第15話 婚約者の様子がおかしい。

紫に発光する小瓶から男性の弾んだ声が響く。


『おめでとうございます。登録者数二万人達成ですね』

「ありがとうございます!」


商会の主、ダレルの言葉にシルクは笑顔を浮かべた。


二人は晶響器を通して会話をしていた。というのも、対面で会う必要がある場合を除き、今後商会とのやりとりは通信で行うことにしたのだ。正直、毎回変装するのは大変なので助かった。


『キヌカさん効果で個人配信というジャンルが確立されつつありますね。おかげで最近晶響器の売れ生きも上々なんですよ。プラスでボーナスもお付けしますね』

「本当ですか? 嬉しいです」


シルクは愛想よく答えたが、心の奥では焦りもあった。これでもまだ目標額の五分の一だ。レイヴンとの結婚式まであと三ヶ月。リミットは刻一刻と迫っている。


『それでは、また』


ダレルの挨拶を最後に通信は切れる。シルクは椅子に背を預けた。


「……ふう」


ぼんやりと、ドレッサーの鏡に映る己の姿を眺める。

シルクに転生してから多くの事が変わった。しかし、どのくらいのことを成せたのだろうか。このまま進んでもいいのだろうか。いつまで経っても不安は拭い切れない。

そのとき視界の隅にひょっこりと二人の侍女が現れた。鏡越しに目が会い、シルクは笑う。


「お話は終わりました?」

「ええ。じゃあそろそろ、準備をお願いできる?」

「もちろんです」


マリーはテキパキとメイクに取り掛かり、ポプリはヘアセットを始めた。


……この間の身バレ事件の後、ポプリもシルクの専属侍女に任命したのだ。マリーは能力は高いが少々軽率な所がある。その点ポプリは不慣れな部分も多いが真面目で忠誠心が高い。組ませてみると案外相性が良さそうだった。


「今日は婚約者の方とお会いするんですよね……?」


ポプリの遠慮がちな問いかけに頷く。


「そう。結婚式の打ち合わせなのよ」


実現するかわからない結婚式だけど、という言葉は胸の中に留めておく。

黙々とアイメイクをしていたマリーは手を止めて顔を上げた。


「ちなみに今日は公爵様のお誕生日だそうですよ」

「へえ。詳しいのね。マリー」


マリーはえっへん、と胸を張る。


「ちょーっと調べさせて貰いました。……ですので、プレゼントでも贈ってみたらどうです?」

「でも成人男性が誕生日プレゼントなんて貰っても喜ぶかしら」


子供じゃあるまいし、と続けるとマリーは全力で首を振った。


「だからこそですよ! 大人だからこそそういうのが余計嬉しかったりするんです」

「へえ……?」

「お嬢様は公爵様と仲良くなりたいんですよね? でしたらそういう可愛げを見せるのも効果的かと」


効果的、などと言っている時点で可愛げとはかけ離れているような気もするが。とはいえ親睦を深めるという意味では悪くない考えだ。


「じゃあ公爵様に会う前に雑貨屋を覗いてみようかしら。綺麗に仕上げてちょうだいね」

「はい! お任せを!」


***


――目の前で白皙はくせきの美男子が微笑んでいる。


それだけ聞くと夢のような光景だが、実際はそうではなかった。シルクは冷や汗を浮かべながら愛想笑いをした。


(何かあったの?この人)


先程レイヴンと共に結婚式に関する打ち合わせを終えた所だ。ついでに近くの喫茶店でお茶をすることになったのだが、今日はレイヴンの様子がおかしい。

相変わらず表情は薄いが、口元だけは貼り付けたような笑みを浮かべているのだ。奇妙なことこの上ない。


(もしかして、また体調が悪いのかしら?)


「……あ、そうだ」


目で合図をすると近くに控えていたマリーが頷く。マリーはリボンと包装紙で綺麗にラッピングされた箱をレイヴンの前に置いた。

レイヴンは薄笑いをやめて首を傾げる。


「これは?」

「プレゼントです。今日が誕生日だとお聞きしたので」

「……開けても?」

「もちろん」


そう答えるとレイヴンがプレゼントに手を伸ばす。包装がかれ、中から綺麗な空色のアロマキャンドルが現れた。


「お仕事お疲れみたいなのでどうかなー、と思って」


そう付け足し、反応を窺う。

レイヴンは物珍しそうにそれを眺めた。側面には押し花が閉じ込められており、華やかなデザインだ。

レイヴンはいつまでも手元を見ていたが、不意に遠い目をした。


「誕生日を祝われるのもプレゼントを貰うのも、いつぶりでしょうか……」


独り言みたいにそう呟くと、ふ、と目を細めて笑う。その柔らかな雰囲気にシルクは思わず目を奪われる。


「ありがとうございます」

「……気に入って頂けてよかったです」


その顔を直視できず、目を逸らす。どうしてこんなに心臓がうるさいのだろう。


「……リベラ伯爵令嬢?」


そのとき、テディが近寄ってきてレイヴンに耳打ちをする。


「そろそろお時間が……」

「そうか、わかった」

「後から参りますので、公爵様は先に馬車でお待ちください」

「ああ」


レイヴンは席を立ち、恭しく礼をした。その手にはしっかりと贈り物が握られている。


「では、リベラ伯爵令嬢。またお会いしましょう」

「……はい」


レイヴンは部屋を後にする。

さっきの笑顔が頭を離れず、シルクは最後まできちんと目を合わせられなかった。


目を逸らしっぱなしはさすがに失礼だったかと反省していると、テディがいつまでもその場に留まっていることに気付いた。

顔を上げるとモーヴブラウンの瞳と目が合う。テディは神妙な面持ちでこちらを見ていた。


「……テディさん?」

「あの……実は謝らなければいけないことがあります」

「え?」

「先日、公爵様に持病はあるのかとお尋ねになりましたよね。私は嘘を申し上げました」

「嘘……?」


嫌な予感がしてドレスの裾を握り締める。

テディは暗い顔をして、言葉を続けた。


「実は、公爵様は長年不眠症を患ってらっしゃるんです。今では薬も気休め程度にしか効きません。それで、体調が良いときのほうが少ないんです」

「……そうだったんですね」

「黙っていてすみません。婚約者とはいえむやみにお話する訳にはいかず……」

「いえ。当然のことです」


持病と言うから身構えたが、すぐに命に関わるようなものではないと知り安堵する。彼の死因は病死ではなさそうだ。

……とはいえ、辛いことに変わりはないだろう。会う度いつも眠そうにしていたのはこのせいだったのか。


「じゃあ、話しかけても反応が薄いのも持病だったんですね」

「それは公爵様の性格の問題ですね」


テディは平然とした顔でバッサリと切り捨てた。


「もちろん不眠のせいで集中力が落ちることは多いみたいですけど、それを抜きにしても公爵様は他人への興味が薄い方なので」

「あ、そうなんですね……」


一瞬、今まで散々心の中でレイヴンに文句を言ってきたことを反省しかけたが、取り消しだ。

シルクの反応を見守っていたテディは意味ありげに笑った。


「ただ、ご令嬢といらっしゃるときはリラックスして見えますね。ご令嬢のお人柄のおかげでしょうか」

「え……そうでしょうか」

「はい!」


リラックス……?

振り返ってみても、思い浮かぶのは無表情ばかりだ。


(本当にリラックスしてたことなんてあったかしら?)


シルクは真剣にこれまでの記憶を思い返した。

いつも表情は薄い……が、稀に笑ったり、照れたりしていて案外かわいい所もある。出会った時から比べれば、少しは仲良くなれたのかもしれない。

シルクは無意識のうちにフフッと笑みを漏らし、そんな自分にハッとする。


(あれ?私、今レイヴンのことを考えて笑ったの……?)


その時、扉の向こうからレイヴンの声が聞こえた。


「テディ。早く来い」

「はい! 今行きまーす!」


テディは扉に向かって返事をすると、シルクに向き直った。


「とにかく。これからも公爵様をよろしくお願いしますね!」


それだけ言うと頭を下げ、テディは急いでその場を後にした。


「私達も帰りましょうか。お嬢様」

「……私もおかしくなったのかも」

「え?」


マリーが振り返ると、そこには赤い顔をしたシルクの姿があった。


……自分の前だけ違うだなんて、自分が彼にとって特別な人間にでもなったみたいだ。

今までなら何も思わなかったはずなのに、さっきの笑顔がいつまでも頭に張り付いている。


「どうして、ちょっと嬉しいと思っちゃったのかしら……」


シルクは熱い頬を手のひらで包み、俯いた。


***


「テディ。遅いぞ」

「すみません、少し伝達事項があったので……」


テディは頭を下げながら馬車に乗り込んだ。二人を乗せた馬車はすぐに走り出す。

見てるこっちがヒヤヒヤするくらいに無表情・無関心な人だが、叱るときも感情的にならないのは主人の長所だ――そんなことを考えていたのに、今のレイヴンは珍しく不機嫌そうだった。


「テディ。お前のアドバイス外れてたぞ」

「え?」

「ずっと笑ってたのに反応がイマイチだった」

「……」


なるほど。今日のあの薄笑いは自分のアドバイスのせいだったのか。

反射的に謝りそうになったが、口を噤む。


(それは公爵様の笑顔が下手くそすぎるせいですよね!?)


絶対に自分は悪くない。絶対に謝らない。毅然とした表情で主人の顔を見据えたが、恨めしそうな視線を向けられ、その決意は一瞬で崩れた。


「すみませんでした……」


従者は楽じゃない。

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