第7話 異世界配信活動

「それではみなさんおやすみなさい。キヌカでした〜バイバイ!」


小瓶の蓋を閉じ、赤い光が消えるのを確認するとシルクは伸びをした。


「よし、今日の配信も終了!」


――手のひらに収まる大きさの小瓶。『晶響器』。ラジオのような機能を持つこのアイテムでは気に入ったチャンネルを登録することもできるのだ。

シルクは『キヌカ』と名乗って配信を始め、前世の話やこの世界にやってきて気になったことなど、フェイクを織り交ぜながら話している。


初配信では視聴者は十数人、登録者はたった一人だった。しかし毎晩趣向を変えながら配信を重ねるうちに人気はじわじわ伸び始め、ついに登録者数は千人を突破した。

この世界では一般人の雑談配信などまだ馴染みがない。だから注目されにくいが、逆に言えばブルーオーシャンだということ。根気よく続ければもっと伸びるはず。


「よし!明日もがんばろっと!」


シルクは明かりを消すと、布団をかぶって眠りについた。


***


シルクに転生してからしばらく経ったある朝。部屋を掃除していたマリーは「あれ?」と声を上げた。


「お嬢様、あんなに山積みだった晶響器はどこに?」


配信のネタ探しのため読書に耽っていたシルクはぎくり、と肩を揺らした。


「あ、えと、使っちゃって」

「あの量を?」

「う、うん。まあね。放送聞くのハマっちゃったの」

「へえ……?」


マリーは胡乱な目をしている。シルクは密かに冷や汗を流した。


(やっば……)


配信者にとって一番怖いのは身バレだ。マリーといえど、配信活動を悟られる訳にはいかない。どこからどう情報が漏れるのかわかったものではないのだ。

心臓をバクバクさせながらマリーの反応を窺ったが、当のマリーはふーん、と答えると掃除を続けた。


「じゃあ、また買いに行かないといけませんね」

「ええ。どうせなら今から行きましょ。ついでにおいしいスイーツでも食べない?新しいカフェが出来たって放送で聞いたの」

「奢りですか?」

「ちゃっかりしてるわね。もちろんよ」

「やったー!」


マリーはぴょんぴょん飛び跳ねた。そして勢い余って天井に激突した。……ともかく、話は逸らせたようだ。シルクはほっと胸を撫で下ろす。


「……その前に寄る所があるの。マリー、メイクをお願いできるかしら」

「何か用事でもあるんですか?」


シルクはドレッサーの椅子を引くと優雅に腰掛け、足を組んだ。


「カチコミよ」


***


来客に気付いた男は丁寧な挨拶で客人を迎え入れた。


「ようこそ、リード商会へ」


シルクは店内に足を踏み入れると、さっと部屋全体を見渡した。

リード商会内部はホテルのロビーを思わせる広々とした作りをしており人の出入りも多い。受付や商談スペース、待合室などが衝立で区切られており、奥には個室も幾つかあるようだ。壁際の一角には置物のようなものが数多く飾られている。

……だが、やはりここに『彼』はいないようだ。


「本日はどういったご要件でしょうか」

「『真っ赤な林檎を二つ、星を一つ』」

「! ……少々お待ち下さい」


男は顔色を変え、すぐさま階段を上っていった。


(本当にこれで会えるのね)


――『真っ赤な林檎を二つ、星を一つ』。

それは初めてここを訪れた人が『彼』に会うための合言葉。

しばらくすると先程の男が降りてきた。恭しく頭を下げると階上を指し示す。


「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」


男の後に続いてシルクは階段を上って行った。




「ようこそいらっしゃいました」


男は椅子から立ち上がると柔和な笑みでシルクを迎え入れる。


「私はリード商会の会長、ダレル・リードと申します」


年齢は二十代後半だろうか。鮮やかな赤髪が印象的だ。にこやかで感じは良いが、ライトグレーの瞳には相手を値踏みする鋭さが見え隠れしていた。


(そういえば、ダレルはいろんな人の物語で出てきたけど、結局彼自身についてはよく知らないのよね……)


友達に借りた原作小説、結局最後まで読み終えずに死んだのだった。読めば彼についてもわかったのだろうか。


「……失礼ですが、お名前を伺っても?」


ダレルの声で現実に引き戻される。

肩につくくらいの襟足を払うと、ブラウンレッドの唇が微笑んだ。


「キヌカと申します」


黒髪のウルフヘアにインナーカラーは瞳と同じピンク色。雰囲気の出るダークカラーのアイメイク、耳にはフープピアス。そして衣装は古風で落ち着いたブラウンのドレス。


(この格好を見たら、誰も私がシルクだとは思わないでしょうね……)


この姿は前世での自分、『絹川せりか』そっくりにして貰ったのだ。正直、鏡を見たときはかなり驚いた。口頭の説明でここまで再現出来るとはマリーのメイク技術、恐るべし。


「キヌカ様……ですか」


ダレルは『キヌカ』をとくと眺める。全てを見通してしまいそうな眼差しに一瞬たじろぐが、微笑みで受け流した。


「どうぞ、お掛け下さい」


椅子を勧められ、シルクは席に着く。それを見届けるとダレルも椅子を引いて流れるように席に着いた。そんな些細な所作に時折隠しきれぬ気品が滲む。育ちがいいのだろうか。

二人は机を挟んで向かい合った。


「本日はどういったご要件で?」

「事業の提案があります」


そう切り出すとダレルの顔つきが変わった。


「……お聞きしましょう」

「ここでは晶響器を取り扱ってると聞きました」

「そうですね。うちは鉱山を所有してますし、工場とも契約していますから。晶響器はうちの商会を経由して街の雑貨屋さんに並ぶことになりますね」

「つまり、晶響器の売れ行きが上がるほど、リード商会にとっては利益になるということですよね」

「ええ。それは勿論」


ここからが本題だ。シルクは背筋を伸ばした。


「たくさん放送が聴かれるほど晶響器の消費も増えるはず。ですから、チャンネルの視聴者数や登録者数に応じて収益を得る仕組みが欲しいんです」

「ふむ……」


ダレルは思案するように指を組んだ。シルクは生唾を飲み込む。

配信者は身バレ厳禁。配信の話を持ち出すため、ここまで手の込んだ変装をしてきたのだ。了承して貰えないと困る。


「……ちなみに今の登録者数は?」

「千人です」


シルクは自信満々に答えた。しかしダレルは笑顔のまま「その程度ですか」と言い放った。


「……え?」


あまりにも穏やかな顔で言われたので一瞬何を言われたのかわからなかった。シルクは我に返ると必死に食い下がった。


「でも……千人ですよ?ニュースチャンネルと同じくらいですよ?」

「あれは営利目的ではないでしょう。そもそもの土俵が違うというか」


ダレルは引き出しから資料を取り出しパラパラとめくった。素早く何かを確認するとまたこちらに視線を戻した。


「それにたかだか千人の登録者では、報酬を払うほど晶響器の売れ行きに変化はないと思いますね」

「……!」


口調も表情も変わらないが、その淡々とした物言いが心を抉った。


(これは交渉決裂ってこと……?)


放心状態のシルクを見てダレルはまた何事かを考え始めた。ややあって、再び口を開く。


「じゃあ、まずは一万人達成してください。話はそれからですね」


(いちまんにん!?)


千人に増やすだけでもかなり苦労したのに、それを十倍にしろと?

結局、返事をしかねているうちに「次の予定があるので」と追い出されてしまった。




「く、くやしい……」


シルクはフォークを握り締め、腕をわなわなと震わせた。ヤケになってショートケーキにフォークを突き立てたが、手が震えて狙いが定まらない。そのうちマリーの腕が伸びてきて「いらないなら貰いますね」とケーキをかっさらっていった。


「あ!」


向かいではマリーが心底幸せそうな顔でケーキを頬張っている。だが、今はマリーに何かを言う気力すらなかった。


(こちとら千人の登録者を集めるのにどれだけ頑張ったと思ってるのよ!)


ビジネスは『頑張る』だけでは成り立たないことくらいわかっているが、わかっていることと腹が立つのは別問題だ。シルクはテーブルに突っ伏した。


「悔しくて今夜眠れる気がしない……」

「子守唄でも歌ってあげましょうか?それとも絵本でも読みます?」

「子供じゃないんだから……」

「そうですか? 昔おばあちゃんがやってくれてよく眠れたんですけど」

「いつの話よ」


マリーをじろりと睨みかけ――閃く。


「……それよ!」

「はい?」


口元にクリームをべったりと付けたマリーがきょとんとした顔をする。それを見つめながらシルクはにやりと笑った。


(一万人?いいわ。達成してみせようじゃないの!)


昔配信でやったことがある。多少人を選ぶが、一定の視聴者数を見込める鉄板コンテンツといえば。


(ASMR!)


***


「ふう……」


書類に目を通し終え、レイヴンは椅子に背を預けた。

……喉が乾いた。

置時計を確認すると夜も遅い。使用人を呼ぶより直接厨房に向かった方が早いだろう。レイヴンは執務室を出て、暗く長い廊下を一人歩いた。


点々と等間隔に備え付けられた明かりと微かな月明かりだけが道標だ。似た作りの廊下を迷うことなく進み、時折曲がる。それを繰り返すうちに目的地が近づいてきた。


「……ん?」


厨房の扉から明かりが漏れている。料理人が明日の仕込みでもしているのだろうか。そう思って近づくと、扉の向こうから楽しそうな話し声が聞こえてきた。


(こんな時間に、何だ?)


レイヴンは躊躇いなく扉を開き、中を覗いた。


「こ、公爵様!」


使用人達は急な主人の登場に狼狽え、かしこまったように頭を下げた。レイヴンはさっと状況を確認する。テーブルの上には小瓶が置かれ、数人がそれを囲むように立っていた。


「何をしていた」


どうにも挙動が怪しい。レイヴンは一人一人順番に視線を向けた。


「えっと……」


使用人達は言いにくそうに顔を見合わせていたが、そのうちの一人が小瓶を掲げてみせた。


「これ、最近使用人の間で流行ってるんです」


差し出された小瓶は青く光っており、誰かの話し声がする。


「?」


レイヴンは小瓶を受け取ると耳を傾けた。


「個人の方がやってるチャンネルなんですけどこれが本当に面白くて。聴きながら寝るとよく眠れるんです。チャンネル名は……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る