第6話 手を引かれて
「あの、公爵様?」
「……」
「あのー」
「……」
「手! 痛いんですけど!」
そう叫べばレイヴンは足を止め、手を離した。
振り返ったレイヴンは相変わらずの無表情でまるで考えが読めなかった。
「あのぉ……」
何かを考え込むかのような間ののち、レイヴンは静かに口を開いた。
「……ご迷惑でしたか」
「え」
珍しくこちらを気遣うような言葉に動揺が走る。シルクはぶんぶん首を振ると、愛想笑いではない笑顔を向けた。
「いえ! むしろ助かりました。ありがとうございました」
「そうですか」
変わらず言葉は淡白で表情も薄い。それでも不思議と前ほど近寄りがたい印象は受けなかった。
シルクは思い切って先程から気になっていたことを切り出すことにした。
「あの、さっきの方はヴァージル・ベネット侯爵ですよね。お知り合いなんですか?」
「幼馴染みというか……腐れ縁なんです」
「へえ」
この二人に接点があったとは知らなかった。小説でも出てこなかった話だ。
さらに質問を重ねようとしたとき、耳をつんざくような大声が響いた。
「お嬢様ァー! 馬車を呼んできましたァー!」
二人同時にびくり、と身体を揺らす。見れば遠くでマリーがぶんぶんと手を振っている。なんという声量。
レイヴンはシルクに視線を戻すと軽く会釈をした。
「……では、私はこれで」
そう言って踵を返す。だがほんの数歩進んだ所でふらつき、バランスを崩す。
「公爵様!」
シルクは咄嗟にその体を支えようと手を伸ばした。しかしその手が触れる前に、レイヴンは自力で踏みとどまった。
「……失礼。少し眩暈がしただけです」
そう言うと、レイヴンは今度こそその場を後にした。
(体調が優れないのかしら?)
黒い背中はあっという間に遠ざかる。それを見送っていると入れ違いにマリーが駆け寄ってきた。
「お嬢様。帰りましょう?」
「ええ」
シルクはもう一度、レイヴンが去った方向に視線をやった。
――ヴァージル、そしてレイヴン。
二人の婚約者とこんな所で出会ったのも運命の悪戯なのか。
釈然としない思いを抱えながらも、シルクは大量のお土産と共に自邸へ戻ったのだった。
***
ちゃぷり、と水音が響く。
広い自室の一角には衝立が置かれ、白く大きな猫足のバスタブにはお湯が張られていた。
シルクは湯気の立つ浴槽に身を横たえながら晶響器の蓋を開く。青く光る晶響器を浴槽の縁に置き、流れる音声に耳を傾けた。
晶響器による放送にもいくつかチャンネルがあって、その日のニュースや音楽、詩の朗読などが流れている。BGMくらいにはなるのだろうが……。
「チャンネル数少なくない?」
ネット文化に慣れ親しんだ自分からすればかなり退屈だ。どうも刺激が足りない。
チャンネルを一周し、結局音楽を流しておくことにした。楽器の音色と女性歌手の澄んだ歌声が聞こえてくる。それに気がついたマリーが「あ」と反応を示した。
「これはステラ劇団の方がやってるチャンネルですね。宣伝を兼ねてやってるらしいですよ。結構人気って聞きます」
「でもチャンネル数少なくない?」
シルクは真顔で同じことを繰り返した。マリーは肩を竦めた。
「それはまあ、晶響器は消耗品ですからねえ。結局は資金がないとチャンネル運営なんてできないですよ」
「へえ。やっぱどこも資金集めができないとどうしようもないのね」
風呂から上がり、髪や肌の手入れも終えるとマリーは部屋から出ていった。
シルクはドレッサーの前に一人残される。そのままぼんやりしていると、ふと、閃く。
(……ちょっと待って)
シルクは部屋の隅に視線を走らせた。テーブルには昼に買った晶響器が山積みになっている。
「――あるじゃない」
自分に出来る、資金集めの方法。
シルクは手近な晶響器を一つ手に取った。今も昔も変わらない。私の武器はこの声ただ一つ。
「この世界でも配信者になっちゃえばいいのよ!」
前世で配信者として活動していた頃は毎日が充実していた。話をするだけで満たされて、よりよりものを届けようとアイデアを練る時間が大好きだった。それなのに、そんな日々は突如終わりを告げた。
……その続きを今、ここから始めるのだ。
「そうね、チャンネル名は……」
名前なら――そうだ。前世の配信者としての名前をそのまま借りるのがいい。
「『キヌカチャンネル』!」
小瓶から溢れる赤い光が手元を照らす。その美しさに、彼女は薔薇色の瞳を期待で輝かせた。
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