第18話 王宮にて
「また会えて嬉しいわ、シルク」
着飾った令嬢達の中で、一際輝くような存在感を放つ娘が一人。王宮のホールに足を踏み入れたシルクを、王女ルナは鮮やかな笑みで迎え入れた。
「王女様! お久しぶりです」
「王女様なんて他人行儀ね。ルナと呼んで」
「はい、ルナ様」
「それでいいわ」
相変わらず華やかな人だ。大胆に胸元の開いたドレスを上品に着こなしている。
「そのドレス、よくお似合いです」
素直な感想を伝えると、ルナは屈託のない笑顔をみせた。
「ありがとう。でも私の方が先に伝えたかったのよ」
そう言うと、神秘的な紫の瞳がシルクを捉える。なんだか雰囲気が変わった……?そう思う間に、ルナはシルクの耳元に唇を寄せた。
「……とても綺麗よ、シルク」
「!!」
艶っぽく囁かれ、シルクの頬は熟れた林檎の如く赤くなる。蚊の鳴くような声で「アリガトウゴザイマス」とだけ答えた。
(心臓に悪いわ……)
まだ心臓がバクバク鳴っている。何も言えなくなって俯いていると、ルナは愉快そうに声を上げて笑った。
「貴女の婚約者さんはそんなこと言う度胸なさそうだから、先に口説いちゃった。ごめんなさいね」
「えっ?」
ルナの視線の先を追って振り返ると、背後にレイヴンが立っていた。いつからそこにいたのだろう。レイヴンは相変わらず表情が薄いが、どことなく不機嫌そうに見えた。
「ディラック公爵。こーんなにかわいい子が婚約者だなんて羨ましいわ。よかったら私に譲ってくれないかしら」
ルナにごく自然に腰を引き寄せられる。シルクは「はわわ……」と、されるがままになっていた。
「……」
レイヴンはルナとその腕の中のシルクとを交互に見る。そして生真面目な顔で「それはできません」ときっぱり答えた。
「!」
こんな戯言、黙殺されるとばかり思っていたルナはおや、という顔をした。そして扇子で口元を隠しにやりと笑う。
「あら、そういう意味じゃないわ。しばらくお話させてちょうだい、という意味よ」
「……」
レイヴンは引きそうにない。二人の間に火花が散って見えたのは気のせいだろうか。
「王女様!」
そのとき、わらわらと数人の令嬢達が集まってきた。ティーパーティーで見た面々だ。その中にキヌカの話で盛り上がったユリアの姿を見つけ、シルクは声をかけた。
「ユリアちゃん! また会えましたね」
「あら、シルク様。ごきげんよう」
ルナも令嬢達と挨拶を交わしている。しかしこれだけの令嬢に囲まれても尚、レイヴンはシルクの背後を動きそうにない。まるで背後霊だ。
(この人、今日はどうしたのかしら……)
「……」
不意に、ルナの目つきが変わった。口元は笑みを湛えているが、相手を射抜くような強い眼差しになる。
ぱちん、と音を立てて扇子を閉じると、ルナはレイヴンの真正面に立った。
「乙女の語らいにそんなに混ざりたいのかしら。ディラック公爵」
「私のことはお気になさらず」
「気にする、しないの問題ではないの。彼女が気になるのはわかるけれど、もう少し心の余裕を持ったらどう?しつこい男は嫌われるわよ」
「王女殿下こそ他人の問題に口を挟みすぎでは」
「他人じゃないわ。シルクは私の友人よ。シルクだって頭の固い男よりも私の方が好きなはずだわ」
(な、何この状況……!)
間に挟まれたシルクは緊張感を肌でひしひしと感じ取った。
ルナの声には一言二言発するだけで会話の主導権を握ってしまうような力強さがある。しかしレイヴンも相変わらずの無表情で全く怯む様子がない。
このまま両者の睨み合いが続く――かと思われたが、突如レイヴンの目はシルクに向けられた。
(え。何でこっち見るの?)
意味ありげな視線を送られるが、彼の考えなど読めるはずもない。ぽかんとしていると、レイヴンは諦めたように視線を外した。
「……ごゆっくり」
そう言い残しその場を離れていく。それを見送ったルナは心底嬉しそうにくつくつと笑った。
「私の勝ちね」
「……?」
今のは何だったのだろう。イケメン二人と三角関係になるヒロインのイメージが浮かんだが……そんなはずはない。慌てて掻き消した。
「わたくし、向こうでシャンパンを貰ってきますわ」
「行ってらっしゃい」
トコトコとその場を離れるユリアに手を振り、シルクはティーパーティーのメンバーとしばらく談笑をして過ごした。そうして緊張も解れてきた頃、ファンファーレの音が鳴り響く。
「……あら、お父様がいらっしゃったようね」
ルナの呟きが落ちる。
入場を告げる声とともに、かっちりとした衣装に身を包んだ
(あの人が王様……)
そこにいるだけで場の空気を掌握するようなどっしりとした存在感がある。一言で言えばオーラだ。どことなく、ルナの醸し出す雰囲気とも似ているような気がした。
「それでは国王陛下。『鐘』を鳴らします」
「ああ」
王が合図をすると、清らかな鐘の音が鳴り響く。すぐさまその場にいた全員がはっとしたように動きを止めた。それはシルクも例外ではなかった。
聴いていると心が洗われるような、清流を思わせる独特な音色だ。不思議と身体も軽くなったような気がする。全身を澄んだものが通り抜けていくような感覚がして手のひらをぼーっと眺めていると、ルナが耳打ちをした。
「『聖者の鐘』は今日みたいな特別な日にだけ鳴らす魔法道具なの。この音色には聴く者の心身を癒す力があるのよ。今は王宮のてっぺんにあるけど、昔は病院で使われていたらしいわ」
「へえ……」
「世の中には色んな魔法道具があるけれど、これほど優しいものはないんじゃないかしら」
ルナの声はどこか誇らしげだった。
鐘が鳴りやむと宮廷楽団による演奏が流れ始め、一気に和やかな雰囲気に変わる。各々食事や会話、ダンスを楽しんでいるようだ。
「シルク、マスカットのタルトはもう食べた?うちの料理長が作るデザートの中でも一番のおすすめなの」
「さっき食べました! 本当においしかったです」
「それはよかったわ」
(……そういえば、レイヴンは何してるのかしら)
ホールの中に視線を走らせるとレイヴンの姿はすぐに見つかった。どうやら他の貴族達に捕まったようだ。何か会話をしているようだが、誰に対してもあの無表情を貫いているのは少し感心する。
(でも、ああして着飾る姿を見ると本当にかっこいいのよね……)
だんだんと、周囲の紳士達が
うっかり婚約者に見惚れていると、そこに誰かの靴音が響く。
「王女殿下にご挨拶申し上げます」
「あら、ベネット侯爵」
「!」
――ここにも顔のいい罪な男が、いた。
令嬢達が色めきたつ。周囲の反応を見てルナはふふ、と笑った。
「相変わらず人気者なのね」
「滅相もございません」
ヴァージルはルナの手を取ると口付けを落とした。流れるように自然な動作に、令嬢達の目が釘付けになる。
二人が何やら話し込んでいる隙にシルクは令嬢達を隠れ蓑にして距離を取った。給仕の移動に合わせてその場を離れ、ついでにシャンパングラスを受け取り、バルコニーに出る。
幸いバルコニーに人の姿はなく、ほっと息をつく。夜風が長い銀髪を攫い、揺らした。
「……ふう」
何とかヴァージルと接触せずにすんだ。危なかった。
シャンパンに口を付けながらぼんやりと外を眺めていると、ポケットに仕舞った晶響器が紫色に点滅を始めた。通信だ。
「……もしもし?」
『お嬢様。私です』
「ポプリ? どうしたの」
ポプリから連絡が来るなんて珍しい。
欄干に晶響器を置いたとき、憤慨したような声が聞こえてきた。
『あのパクリ配信またやってるんです!だけど今日はなんだか妙で……』
「妙?」
『王宮の鐘の音が聞こえたんです』
「!」
『聖者の鐘』は二つとない特別な音色をしている。だから聞き間違えようがないのだ。……となると、犯人はこの会場にいることになる。
そこでシルクはあることに思い至った。
「そうだわ、この人は私のファンなのよね?」
『ええ、そのはずですが……何をお考えで?』
シルクはにやりと笑った。シャンパンを一気に飲み干すと欄干に叩き付ける。
「おびき寄せるのよ」
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