色仕掛けでプログラム職人の会に入ってもらうために使われてたんだ……」
「サ、サトウさん、それを黙ってたんですか? それはちょっと趣味悪いっすね……」
「すまない。キミに色仕掛けなんかしなくても入会してくれると思っていた。実際、僕もそうだった。職人気質の僕らは色仕掛けで仕事なんか選ばないよね。でも、クーロンに会わせるのは会社のルールで仕方なかったし、どうしてもウチの技術力を体感してほしかったんだ」
「だからって女を売るみたいなのは……」
「いや、ちがうんだっ! 僕が彼女のプログラムを上司に内緒で少し作り変えたんだよ。今までより知的で、まるで神話に出てくる女神のような純真さと高潔さを相手に感じてもらうように彼女をプログラミングし直したんだ。実際クーロンはキミにあからさまな色仕掛けなどしなかったはずだよ。むしろ彼女に包容力というか、どこか神秘的な魅力さえ感じただろ?」
「ま、まあそれは確かに……」
サトウの話を聞いて、しばらく言葉を失っていたクツマだったが、彼女がAIだと聞いて閃いた。彼女にもう一度会ってみるべきだと思ったのだ。なぜなら、AIであればインターネットの膨大な情報の中からキヨカワエミカの痕跡を見つけてくれるかもしれないと思ったからだ。少なくとも、キヨカワエミカがバーチャブレイン社のメタバース支店までやってきたかどうかのアクセスログ程度の情報は持っているはずだ。クツマがサトウに思いついたアイデアを伝えると、すぐさまサトウはクツマの提案を受け入れて、二人してログハウスへと向かった。
ログハウスのドアを開けると、クーロンはダイニングテーブルの椅子に座ってクツマとサトウの方を見て微笑んでいた。二人がクーロンの向かいの椅子に座ると、さっそくサトウはキヨカワエミカについてたずねた。すると、予期していない答えがクーロンから返ってきた。
「えぇ、私はエミカさんのことを知っていますよ」
クーロンの回答にクツマは驚いた。隣に座っていたサトウは手を叩いて喜んだ。
「おーっ、よかったねクツマくん。クーロン、キヨカワエミカさんは今どこにいる?」
サトウがたずねると、またしてもクーロンから予期してなかった答えが返ってきた。
「エミカさんは、あなた方とは別の部署にいます。別の部署にスカウトされて日々真面目に働いています」
なるほど、これでキヨカワエミカが失踪した原因がはっきりとした。彼女はプログラマーとしてはスキル不足だったが、別の部署でバーチャブレイン社からスカウトされて入社したのだ。しかし、あの従順で誠実そうなキヨカワエミカが、お金に目がくらんでタカヤナギの案件を放り出すなんて考えられない話だとクツマは訝った。しかし、クツマと同じように規約をよく読んでおらず、意図せずしてメタバースに閉じ込められているのなら話は別だ。
サトウは質問を続けた。
「クーロン、彼女はどこの部署で何をしているか知ってる?」
「すみません、彼女の部署について私は情報を得ることができません」
「クツマくん、クーロンにはアクセス制限がかかってるみたいだ。ここからは僕の上司に聞かないとわからないと思う」
「上司ですか?」
「うん、モリさんっていう上司がいるんだけど、実は最初にクーロンをプログラミングしたのは彼なんだ……」
サトウが言うには、その上司はプロジェクトマネージャーの地位をサトウに譲って以来、別部署の仕事が忙しいと言って滅多に顔を出さなくなったそうだ。ごく稀に様子を見に来てはサトウの仕事っぷりに満足顔で去っていくらしいのだが、次にいつやって来るかはサトウにもわからなかった。手がかりを失ったクツマだったが、もうひとつ聞いておかなければならない質問があったことを思い出した。イワタとバーチャブレイン社との関係だ。
「あの、クーロンさん……、池袋エステートって会社のイワタ社長って知ってますか?」
「はい、知ってますよ。過去に何度かお会いしています」
「ま、まじか!」
クツマとサトウは同じタイミングで声を合わせて驚いた。サトウも、イワタがメタバースに関わっていることを知らなかったのだ。続けてクツマが質問をしようとする前に、驚きが止まらない様子のサトウが割り込んでクーロンにたずねた。
「ク、クーロン、どうしてイワタ社長はメタバースに関わってるの?」
「イワタさんはバーチャブレイン社の創業者です。既に退任されていますが、今も私たちを見守ってくれています」
この回答にはクツマもサトウも開いた口がふさがらなかった。確かにイワタはバーチャブレイン社のサーバーを使うようにタカヤナギに指示を出したが、まさか創業者だったとは思いもよらなかった。イワタが創業者であるのなら自分の会社のサーバーを使ってほしいのは当然のことである。とはいえ、自らが創業者であることをタカヤナギたちに隠していたのは謎である。ますます、イワタが何を考えているのかクツマにはわからなくなった。
「いったいイワタさんはメタバースで具体的に何をしようとしているんですか? 詳しく教えてくれませんか?」
驚いて呆然とするサトウを横目に、クツマがクーロンに問いかけた時だった。くらっと眩暈がしたかと思ったら一瞬のうちにクツマの意識は病室に戻されていた。クツマの眼の前には自らの肩をゆすりながら名前を呼ぶタカヤナギがいた。
「もーっ、肝心なところでいつもタカヤナギさんはこれだよ! あと一分あれば聞けたのに、まーじーでータカヤナギさん使えない!」
「クツマくん、いきなりどうしたんだよ酷いなぁ。1時間後に起こせって言うから起こしただけじゃない!」
確かにタカヤナギの言う通りだ。時間が足りなかっただけなのだ。クツマは暴言を吐いたことを平謝りした。
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