第2話 プログラム職人の会

 一カ月が過ぎた。クツマの心配は杞憂に終わり、既にプログラムは完成間近で納品を迎えようとしていた。しかし、そのことは、まだタカヤナギには伝えていなかった。納期二カ月の案件が一カ月で終わりそうだ、などと伝えたらタカヤナギは大喜びするだろうが、発注額を70万円から40万円に値下げさせてくれなどと、到底信じがたいお願いをされかねないと思ったからだ。

 ところで、納品する前に、まだやらなければいけないことはある。不動産管理システムから登録した物件を、インターネット上で一般のお客さんが検索できるようにしなければならないのだ。システムをインターネット上で動かすためには、WEBウェブサーバーと呼ばれる業務用のパソコンに、クツマが作ったプログラム一式をアップロードしなければならない。しかし、そのWEBサーバーの場所アドレスや接続方法、接続IDなどの情報が設計書のどこにも書かれていなかった。

 そこでクツマは、WEBサーバーの情報をよこすようメールでタカヤナギに問い合わせた。すると、その数分後にタカヤナギからの電話が鳴った。メールで済むところを、わざわざ電話で返事をしてくるタカヤナギのアナログっぷりも、しばしばクツマをイラっとさせる要因のひとつである。

「クツマくん、大丈夫~? 設計書読んでる~?」

 タカヤナギが言うには、WEBサーバーの情報はきちんと設計書の最後の方に書いてあるとのことだ。タカヤナギの口調にイラっとしながらも、クツマはスマホをスピーカー状態にしてデスクに置き、しばらく見ることのなかった設計書に目を通した。すると、確かに設計書の最後の方のページに『※ WEBサーバーは、バーチャブレイン社のカーニバルプランを利用のこと』と、とても小さな文字で書かれていたのだ。

「タカヤナギさん、これサーバーの接続情報じゃなくて、ただ、これを使えって書いてあるだけっすよ……」

 しかも、それはクツマが今まで使ったことがない、いや、それどころか聞いたことのないサーバー業者だった。WEBサーバーの品質によってはシステムが安定して動かないこともあるから、できれば無難な大手業者のWEBサーバーを使いたいとクツマはタカヤナギに注文を付けた。

「それがさあ、イワタ社長がこのサーバー業者を使えって言うんだよ。代理店でもやって小銭稼いでるんじゃないかなぁ」

「まじっすか。バーチャブレイン社なんて、聞いたことないっすよ……。システムが動かなかったらどうするんですか?」

「いやあ、そんなことはないと思うけど……。もし動かなかったら、その時にイワタ社長に交渉したらいいじゃない?」

「はあ……、交渉なんてできるんですかね、あの人に……。じゃあ、タカヤナギさんサーバー業者との契約をお願いしてもいいですか?」

「ごめん、正直よくわからないからクツマくん代わりに契約しておいてよ、その代わりサーバー費用はちゃんとイワタ社長に払ってもらうからさ」

 サーバー費用を顧客側が支払うなど当たり前の話である。むしろ、サーバー契約や設定の手続きにかかる手数料を追加で支払うのが筋である。タカヤナギと話すと毎度この調子であった。しかし、ここでゴネたところで追加費用など出てくるわけもない。無益な言い争いは時間の無駄であると頭を切り替えて、クツマは渋々タカヤナギの指示に従った。

「あ、ところでクツマくん、もうサーバーの話をするってことは、完成間近ってことかな?」

「え、いや……、まあ、その……、35%くらいは完成してますよ……」

 クツマは、ほぼ完成しているシステムを前に、半分も完成していないと嘘をついた。タカヤナギを不安にさせるための意地悪である。

「えっ、大丈夫? ちょっとペース早めたほうがいいんじゃないかな……。何か困ってることがあったら早めに相談してね……」

 図体が大きいわりに、蚤の心臓のごとく、やたらと心配性なタカヤナギにクツマの苛立ちは最高潮に達した。

「あぁ、はい、はい、了解っす。なんとか巻き返しますので、もう少し待ってもらえますか……」

「うん、たのむよ。ちょいちょい連絡入れるからさ……。あ、それからさぁ、別件があるんだけど……」

「あ、あの、別件はまた今度でいいですか……。納期に間に合わないんで、もう切りますよ、失礼します!」

 一日でも早く仕事を終わらせて旅行に行く気満々のクツマは、電話が終わると急いで財布を持って外に出た。そして、少し早めの夕食を近所のファーストフードで済ますと、プログラムの最後の仕上げに取り掛かるため、駆け足で自宅マンションに戻った。

 クツマは築30年のタワーマンションに一人で住んでいた。個人事業のクツマにとっては自宅兼オフィスでもある。そこは、誰もが憧れるタワーマンションではあったが、家賃は14万円と破格の値段。なぜなら、クツマの部屋は最上階ではなく三階だったからだ。窓を開けても周囲の建物が邪魔をして、素敵な夜景などまったく見えないどころか、スカイツリーの先っぽさえも見えない。聞こえてくるのは大通りを行きかう車のエンジン音。鳥のさえずりかと思えば歩行者信号の音である。そんな息が詰まるような環境でも、二年も住めば都だ。秋の夜ともなれば、窓からのそよ風でエアコンをつけなくても涼やかに仕事に集中することができた。仕事をするなら、まさにこの季節だ。そんなことを思いながら、クツマはサーバー契約をするために、バーチャブレイン社のWEBサイトにアクセスした。

「へえ、契約はメタバースでってか。メタバースでサーバー契約なんて初めてだな……」

 メタバースというのはインターネット上に作られた仮想世界のことだ。そこには現実世界と同じようにオフィスや住居が存在する。そして、会員登録をしてメタバースの住民になると、自らの分身であるアバターを与えられる。そのアバターに自分好みの服装やアイテムを着用させたり、自由に仮想世界を散策させたりすることもできる。もちろん、仮想現実の中で買い物や契約も可能だ。今回のWEBサーバーも仮想空間の中にあるバーチャブレイン社のオフィスにアバターで出向いて契約をするようだ。

 クツマはVRバーチャルリアリティ専用のゴーグルを頭にかぶって仮想世界へログインした。このVRゴーグルは仮想世界を旅するために必要なデジタルデバイスで、家電量販店などで市販されているものである。VRゴーグル自体が小さなパソコンのようにCPUやメモリを備えており、両眼の液晶モニタに仮想世界が立体的に映し出される。その映像は、デジタルの仮想空間であることを忘れて、あたかもアナログな現実の世界にいるかのような没入感を与えるほどのリアリティなのだ。

 クツマはバーチャブレイン社のWEBサイトで自らのアバターを作成し、仮想都市にログインした。そして、未来風の大都市の中央にあるバーチャブレイン社の本社ビルへ向かった。もちろん自分の足で向かうわけではない。テレビゲームで使うコントローラのようなものを両手で操作して移動するのだ。デジタルの煌びやかな未来都市風の街並みを横目に見てメインストリートを歩いていくと、バーチャブレイン社の本社ビルに着いた。見上げるとビルの上の方は雲に隠れており最上階は見えなかった。まるでおとぎ話に出てくる天空の塔だが、そこは仮想世界、何でもアリである。

「このビル、どっから入るんだ……」

 入り口の見当たらない天にそびえる高層ビルを前にして戸惑っていると、受付嬢が突然目の前にフェードインして現れ、クツマに話しかけた。

「ようこそ、バーチャブレイン社へ。ご要件を、お申し付けください」

 恐らくAIなのだろうが、実際の人間が目の前にいるかのごとくリアルだった。クツマは緊張しながら受付嬢に伝えた。

「お、御社のレンタルサーバーを契約したいんですが……」

 すると、目の前に突然スクリーンが現れて、そこにサーバープランのメニュー表が映し出された。メニューは3つあり、セービングプラン、ベーシックプラン、そして三番目がイワタ社長のリクエストしていたカーニバルプランだった。月額3万円だから、レンタルサーバーにしては割と高価なプランである。きっと、CPUもメモリもそこそこ性能のよい部品を使っているに違いない。クツマがカーニバルプランを注文すると、続けざまに受付嬢は、クツマにアンケートへの協力を求めた。クツマは深く考えることも無くアンケートに承諾すると、先ほどのメニュー表の上に重なるように別のスクリーンが現れて、自動的にアンケートが始まった。

「第一問、あなたはシステムエンジニアですか?」

 空中のスクリーンに表示された質問にクツマが答えていく。

「はい、そうです」

「第二問、プログラミング経験は10年以上ですか?」

「えーと、はい、ちょうど今年で10年です」

「第三問、弊社のプログラム職人の会に会員登録しますか?」

「プ、プログラム職人の会?」

 プログラム職人と聞いて、クツマは再びあの人物を思い出した。以前に勤めていた会社の先輩、サトウシンゴだ。プログラム職人とは、彼ににつけられた異名である。しかし、先日の設計書に書かれていた署名といい、偶然とはいえサトウシンゴがよく登場することに、クツマは違和感を覚えた。気にせず会員登録をしてもよいものかどうかと迷っていると、その様子に気が付いた受付嬢が補足説明を始めた。

「プログラム職人の会に入会頂きますと、たくさんの特典がございます。一例をあげますと、バーチャブレイン社が企画する技術セミナーやイベントに優先的に参加できます」

 ありがちな内容だし、これなら大きな問題はないだろうと、クツマは会員登録することを彼女に伝えた。すると、別のスクリーンが目の前に現れて、十万文字はあるだろう長ったらしい規約文がスクリーンに表示された。どれだけ素早くスクロールしても小さな文字が延々と続いた。まだ読んでいる途中のクツマに、受付嬢が規約に同意するよう促すと、焦ったクツマは、たいして内容を読みもせずに同意することを告げた。その瞬間、目の前の画面にぽっかりと黒い穴が開いた。まるで、闇へ通じるトンネルのようだった。

「これは弊社の開発した、プログラム職人の会への自動登録プログラムです。穴の中へお入りください」

 通常、会員登録ということになれば、氏名や住所、メールアドレスなどを書き込むものだが、そこにあるのは暗闇へと続く穴。クツマは、なかなか面白い演出だとばかりに軽い気持ちで穴の中へゆっくりと入って行った。穴の中は宇宙空間のようになっていて、周囲にはたくさんの星々が輝いていた。

「わあ、リアルだなあ……」

 クツマが辺りを見回して感心していると、突然、周りの星々が自らの後ろへと移動し始めた。まるで宇宙船にでも乗りこんだかのようにクツマは宇宙空間を前進し始めたのだ。そのままぐんぐんとスピードは上がり、まっすぐ進んでいたかと思うと左へカーブし、またしばらくして右へ大きくカーブした。宇宙空間を縦横無尽に突き進むうち、あまりの視点移動の激しさで、クツマはひどい眩暈を感じた。いわゆる『VR酔い』といわれる状態だ。こんなときはすぐにVRゴーグルを外して、いったん視界をリセットさせるのが最善の策である。そう思ってVRゴーグルを外そうしたときクツマは異変に気が付いた。なぜか、頭に着けていたはずのVRゴーグルが見当たらないのだ。手元を見ると、持っていたコントローラーもなかった。自らのアバターをまるで自分の生身の体のように操っていたのだ。

「あれ? ゴーグルがない! じゃ、今見てるこの景色はいったいなに? っていうか、この体はなに?」

 すると、移動スピードは徐々にゆっくりになり、そのうち静止した。そして、宇宙空間のどこからともなく、受付嬢の声が聞こえてきた。

「まもなく、あなた専用のプログラミングルームに到着します。そのまま指示があるまでお待ちください」

「えっ、オレ専用のプログラミングルーム……? それもプログラム職人の会の特典なの?」

 いつのまにか眩暈はおさまり、クツマは宇宙空間にとり残されたまま受付嬢の指示を待った。すると、ほどなくして周囲に見えていた星々がフェードアウトし、広さ20畳ほどの広々としたオフィス空間が現れたのだ。白い木目調のフローリングと白塗りの漆喰の壁、入り口の向かいの壁だけは一面が巨大な窓ガラスになっていた。やわらかい春の陽ざしがふりそそぐ窓の外は、小路に沿って色とりどりの花の咲く公園のようだった。

 部屋の中央にはポツンとデスクが設置されており、デスクの上にはワイヤレスのキーボードとマウス、そして普段使っているものより大きめのモニタが置かれていた。さらに、天井にはスピーカーが埋め込まれ、BGMのクラッシックが静かな音量で流れていた。ここはまさに、クツマの抱く理想の仕事場だった。

「すげえな、この環境。まるでシリコンバレーのエンジニアになったみたいだ……」

 クツマはたまらずデスクの傍まで行き、椅子に座ってキーボーに手を置いた。キーを押したときの適度な反発感と、独特なメカニカルな打鍵音、これもまたクツマの理想としていたキーボードだった。

「買えば数万円はするだろうなぁ。いったいどこのメーカーだろう」

 クツマはキーボードをひっくり返して裏面を見てみたが、そこには何も書かれていなかった。次に視線を正面に移すと、画面サイズ40インチ以上はあるモニターがデスク上に鎮座していた。これだけのサイズがあれば同時に複数の作業をするのにも不足はないし、ゲームだってできる。さっそくパソコンの電源をオンにすると、素晴らしい発色と解像度でもってデスクトップ画面が現れた。そして、画面の中央には『マイプロジェクト』というフォルダがポツンと一つだけ置かれており、クツマがそれをマウスでダブルクリックすると、驚くことに、先ほどまでプログラミングしていた不動産管理システムのソースコードが表示されたのだ。

「おぉ、自動的に自宅の環境と連携してくれるのか……?」

 プログラミングエディタも普段使っているものと設定もすべて同じだった。つまり、普段使っているパソコンの中にあるものが、すべてメタバースに転送されていたということだ。しかし、これはある意味で個人情報が持ち出されたことを意味した。クツマは一抹の不安を抱きながらも、きっと規約に書かれていたのだろうと、よく読まなかったことを反省した。

 しかし、反省よりもむしろ、この空間で何ができるのかという好奇心の方が断然勝っていた。職人は道具が命。道具が良ければ良い仕事ができる。居ても立っても居られず、クツマは、あと少しで完成する不動産管理システムの残りのプログラミングをその場で始めた。エディタを開いて、キーボードに手を置く。すると、頭に思い描いたプログラムが瞬時にタイピングされていった。思考とほぼ同じスピードでアバターの手が動くのだ。カチャカチャと凄まじいスピードで心地よい打鍵音が響く。そして、その打鍵音に酔いしれるクツマ。何時間も仕事をしていても疲れることはなかった。


 クツマがプログラミング作業を始めてから四時間ほどが過ぎた。クラシックのBGMがトーンダウンしたかと思ったら、プライベートオフィスのどこからともなく受付嬢の声が聞こえてきた。

「ここはあなただけのオフィス空間。気に入っていただけましたか? まもなくサービス終了となりますので、明日またご利用ください」

 突然の終了にクツマは戸惑った。作業のきりが悪いから、あと少しだけ時間が欲しいと受付嬢に頼んでみたが、その返事はなかった。そのうちクツマの目の前は真っ暗になり、ふと気が付くと、見慣れたマンションの一室でデスクに向かって腕組みをする自分自信に気が付いた。頭にはVRゴーグルを装着しており、メタバースにログインする前の状態のままだった。辺りを見回すと生活感のある自分の部屋があるのみで、理想のオフィスは跡形もなく消えていた。夢でも見ていたのだろうかと思ったが、クツマには夢ではないという確信はあった。なぜなら今までの出来事をすべて鮮明に覚えているし、自らの意思をずっと働かせることができたからだ。曖昧な記憶も一切なく、意識の断絶もないから夢のはずがないと思ったのだ。

 クツマはログイン画面にもどって、もう一度仮想空間にログインしようと試みた。しかし、ログイン画面は一時的に閉じられており、その下に小さな文字で『サービス時間は平日20時から21時です』と書かれていた。クツマが左手に装着していたスマートウォッチを見ると、時刻は21時を指しており、ログインしたのが20時半くらいだったから、ほんの30分程度の出来事だったことがわかった。とはいえ、クツマの時間感覚は異なっていた。少なくとも四時間は仮想空間にいたと感じていたのだ。

「どうなってんの?」

 クツマは自らのパソコンに保存されていた不動産管理システムのプログラムファイルを開いた。すると、仮想空間で作業をした分がきっちりと反映されていたのだ。しかも、30分かそこらの仕事をした程度の分量ではなかった。しっかり半日、四時間程度の作業量に相当していた。ということは計算上、仮想空間で一時間働けば、現実世界で約八時間、一日分の仕事量に相当するということだ。クツマの両腕には鳥肌が立っていた。これは今までになく効率的な仕事の仕方であり、これからの人生を根本的に変える画期的なシステムだと確信したのだ。

 しかし、クツマにはどうしても解せないことがあった。それは、こんなに素晴らしい大発明が、ほとんど誰にも知られていないことだ。少なくともインターネットで大きな話題になるはずであるが、どれだけ検索してもニュースリリースさえも見あたらなかったのである。

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