第4話 メタバースで救急搬送
その翌日、明日世界の終わりが来るかのごとくタカヤナギは焦っていた。何度クツマに電話をしても出ないし、メールを送っても返信がないからである。音信不通の期間は、わずか二日であるが、クツマの言った『一カ月で進捗率35%』を真に受けたタカヤナギの心中は穏やかでなかった。そこで、タカヤナギは、今まで二人のエンジニアに逃げられた教訓から早々に最終手段を取った。クツマの住むタワーマンションにアポなしで乗り込むことを決めたのだ。
夕方の四時過ぎ、タカヤナギは地下鉄を乗り継いで、クツマの住むタワーマンションまでやってきた。マンションのエントランスにはコンシェルジュはおらず、インターホンから住人を直接呼び出す仕組みだった。しかし、何度呼び出してもクツマは出てこなかった。
「はぁ……、また逃げられたか……、それとも居留守か……」
タカヤナギは、マンションの住民がエントランスのロックを解除してゲートをくぐるそのあとをピッタリとついてエレベーターホールへ侵入した。エレベーターに乗り込んで、ほっと一息ついたタカヤナギが三階のボタンを押してドアが閉まるのを待っていると、救急服を着た二人の男が、折り畳み式の担架を抱えてエレベーターへ乗り込んできた。マンションの住人が救急車を呼んだのだろうかとタカヤナギは、救急隊を横目で見ながらエレベーターが上昇するのを待った。すると、救急隊は階数のボタンを押す様子もなく、クツマと同じ三階で降りたのだ。タカヤナギは救急隊の後を追う形でクツマの部屋の方へ向かった。救急隊の背中を見ながら歩いて、どこへ行くのだろうと思っていると、驚くことにクツマの部屋の前で立ち止まったのだ。そして救急隊は、ポケットから合鍵を出して部屋のドアを開けた。
「まさか、クツマくん、倒れたのか?」
しばらく待っていると、VRゴーグルをかぶったクツマが担架に乗せられて部屋から出てきた。心配してタカヤナギが担架の方に近づいていくと、救急隊がそこを退けとタカヤナギに手で指図した。
「あの、違うんです、クツマくんに用があって来たんです。何かあったんですか?」
タカヤナギが問いかけると、救急隊の男は、クツマの親族かどうかをタカヤナギにたずねた。タカヤナギが親族ではないと答えると、緊急だからと何も語らずにエレベーターに乗り込んでしまった。これは一大事だと、タカヤナギはエレベーターの脇にある階段をかけ降りた。頼みの綱はクツマだけである。もしも倒れたとしたら少なくともクツマがどこの病院に入院しているのかだけでも知っておく必要があった。クツマの意識が戻ったら、途中かけのプログラムを入手して、誰か代わりのエンジニアに引き継がせることができるからである。
タカヤナギはマンションの前の大通りを走るタクシーを呼び止めて、救急車を追うようにと運転手に伝えた。その道中、タクシーの後部座席でタカヤナギは思った。これはきっと、とても難易度の高い仕事だったのだと。そのため、今までのエンジニアたちは昼夜働き続け、ついに過労で倒れて入院してしまたのだ。てっきり逃げたばかりと思っていたタカヤナギは、自らの至らなさを反省するのだった。
救急車を追っていたタクシーは、かろうじて赤信号に捕まらず、病院までたどり着くことができた。そこは東京中央病院という都内有数の救急病院だった。タクシーから降りたタカヤナギは、急いで救急車まで駆け寄った。ちょうど救急隊は救急車の後部リアゲートを開けて、クツマを院内へと運び出そうとしている時だった。
「クツマくん、クツマくん!」
いきなり走り寄って来たタカヤナギを見て驚いた救急隊は、あわててタカヤナギを制止した。
「あなた、どなたですか? さっきの方ですか? 患者さんとどういう関係ですか?」
「あ、あの、仕事の関係です……」
「仕事って、何の仕事ですか?」
「はい、その、言ってもわからないでしょうけど、不動産システムの開発です……」
「不動産、あぁ、イワタさんの関係?」
「えっ、は、はい、システムの関係で……」
「じゃあ、事情は分かってますよね? 患者さん、契約済みなので、いつもの二号病棟に行きますから」
「は、はあ……、そ、そうですか……」
タカヤナギが呆気に取られていると、救急隊は移動式ベッドに乗せたクツマを救急入り口から建物の中へ連れて行ってしまった。
「あの救急隊、どうしてイワタ社長のことを……」
タカヤナギは、しばらくその場で呆然と突っ立っていたが、ふと我に返り、急いで救急隊の後を追った。しかし、救急入口で、何の用事で二号病棟に来たのかと警備員に止められてしまったのだ。困ったタカヤナギは、一か八かイワタの関係だと伝えると、すんなり先へ通された。
「イワタ社長って何者なんだ……」
タカヤナギが、気付かれないように救急隊のあとをついて行くと、彼らはクツマを二号病棟の個室へと収容した。開け放されたドアの外から病室の中の様子を見ていると、救急隊の男がタカヤナギに気が付いた。タカヤナギが気まずそうに愛想笑いを浮かべると、救急隊の男は怪訝な顔をしてタカヤナギに言った。
「あなた、まだいたんですか。今日は何しに来られたんですか?」
「えぇ、その、クツマくんに言い忘れたことがありまして……」
「彼はしばらく目を覚ますことはないですよ。ていうか、絶対に起こしたらダメですからね。わかってるとは思いますけど、明日からフェーズ2に移行しますから」
「いや、でも……」
「伝言ならメタバースでしたらいいじゃないですか?」
「メタバース?」
「あれ……、あなた新人さんですか? だったら一度イワタさんに段取りを説明してもらった方がいいですよ!」
「は、はあ……」
そう言って救急隊は忙しそうに病室を出て行ってしまった。タカヤナギは救急隊が廊下の角を曲がって見えなくなるのを確認すると、そっと病室のドアを開けて部屋の中に入った。病室にはベッドが一つ置いてあり、そこにクツマが眠っていた。VRゴーグルで目の辺りは見えないとはいえ、血色も良く、とても病人には見えなかった。タカヤナギは小声でクツマを呼んだ。絶対に起こすなとは言われていたが、体が弱っているようには見えないし、少し声を掛ければ目を覚ましそうな様子だったからだ。
「クツマくん、クツマくん!」
タカヤナギが少し大きめの声でクツマを呼ぶと、クツマの口元がピクピクと動いた。タカヤナギが眠っているクツマの肩の辺りを軽く揺すると、ついにクツマは目を覚まし、自らVRゴーグルを外してタカヤナギを見た。
「あぁ、タカヤナギさん……、あ、あれ? どうしてこんな場所に? しかもパジャマだし……。あっ! オレ、オムツみたいなのしてるんだけど、どうしてこうなったの?」
「クツマくん、目が覚めて良かった。キミは過労で倒れて、救急病院に運ばれて来たんだよ……」
「そんなバカな……、あっ、そうかっ、わかった、メタバースにいたから知らない間に何日も時間が過ぎていたんだ!」
「メタバース?」
「そうなんです。あのサーバー業者、メタバース空間を持ってて、そこにいると時間を忘れて気を失ったようになっちゃって……」
メタバースで気を失ったと聞いて不思議そうな顔をするタカヤナギに、クツマは余計なことを言ってしまったと後悔した。クツマもサトウと同じように、タカヤナギからの仕事の依頼を放り出して、バーチャブレイン社と契約をしてしまったわけだから、下手なことを話すわけにはいかないのだ。しかし、メタバースで時間を過ごしている間、自らが病院に運ばれるような事態に陥ったことはクツマにとって想定外であった。適度な時間でメタバースからログアウトしないと、とんでもないことになると恐怖感さえ覚えた。
「タカヤナギさん、オレは見ての通り元気なので、タクシー呼んで帰りましょう」
「そ、そうだね、まずは帰宅して不動産管理システムを片付けないといけないからね」
案件のことが気になっていたタカヤナギは、その場でスマホを取り出してタクシーを手配した。しかし、手配したは良いが、クツマを運んできた救急隊の男がイワタの名前を口にしたことがどうにもタカヤナギは引っかかっていた。それはつまり、クツマが病院送りになったことを、イワタが知っているということだからである。
その時だった、救急隊の男が慌てて病室に入ってきて二人を叱った。
「センターからアラートが飛んできたからおかしいなと思ったんですよ。絶対に起こしたらダメだって言ったじゃないですか!」
「い、いや、起こしてないですよ! クツマくんが勝手に起きたんです!」
「本当ですかぁ……?」
慌てて嘘の言い訳をするタカヤナギを睨みながら、救急隊の男はクツマの脇に置いてあったVRゴーグルを取り上げて、何やら操作をし始めた。それを見たクツマは心配そうに救急隊の男にたずねた。
「あの、メタバースで仕事してたら突然目が覚めたんですけど、どうして僕は病院にいるんですか?」
すると救急隊の男は、VRゴーグルをいじりながらクツマに言った。
「規約に書いてましたよね、メタバースログイン中の体調管理はバーチャブレイン社に委託するって。あなたの体はこの病院で管理することになってるんです」
「えっ、規約ですか? あの長ったらしいやつですよね……、ちゃんと読んでなかったからなぁ……」
「これは、ちゃんとした契約ですからね、読んでなかったは通用しませんよ。ちゃんと守ってもらわないと、私も怒られちゃうんですよ。さあ、もう一度ゴーグルをかぶってもらえますか?」
「あの……、これは安全な仕組みなんですか?」
「もちろんですよ」
「ちょっと待ってください。いったんトイレに行かせて下さい。ここにいるタカヤナギさんと話したいことがあるし」
「いや、そもそもトイレに行かなくてもいいように病院まで搬送したんですけどね……。じゃあ、十五分あげますから、それまでにログインしてくださいね。この件、ちょっとした事故ってことにしておきますからね」
クツマが頷く様子を見ると、救急隊の男は、センターに報告すると言い残して再び病室を出ていった。ドアの外から足音が聞こえなくなるとクツマは苦笑いしながらタカヤナギに言った。
「タカヤナギさん、一人でタクシーに乗って帰ってください。契約みたいだし、オレは今すぐ帰宅できそうにないです」
「ちょっと待ってよクツマくん、だんだんわかってきたよ」
「なにがですか?」
「黒幕はイワタ社長だ」
「イワタ社長? あのヤクザみたいな不動産屋ですか?」
「そう。さっきの救急隊の人、きっとイワタ社長の部下だよ。彼の口からイワタ社長の名前が出たから間違いない」
「まじっすか?」
「うん。まんまと損害賠償を払わされるところだった。これは全部イワタ社長が仕組んだ詐欺事件だよ。きっと前任者のサトウくんも、そのまた前任者のキヨカワくんも、クツマくんと同じ目にあわされたんだ。じゃなきゃ突然音信不通なんてありえないからね……」
まずイワタは、エンジニアたちをメタバースなる仕組みを使って病院送りにする。故意にシステム開発をとん挫させておきながら、その代償を損害賠償として払わせる算段だったとタカヤナギは推測した。話が進むにつれて、タカヤナギは徐々に興奮し始めた。
「ぜ、ぜーったいに許せないよ、クツマくん! この案件、手を引こう。ここで起こったことをイワタ社長に釈明させよう。少なくともキヨカワくんが無事かどうか聞くまでは、さすがの私も引き下がれないからね……」
クツマは一連の出来事がイワタによる詐欺事件であるとは到底思えなかった。あのメタバースが世に出れば、何百億というカネが動くはずである。わずか数百万円を得るだけのために詐欺事件を起こすリスクを考えれば、割に合わないにも程があるからだ。
しかし、タカヤナギがむきになる気持ちもクツマには理解できた。サトウの話では、キヨカワエミカはタカヤナギのお気に入りだったという。彼女は特にプログラミングが優れていたわけでもないから、タカヤナギに気に入られる理由があるとすれば、無茶な案件でもすんなりと引き受けてくれる従順さだろう。タカヤナギにとっては使い勝手の良いエンジニアだったに違いない。
ところで彼女は少なからずチャーミングである。キヨカワエミカがその後どうなったかは、少しだけ下心のあったクツマにも興味があった。彼女のスキルでプログラム職人の会にスカウトされるとは到底思えないが、万が一ということもあるだろう。
タカヤナギにすべてを打ち明けて一緒にキヨカワエミカを探すべきか、または二千万円の報酬が待つメタバースに黙って戻るべきか、クツマの心は揺れていた。しかし、もしもすべてを打ち明けた場合、二千万円の報酬につられてタカヤナギの依頼を放り出したことがバレてしまう。そうなれば温厚なタカヤナギもさすがに怒るだろう。とはいえ、年収二千万円という報酬を受け取りながら極楽のようなメタバースで過ごしたとしても、病院で管理されているとはいえ体がどうなってしまうのかという不安もあった。その上、メタバースにガラの悪いイワタがかかわっているとすれば、それもクツマにとっては不安要素だった。
しかめっ面で腕組みして思案するタカヤナギの横で、感染したかのようにクツマもまたしかめっ面になっていた。お金は欲しいが、トラブルには巻き込まれたくない。そう思ったクツマはタカヤナギに提案をした。クツマがメタバースにログインして1時間ほど過ぎたら、先ほどと同じように眠りから強制的に起こしてほしいと頼んだのだ。1時間あればメタバース内で8時間は活動できる。その間にサトウから情報を集め、キヨカワエミカを探し出したり、メタバースとイワタとのかかわりを確かめたりしようと考えたのだ。
「キヨカワくん、無事かなぁ?」
「まかせてください、探してみますよ!」
「感謝するよ、クツマくん!」
タカヤナギがクツマのアイデアを了承すると、クツマはVRゴーグルをかぶって再びメタバースにログインした。まもなく眠りに落ちたクツマをタカヤナギが興味深く眺めていると、先ほどの救急隊の男が再び部屋に戻って来た。
「おぉ、ログインしましたね。じゃ、明日まで待機ですね……」
「そ、そうですね待機してます……」
「あ、いや……、あなたは待機する必要ないですよ」
「さっきみたいに途中で目が覚めないように見張ってるんです」
咄嗟にタカヤナギは適当なことを言ってごまかそうとした。
「途中で目が覚めるなんて今までなかったですけどね……。ていうか、あなた、新人さんですよね?」
突然の質問に、タカヤナギは再び適当な嘘をついてその場をやりすごそうとした。
「は、はい、最近入社したタカヤナギです……、ちなみに、あなたは……、救急隊ですか?」
「いや、私もあなたと同じバーチャブレイン社の新入社員ですよ。3か月前に入社したアラキです」
救急隊が本職にしては体も小さいし弱々しく変だと思っていたタカヤナギは、アラキが普通のIT企業の社員だと聞いて納得した。
「つい1ヶ月ほど前ですよ、会社が病院の経営権を手に入れたんです。投資家のおかげですけどね。だから最近は色々やりやすくなりましたよ」
「は、はあ、そうですか……、それはなによりなことで……」
タカヤナギが適当な相槌を打つと、アラキは病室を出ていった。
「やれやれ、これで一安心だ」
タカヤナギはため息をついて、隣で眠るクツマを見守った。
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