第2話 見知らぬ婚約者
サラサラとした髪は黒く、フロックコートからグローブ、トラウザーズや靴に至るまで全て黒。しかし真っ黒な装いの中で唯一、瞳だけは蜂蜜のような金色。
真っ黒なその男はシルクの姿を認めるとおもむろに立ち上がり、シルクの正面に立った。
(誰この人!?)
金髪碧眼のクズ男……じゃ、ない?
シルクはぽかんとした顔のまま立ち尽くした。男もまた無言で見つめ返してくる。
(どういうこと……?)
男の特徴はどれもヴァージルとは一致しない。じゃあ、この人は誰なのか。
沈黙が落ちる。互いに口を開こうとしないまま時間ばかりが流れていく。そんな二人を見かねたのか、そこに誰かが近づいてきた。
「お久しぶりですね、ご令嬢。婚約式以来ですよね。お変わりなかったですか?」
その言葉でシルクは我に返る。
ふわふわした桜色の髪の青年が人懐っこい笑みを向けている。服装からして男の従者なのだろう。口元から覗く八重歯が特徴的だ。
「あ、えっと……」
返答に困っていると、青年は椅子を引いて微笑んだ。
「どうぞお座りになってください」
「は、はい……」
シルクが席に着くのを見届け、青年は黒髪の男に顔を向けた。
「ささ、公爵様も」
(『公爵様』……?)
促され、男も席に着く。二人は机を挟んで向かい合った。それと同時に使用人の手で紅茶や茶菓子が次々運ばれてきて、シルクは質問するタイミングを逃してしまった。
だんだん華やかになるテーブルを前に、シルクはちらりと相手を盗み見た。男は無表情で机上を眺めている。
カラスのように真っ黒な装いの彼を見るうちに一つ思い出したことがあった。
(もしかしてこの人って『レイヴン・ディラック公爵』……?)
ヴァージルとの婚約前、シルクには別の婚約者がいた。しかしその人物は結婚式を目前に亡くなり、かわりにヴァージルと婚約することになるのだ。その一人目の婚約者こそ目の前の男――レイヴンだった。
(そういえばそんな話もあったような……)
シルクはこめかみを押さえた。
彼の存在を今の今まで忘れていたのも無理はない。小説ではレイヴンに関する詳しい描写はなかったからだ。言ってしまえばモブキャラなのだ。
(それにしても……)
香り立つ紅茶に口をつけながら、シルクは再び向かいに目をやった。
(この人、かなりの美男子じゃない?)
年齢は二十代前半だろうか。切れ長の目元にすっと通った鼻梁、薄い唇。くっきりとした輪郭を持ち、肌の白さを黒い装いが際立てている。見れば見る程欠点のない端正な顔立ちだ。
上品で静謐な雰囲気が漂っており、派手という訳ではないのに、そこにいるだけで吸い込むように人の目を奪う不思議な引力を持っていた。
「…………」
……いけない。見惚れて手が止まっていた。シルクは慌ててティーカップを置いた。
動揺を押し隠すように皿に盛り付けられたクッキーに手を伸ばし、さく、さくと
(そうよ、無事にレイヴンと結婚できればヴァージルとは結婚せずにすむじゃないの!)
今のうちに親睦を深めておけばレイヴンの死因がわかるかもしれない。上手くいけば彼の死を防ぐこともできるはず。我ながら妙案だ。
別にレイヴンの綺麗な顔に釣られたからとかではない。本当だ。
……いや、ちょっとは嘘だ。
(そうと決まれば仲良くならなきゃ!)
シルクは姿勢を正すととびきり愛想よく微笑んだ。
「公爵様。今日はいい天気ですね」
「はい」
「この紅茶お口に合います?」
「はい」
「甘いものはお好きですか?」
「はい」
「……」
シルクは口元に笑みを湛えたまま、こめかみに青筋を浮かせた。
(この男、『はい』しか言わない……)
完全に話を聞き流されている。それに顔は一貫して無表情。いくら政略結婚とはいえ表面上だけでも愛想よくできないのだろうか。この顔面じゃなければ殴っていた。
その後もあれこれ話題を振ったがびっくりするくらい盛り上がらなかった。元人気配信者としてのプライドがバキバキに粉砕された頃、懐中時計を確認した青年がレイヴンに耳打ちをした。
「公爵様、そろそろ……」
「ああ」
レイヴンは席を立つとこちらを一瞥した。
「それでは失礼します」
それだけ言うと、レイヴンは振り返りもせず邸宅を後にしたのだった。
「……」
気が付くとシルクは一人残されていた。レイヴンに出された紅茶と茶菓子はほとんど手付かずのままだ。
……政略結婚って、こういうものなのだろうか。
シルクはトボトボ二階の自室に戻り、ベッドに倒れ込んだ。
「仲良くなれる気がしない……」
まるで何を考えているのかわからなかった。これでは死因を探ることなど到底できそうもない。
「この先私はどうすべきか、一度計画を立てておくべきね」
シルクはむくりと起き上がると机の前に座り、適当な紙とペンを取り出した。
【シルク生存計画 1. レイヴンと結婚する】
と、紙に書き付ける。そして渋い顔のまま隣に三角を書く。
「これは難しそうね」
親睦を深めるのは無理そうだから仕方がない。代わりに別な文字をその下に書いた。
【2. 逃亡(できれば国外)】
「……やっぱり、逃げるしかないのかしら」
原作小説のジャンルは一応ファンタジーだ。
ここは魔法の存在する世界ではあるが、魔法そのものはメジャーではない。つまり、逃亡するためにはもっと現実的な手段を考えなければならないということだ。
「そうなると、今一番必要なのはお金なのよね」
先程屋敷の書庫や新聞を利用して国内外の物価を元にざっくりと計算したが、逃走した後の生活を考えると資金が足りない。
それに父のリベラ伯爵は政治的手腕の優れた冷酷な人物として描かれていた。政治の道具である娘の出奔を許すとは思えない。つまり、身を隠しながら暮らさねばならないということだ。それを考えるとなおさらお金はあった方がいい。
(どうにかしてお金を稼げたらいいんだけど……)
うんうん唸っているとノック音が聞こえてきて、シルクは慌てて紙を引き出しに仕舞った。
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