メタバースはオワコンなんだって ~ 人喰いVR ~

ロコヌタ

第1話 トラブル案件専門エンジニア

 クツマシュンスケは、フリーランスのシステムエンジニアである。愚痴っぽい男で、酒の席では決まってある人物の悪口を言う。飲み仲間たちも「またか」とばかりにクツマの話を苦笑いしながら聞く。

「タカヤナギのオッサン、ちょっとパソコンやガジェットの使い方に詳しいくらいで、システム開発会社なんか立ち上げちゃってさ、身の程知らずにも程があるんだよな。おかげでどんだけオレが苦労してるか……。いや、オレだからどうにかなってんだぜ?」

 クツマがこき下ろすタカヤナギなる人物は、長年アパレル会社で営業として働いてきたが、五十八歳を迎えた三年前の春に脱サラ。たった一人でシステム開発会社を立ち上げた。アパレル一筋だった彼にはIT企業での勤務経験もなければ、プログラマーとしての実務経験もない。それでも、長年の営業経験で培った勘と度胸を駆使して、各所からシステム開発案件を受注できるまでに至った。当然、自らはプログラムを組めないので、フリーランスのシステムエンジニアに丸投げ。その中間マージンで生計を立てていた。

 クツマはタカヤナギから仕事を得ているフリーランスのシステムエンジニアの一人だった。彼にも生活があるから、仕事をもらえる分にはありがたかったが、いかんせんタカヤナギの取ってくる仕事はトラブル案件ばかりであった。

「このシステム開発案件、エンジニアが逃げちゃってさぁ。クツマくん、私を助けると思って協力してくれない? 40万円でどう?」

「40ですか……」

 クツマは、つい3ヶ月ほど前もバグだらけで動かないシステムの修理をタカヤナギから依頼され、安い金額で請け負ったばかりだった。しかも今回の案件は、前任者が逃げ出したと聞く。仕事が欲しいばかりに難易度の高いシステムを安請け合いしたはいいが、結局作れなくてエンジニアが逃亡。IT業界ではよく聞く話だ。

「正直、70はもらわないとキツイっすね……」

「うーん、わかった、70万円ならどうにか出せる!」

 開業して三年目の素人IT経営者は、営業こそ人並みにできるが、システム開発のことをまったくわかっていなかった。そんなタカヤナギにまともな仕事を依頼する会社は多くない。とはいえ、クツマも二年前に独立したばかり。まだ二十八歳のシステムエンジニアである。独力で仕事を潤沢に取れる営業力など持ち合わせておらず、トラブル案件はイヤだからとタカヤナギの頼みを無下に断れる立場ではなかった。いわば、持ちつ持たれつの関係、お互い感謝すべき間柄なのだが、それでも、クツマの陰口は止まらない。

「最初40で、渋ったら70でオッケーて……、タカヤナギのオッサン、どんだけマージン取ってんだよ、ちくしょう……」


 三日後、クツマはタカヤナギと二人で発注元の会社へと赴いた。それは池袋エステートという、社長と事務員一人の小さな不動産会社だった。駅前の雑居ビルの二階に店舗を構え、不動産の売買と賃貸を営んでいた。

 入り口の自動ドアが開くと、カウンターに座っていた女性事務員がタカヤナギたちに気づき、「いらっしゃいませ」と愛想のない表情で挨拶をした。タカヤナギが事務員に13時から社長と打ち合わせの約束があると告げると、二人はタバコ臭い応接室に通された。そこには大きな二人掛けの革のソファが、小さなガラステーブルをはさんで2つ置いてあった。事務員は二人を部屋の奥のソファに案内すると、笑顔ひとつ見せずにバタンとドアを閉めて部屋を出て行った。緊張気味のタカヤナギは、若い頃バスケットボールでならした大きな体を縮こませて、膝に手を置き、うつむき加減で社長が部屋にやってくるのを待った。クツマは、壁の絵画や床に無造作に置いてある骨董品の壺を落ち着かない様子で眺めていた。

 三分ほど過ぎると、ドアの開く音とともに柄の悪そうな中年男が現れた。池袋エステート社長のイワタだ。黒地に明るいグレーのストライプが入ったスーツと、艶々としたオールバック。二人の向かいにドカッと座ると、強烈な香水の香りが二人に押し寄せた。格闘技でもやっているかのような大きな体と、睨みつけるような鋭いまなざし。とても堅気とは思えない風貌にクツマは怖気づいたが、冷静を装い自分の名刺を差し出した。

「初めまして、システムエンジニアのクツマと申し……」

「名刺なんていらねえよ。オレは別に誰でもいいんだよ、プログラムさえできれば……」

 イワタはクツマの自己紹介を遮って、タカヤナギを睨みつけた。

 遡ること一年前、イワタは自社で扱う不動産をインターネットで宣伝するため、不動産管理システムの構築をタカヤナギに依頼した。いつもの通りタカヤナギは、フリーランスのエンジニアを探して仕事を任せたのだが、納期が過ぎてもいっこうにシステムは完成しなかった。イワタは腹を立てて、タカヤナギに前金として渡した二百万円を返せと迫るが、タカヤナギはどうにかイワタをなだめて三カ月ほど待ってもらった。

 しかし、それでも完成しないため、温厚なタカヤナギもついに業を煮やし、そのエンジニアの住む自宅アパートへ押しかけた。ところが、アパートは既にもぬけの殻だったのだ。

「タカヤナギさんね、いい歳して失敗を人のせいにしちゃだめだろ。つーか、エンジニアが逃げたのは、あんたの管理能力不足だろ?」

「はい、重々承知しております……」

「いったい何人逃げてんのよ? おたくの会社」

「いや、でも、まだ二人です……」

「まだ二人って、どういう意味だよ! 普通は逃げねえんだよ!」

「す、すみません……」

 二人の会話を下を向きながら黙って聞いていたクツマは先が思いやられた。自分の前に二人もエンジニアが逃げ出しているような案件だったのだ。

「まあいいよ、この人、腕利きの職人なんでしょ? あんた毎回大丈夫っつってるけどさ。これでダメだったら損害賠償だぜ?」

「は、はい……、承知しております」

 結局この日は顔合わせ程度で打ち合わせを終えて、二人は池袋エステートのオフィスを出た。そのあとタカヤナギは、どうやったらシステム開発を滞りなく進められるか話し合おうと、クツマを駅前のカフェに誘った。しかし、タカヤナギのおかげでトラブル案件にも慣れてきたクツマだったが、この案件だけは断るべきか否かと躊躇していた。イワタの風貌や態度、そして言葉使いに激しい嫌悪感を抱いたからだ。

「タカヤナギさん、すんません、この案件、断っていいですか? 不動産関係詳しくないし……」

「いやいやいや、今さら困るよクツマくん、キミしかいないんだよ。前任者が設計書までは書いてくれたからさ、その通りに作ってくれればいいだけなんだよ、キミならできるよ……」

 遠回しに言っては伝わらないと思ったクツマは、断りたい理由をストレートに伝えた。

「ていうか、あの社長、無理っすわ……、あっち系の人ですよね……。だから今までのエンジニア、みんな逃げちゃったんですよね?」

「いやいやいや、不動産屋の社長なんてどこもあんな感じだよ。確かに怖そうだけど、ヤクザじゃないと思うよ。それに、あー見えて、東大卒だって言ってたしさ、話せばわかる人だよ、きっと……」

 経歴などというものは、どうにでも偽ることができる。とはいえ、納期が半年も遅延し、前金を二百万円も支払ってしまったとなれば東大卒だろうが、そうでなかろうが怒るのも無理はない。口調だって荒くなるし目つきだって鋭くなるだろう。そもそも、イワタの言う通り悪いのはタカヤナギである。彼の管理能力不足が一番の問題なのである。システムエンジニアの経験やスキルも確かめずに仕事を丸投げするから、システムが作れずに逃げ出すという問題が度々起こるのだ。結局、イワタに対する嫌悪感は、いつのまにかタカヤナギに対する怒りに変わり、クツマはその日の夜も仲間に愚痴を聞いてもらって鬱憤を晴らすのだった。


 週が明けると、不動産管理システムの設計書がタカヤナギからメールで送られてきた。結局、頼み込まれて案件を受託したクツマは、しぶしぶ設計書に目を通した。ざっと見る限り、ごく一般的な不動産管理システムのようである。この程度のシステムを完成させることができずに逃げ出すエンジニアなんているのだろうかと思いつつ、概要を把握できる程度に素早くページをめくっていく。すると、設計書の署名欄に、逃げたエンジニアと思わしき人物の名前があった。

「サトウシンゴ……、って、あれっ? どこかで聞いたような名前だな……」

 クツマには一人だけ思い当たる人物がいた。それは昔勤めていた会社の先輩だった。しかし、すぐにそれは同姓同名の別人だろうと思い直した。なぜなら、その先輩は周囲からプログラム職人と呼ばれるほどの天才プログラマーだったからである。この程度のシステムが作れずに逃げ出すような人物ではないのだ。

 そんなことよりも納期である。既に納期を半年も遅延しており、あと二カ月で完成させなければならない。簡単なシステムだとはいえ、二カ月はすぐに過ぎてしまう。クツマは念には念を入れて、もう一度最初から丁寧に設計書を読み込んだ。しかし、どう読んでも、よくある一般的なシステムの範疇を超えていなかった。物件情報をデータベースに登録し、それをインターネットで公開するというとてもシンプルなシステムだったのだ。これなら、一カ月もあれば余裕で完成できるとクツマは見積もった。

「早く完成させて、何年振りかに一人旅にでも行くかなぁ……」

 すっかり仕事を終えた気になり、どこに行こうかと旅行サイトを見ながらボーっとしていると、突然タカヤナギから電話が入った。納期を心配してクツマに電話をよこしたのだ。

「クツマくん、設計書見てくれた? 納期までに間に合うかな?」

 心配性にも程がある。そう思ってクツマは、わざとタカヤナギを不安にさせてやろうと嘘をついた。

「設計書ありがとうございます。なんとかギリギリ、ホント、ギリギリのギッリギリですけど間に合うかなってところですね……」

 ところが、意外にもタカヤナギは、今にも泣きだしそうな声で大喜びしたのだ。途中で逃げられるよりはマシだと思ったのだろう。まだ納品もしてないのに凄まじいタカヤナギの喜びように、ギリギリだと保険をかけつつも間に合うと言ってしまったクツマは、急に不安になった。タカヤナギとの電話が終わったあと、再びクツマはデスクに向かって設計書を最初のページから丁寧にじっくりと読み込んだ。もしかしたら前任者のサトウシンゴが逃げ出してしまうほどの難しい仕様が、どこかにひっそりと紛れているかもしれないと思ったからだ。万が一、予期せぬシステムトラブルにぶつかれば、調査や検証作業に追われて一週間や二週間などすぐに過ぎてしまうのがシステム開発の怖いところだ。旅行に行こうなどまだ早い、そう思ったクツマは、その日のうちに着手するのだった。

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