第6話 救出

「ク、クツマくん、それ本当? やっぱりキヨカワくんは拉致されていたんだね……。あぁ、なんてことだ……。で、彼女は今どこにいるの?」

  メタバースにキヨカワエミカがいることをクツマが伝えると、タカヤナギはあからさまに動揺した。

「それがわからないんです……。もう少し時間をかけて調べないと……」

 彼女がバーチャブレイン社のメタバースで働いていることはわかったが、どの部署で何をしているのかまではわからなかった。しかし、タカヤナギが疑うように、彼女は拉致されたわけではないはずだ。もしかしたら、トラブルばかりで損しかしないタカヤナギの案件を嫌ってバーチャブレイン社で働いているかもしれないし、恐らくその可能性の方が高い。部署さえ異なるが、目が飛び出るほどの高給であることは間違いないだろう。しかし、このことをタカヤナギに話せば、きっと精神的にショックを受けるに違いない。どうタカヤナギに伝えたらよいものかとクツマが思案していた時だった。

「あ、そうだ、クツマくんがここにいるってことは、彼女もここにいるんじゃないかな?」

 クツマは目を丸くしてタカヤナギと顔を見合わせた。まさに灯台下暗しだった。確かにタカヤナギの言う通りなのだ。ましてや、キヨカワエミカだけでなく、サトウシンゴもこの病院に収容されているはずなのである。はやる気持ちを抑えきれないタカヤナギが病室を探しに行こうと椅子から立ち上がったちょうどその時、病室のドアが勢いよく開いた。

「またですか! どうしてこう何度も目が覚めちゃうんですかねぇ。体質の問題なのかなあ……」

 突然病室に入って来たアラキを見て、タカヤナギは何事もなかったかのような素振りで椅子に座り直した。アラキは再びクツマが脱ぎ捨てたVRゴーグルを覗いて、コントローラーを使ってなにやら操作をしてクツマに手渡した。

「すみません、もう一度ゴーグルをかぶってログインしてもらえますか」

 アラキからゴーグルを受け取ったクツマは、タカヤナギに目で合図を送った。それを見たタカヤナギは、さりげなく二号病棟のことをアラキにたずねた。するとアラキは、自らの会社の管理体制をあざ笑った。

「あなた、入社した時に何も説明をうけてなかったんですねぇ。うちの会社はなにもかもテキトーだけど、急成長する会社って、こんなものなんでしょうね……。困った話ですけどね……、ふふっ」

 タカヤナギが返答に困っていると、アラキは笑いながら病棟の説明を始めた。

「私と同じ部署に配属されるなら、あらかじめ教えておきますけど、二号病棟の500号室から544号室まではメタバースの人員です。こちらのクツマさんのように契約済みでフェーズ2のメンバーの部屋。ただし、フェーズ3の545号室から549号室は立ち入り禁止です」

「立ち入り禁止? それはなぜです?」

「また話しますよ。個人情報になりますから、ここではちょっと……」

 タカヤナギと話し終わると、アラキはクツマに再びメタバースへログインするよう促した。

「なるべく15分以内にログインしてください」

 そう言ってアラキは病室を出て行った。クツマは手渡されたVRゴーグルを胸のあたりにおいて、してやったりとタカヤナギと顔を見合わせた。ご丁寧にも向こうから行方不明になった二人がいるかもしれない病室の番号を教えてくれたのだ。

 さっそくタカヤナギはクツマをベッドで待たせて病室を出た。廊下に出て辺りの様子を確認すると、二号病棟は通常病棟とちがって一般の見舞客、医師や看護師などが異様に少ないことがわかった。病棟とはいえど病人がいるわけではないから当然だろう。タカヤナギは、この様子なら一部屋ずつ見て回ることができるとふんだ。しかし、500号室から549号室まで50部屋もある。ドアを開けてベッドに寝ている人の顔を見ようと思っても、VRゴーグルを顔からどかさなければ確認することができない。当然、そんなことをしたら別室でモニタリングしているアラキが「接続が切れた」と言って飛んでくるだろう。なにか良い方法はないかと部屋の番号札の横を見ると、病室にいる患者の名前がプレートにとても小さなローマ字表記で書かれていたのだ。

「おぉ、これだ!」

 そう言ってタカヤナギは一部屋ずつ名前を確認して歩いた。廊下でバーチャブレイン社の関係者に出会っても怪しまれないよう、キョロキョロせず横目で見るように心掛けた。ところが、500号室から544号室まで順番にチェックしたが、そこにサトウ、キヨカワの苗字は見当たらなかったのだ。となると、残された可能性は、アラキが個人情報云々で立ち入り禁止と言っていた5つの病室のみだ。タカヤナギは、先ほどの45部屋と同じように横目で部屋のプレートを見て歩こうとしたが、これらの5部屋にはプレートに名前が書かれていなかった。となると、ここからは部屋の中に入って一人ずつ顔を確かめなければならない。

 タカヤナギは歩いてきた廊下を振り返り、人が誰も後ろにいないことを確認してからドアのノブに手をかけた。そして、もう一度左右を確認して素早く部屋の中へ入った。見たところ部屋の作りは通常の病棟と同じだったが、患者の様子は全く違っていた。頬は痩せこけて、腕からは点滴の管を差し込まれいた。しかも顔にはVRゴーグルだけでなく酸素吸入までしていたのだ。相当に体力が弱ってしまっているようだ。

「かわいそうに、メタバースだかなんだか知らないけど、きっと運動もせずにプログラムやインターネットばかりやらされてこうなったんだろうな……、いったい何が面白いんだ、こんな業界……」

 タカヤナギは自らがIT業界にいることも忘れて独り言を呟いた。そしてベッドまで近づいて寝ている患者の顔を見ようとしたが、予想通りVRゴーグルと酸素吸入器が邪魔をして表情を確認することができなかった。しかし、横たわっている人物が男性であることは見てすぐに分かった。もしかしたら彼がサトウかもしれないが、少なくともキヨカワエミカではない。そう思ってタカヤナギは、ドアに耳を付けて廊下を歩く人がいないことを確認すると、そっとドアを開けて部屋を出た。

 この調子で順々に病室を見て回ったが、すべて男性で、ついに最後の一部屋を残すのみとなった。ここの部屋の患者が女性であれば、キヨカワエミカの可能性が非常に高い。緊張しながら辺りを見回しつつ部屋のドアを開けた。恐る恐るベッドを見ると、そこには髪の長い女性らしき人物が横たわっていた。

「まさかっ!」

 そこには今まで見てきた病室の患者と同じように、痩せこけた女性が点滴を受けながらVRゴーグルを付けて横たわっていたのだ。最初の部屋にいた男性のように酸素吸入はしていなかったが、今にも天国へ旅立ってもおかしくない程に痩せて衰弱していた。そのためか、どの角度から見ても当時のキヨカワエミカの面影はなかった。目の部分がゴーグルで隠れているからなおさらだ。なにか当時のキヨカワが身に着けていたものはないかと、非礼を承知でタカヤナギは彼女に掛けてあった薄い布団をめくった。すると、彼女の首元にハートの形をしたシルバーのネックレスを見つけたのだ。

「なんてことだ、やっぱりキヨカワくんじゃないか!」

 似たようなネックレスを付けている女性はよく見かけるが、ハートの真ん中にエメラルドが埋め込まれたものはそんなに見かけない。しかもタカヤナギは当時、珍しいネックレスだと彼女にたずねたことがあった。そのとき彼女は、5月生まれの自分の誕生石が埋め込まれていると言ったのだ。そんなエピソードもあり、タカヤナギはこのネックレスのことをよく覚えていた。

 その時だった、部屋のドアが勢いよく開いた。

「おい貴様、部外者は立ち入り禁止だぞ!」

 なんと、そこにはイワタが立っていたのだ。病院には似つかわしくない黒いスーツに身を包み、鋭いまなざしでタカヤナギを睨みつけると、驚いたタカヤナギも負けじとイワタを睨みつけた。すると、大きな体のイワタの後ろから、小さなアラキが出てきて言った。

「ベッドの動作センサーが反応したからおかしいなと思ったら、布団めくって何をしようとしたんですか!」

 アラキが病室に入ってキヨカワに掛かった布団を直そうとすると、タカヤナギはアラキの手をはたいた。

「痛っ! 何するんですか! あなた社員でも何でもないそうじゃないですか、私たちを騙して、何が目的ですか!」

 大きな体のタカヤナギは、ひるむことなく小さなアラキを睨みつけると、アラキは怯えて後ずさりした。すると、アラキと入れ替わるようにイワタがタカヤナギの目の前までゆっくりと近寄って来た。

「アラキからのメールでまさかと思ったけど、やっぱりタカヤナギさんだったか。こりゃ、笑い話にもならねえな」

 イワタの迫力に押されたタカヤナギは、怯えながらも強い口調で言った。

「イ、イワタさん、いったいどういうことですか。あなた、私を騙しましたね?」

「騙す? 騙したのはあんただ。システムはいつ完成するんだよ。カネだけもらって逃げる気か?」

「エンジニアを拉致して病院に送ったのはイワタさんでしょう?」

「はあ? やつらは勝手にウチに来たんだぞ。オレのせいにされちゃ困るな」

「勝手にだって? そんなことは信じられませんよ。この人が救急隊の振りをしてクツマくんを病院に拉致したところだって私は自分の眼で見てるんですよ。クツマくんだけじゃない、うちのサトウくんも、キヨカワくんも、みんなあんたたちが拉致したんだろ? ここで警察呼びますよ!」

 タカヤナギがまくしたてると、アラキは困った顔でイワタを見た。イワタはジャケットの内ポケットからタバコを取り出して、その場で火をつけた。イワタがタバコを吸う様子を見たアラキが焦って病室の窓を開けると、イワタは窓際に移動し、壁にもたれながらタバコを思い切りふかした。

「タカヤナギさん、空気読めない人だね。あんたとこの職人らがカネにつられてウチと契約したんだよ」

「カネにつられて? どういう意味ですか?」

「あんた、イタイ人だな。あんたは職人に嫌われてんだよ。あんたのとこで仕事するより、うちの方が儲かるし働きやすいって意味だよ。気が付いてないのかよ、バーカ、あっははは」

「そんな……、イワタさん、あなた、彼らをカネで引き抜いたんですか!」

「知らねえよ、あいつらが勝手にウチに来たって言ってんだろ」

「彼女は衰弱してるじゃないですか! こんな目にあわされるのをわかって、勝手に来るわけがないでしょう!」

 タカヤナギは激情してイワタの胸ぐらをつかんだ。しかし、イワタはまったく動じもせずにタカヤナギに言った。

「契約書もあるんだ。オレらの仕事邪魔すると、あんたがパクられるぞ。あっはっは!」

 タカヤナギがつかんでいた手を放すと、ベッドに横たわっているキヨカワの頭に装着されたVRゴーグルを取り去った。

「ちょっ、あなた、なにをするんですか!」

 アラキが慌てて制止しようとしたが、イワタがそれを遮った。

「彼女は私が一般病棟へ移動させます。このままでは死んでしまう……」

 タカヤナギはそう言って、ベッドの足に着いた車輪のロックを外そうとしゃがんだ。それを見たアラキが再びタカヤナギを止めようとするが、やはりイワタはアラキの襟元をつかんで制止した。そして笑いながらタカヤナギに言った。

「タカヤナギさん、これは契約違反だ。彼女がいなくなったらウチもけっこうな損失だぜ」

「ウチだってあんたらにエンジニアを拉致されて損を被ったんだ……」

「タカヤナギさんよ、彼女はあんたのオンナだろ? オレにはわかるんだぜ」

 タカヤナギは一瞬手を止めたが、聞こえないふりをして4つあるベッドの足のロックの3つ目を外した。イワタはタバコをふかしながらタカヤナギがベッドを運び出そうとする様子を薄笑いを浮かべて眺めていた。そして、タカヤナギが最後のロックを外したときだった。

「やめとけって、彼女、パソコンなんか触りたくもないってさ。金持ちな男らの相手してた方が楽しいっつってたんだよ」

 イワタの一言でタカヤナギは再び手を止めると、振り返ってイワタを睨みつけた。

「なんだよ、違約金払ってもらうからな……、それと、システム開発の損害賠償もな……」

「裁判でも何でも起こせばいい……」

 タカヤナギは捨て台詞を吐いて、彼女のベッドを部屋の外へと運び出した。

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