第1話 転生したらそのうち死ぬひこもり令嬢でした
身じろぎした拍子に長い銀髪がひと房垂れてきて、少女は物憂げに髪を払う。何気ないその仕草すら溜め息が出る程の可憐さで満ちていた。
「……」
ふと顔を上げると、ドレッサーの鏡には美貌の少女の姿があった。
透き通るように白い肌、くせのない銀髪。全体的に色が薄く儚げな印象だが、長い睫毛に縁取られた薔薇色の瞳には独特の存在感がある。
椅子にちょこんと腰掛ける姿はさながらビスクドールのよう。まばたきさえしなければ精巧に作られた人形かと誰もが疑うだろう。
櫛を通す必要もない程手触りのいい絹のような髪は、触れたそばから指先を抜けていく。それでも侍女の手によって丁寧に香油が塗り込められるのを、少女は大人しく眺めていた。
「お
「ええ。ありがとう」
――シルク・リベラ、十七歳。リベラ伯爵家の令嬢。それが今の自分だ。
顔はにこりと微笑みながらも、内心は焦りでいっぱいだった。
(なんでこんなことになったのよ……)
せりか――今はシルクだが――は、これまでの出来事に思いを馳せた。
友人に会いにファミレスへ向かったあの日、せりかは信号無視してきた車に跳ねられた。そして恐らく……死んだのだ。
やがて気が付くと、豪奢なベッドの上に横たわっていた。
『ここ、病院? ……にしては雰囲気が違うような。それに身体はどうなったの?』
怪我の具合を確認しようと姿見の前に立てば、そこにはネグリジェに身を包んだ見知らぬ少女の姿があった。陶器のような白い肌、美しい銀髪、薔薇色の瞳……。
『えっ、誰!?』
ぺたぺたと全身を触って確認するが、それどこからどう見ても『絹川せりか』ではない。こんな作り物みたいに美しい顔ではなかったはずだ。
事故のショックで頭がおかしくなったのかと疑ったが、手足は動くし痛覚もある。思考も正常……のはず。
そのまま鏡を凝視するうちに、あることに思い至った。
(あれ? 私、この人のこと知ってるような……)
そのとき、ノック音の後に見知らぬ女性が部屋に入ってきた。
『お嬢様。お目覚めですか』
彼女が身に纏うのはコスプレでしか見ないようなクラシカルなメイド服だ。
鏡の前で真っ青な顔をしているシルクを見つけて、彼女は首を傾げた。
『? どうなさいましたか、シルクお嬢様』
――シルクお嬢様。その言葉に直前まで読んでいた小説の記憶が蘇る。
(まさか、この身体って……シルク?あの小説のひきこもりお嬢様!?)
その瞬間、小説の登場人物であるシルクに転生した事を悟ったのだった。
……そして、現在に至るという訳である。
シルクはちらりとドレッサーを整理する侍女に視線をやった。彼女はこちらを気に留める様子もなく、淡々と自分の仕事をこなしている。
(大丈夫そうね……)
シルクは密かに胸を撫で下ろす。
本人のふりができるのか心配だったが、今の所怪しまれている様子はない。
それに、初めこそ困惑していたが、侍女に甲斐甲斐しく世話を焼かれるうちにだんだん楽観的になってきていた。
これだけ美少女なのだから鏡を見ているだけで一日が潰せそうなほど楽しいし、自室も前世のワンルームより遥かに広い。オシャレな服やアクセサリーも沢山ある。
(あと、ひきこもりだから人付き合いも無理にしないでいいし。この世界のこと詳しくないけど何とかなりそうな気がするわ。これは転生ガチャ大成功ね!)
鏡に映る綺麗な顔に向かって、シルクはにこりと微笑んだ。不慮の事故で死んでしまったのは残念だが、こんな生活が手に入ったのだからむしろラッキーかもしれない。
「お嬢様、そろそろお召し換えを」
「わかったわ」
ネグリジェからピンクを基調としたドレスに着替える。それを手伝う侍女はアクセサリーを選びながら声をかけた。
「今日は婚約者の方がいらっしゃる日でしたよね。いつもよりも華やかにいたしますね」
「ええ。婚約者……」
相槌を打とうとして、その言葉を理解した途端にシルクは目を剥いた。
「婚約者!?」
「は、はい……」
侍女はシルクの大声に驚いたようだった。だがそんなことを気にしている暇はない。冷や汗が背中を伝う。
(今が物語のどの辺か全然考えてなかったけど、もう婚約済みなの? ってことは私、もうすぐ死ぬの!?)
……忘れていたが、シルクには重大な懸念点が一つあった。それはヴァージル・ベネットという男だ。彼との結婚のせいで原作のシルクは死んでしまうのだ。
このままひきこもり生活を送るだけではバッドエンドまっしぐら。どうすれば生き残ることができるのだろう。
考え込むうちに支度は終わり、気が付けば約束の時間になっていた。応接間に続く大きな扉の前でシルクは深呼吸をする。
(この向こうに例のクズ男がいるのね……この手で本性を暴いてやろうじゃない!)
シルクは扉を勢いよく開く。すると椅子に座った人物が顔を上げた。
「……え?」
その姿を見て、シルクは固まった。
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