ミミズ肉
「ねえねえねえ聞いて聞いて聞いて」
「適当に話してください、聞き流しますから」
「流すんじゃなくてちゃんと聞いてよ!」
いつものように私がオカ研部室で静かに本を読んでいたところ、黒髪おかっぱ幼児体形でなぜか白衣の先輩が騒がしく入ってきた。
無視してもよかったのだけれど無視したら無視したで面倒なことになるので、今日も今日とていい加減に相手をすることになった。
「聞くかどうかは先輩の技量次第ですね」
「なるほどそういうことなら私にまかせて」
「はいはい」
何がどうしてそんなに自信があるんだかよくわからないが、先輩は胸を張って十分な間をとると、声量をあえて抑えて次のように言った。
「あそこのハンバーガーショップさ、ミミズの肉使ってるらしいよ」
???
驚きのあまり思考が停止してしまっていた。言われたことを思い出してみる。
???
うーん、やっぱりだ。やっぱり衝撃的すぎて一時的に脳がエラーを起こしてしまう。この人はいったい何を言っているのか。
「衝撃の事実すぎて声も出なくなったというわけだね」
「いやあのその話いつ流行った話ですか。すごく昔からありますよ」
「弥生ぐらいから?」
「残念、少なくとも縄文までは遡れますね。ミミズ肉バーガーを喰う人の壁が見つかってます」
「まじかー、さすがにそれはネタが古すぎたわー」
なんてふざけたやりとりしつつ思考が回復するのを待つ。今の時代にその話を得意げに話してくる人間がいるとは思ってもいなかった。
「冗談はおいといて。今時そんなん言ってたら炎上しますよ、誹謗中傷です」
「あぶない。SNSでつぶやくところだったよ」
「あと危ない人もよってきますね」
「危ない人って?」
「危ない人は危ない人です。詳しく言うと危ないのでこれ以上言及しません」
つまりどういうことかというと危ないのだ。
適当な椅子を引っ張り出してきて先輩は座る。
さすがに本気で信じていたわけではなかったようだ。本気で信じてたとすれば私はどうしたらよかったのか、それは考えたくないところだ。
「そもそもミミズの肉食べる人っているのかな」
今さらな疑問を先輩は口にする。私は片手でさくっとスマホで検索する。
「いるらしいですよ」
「へー、世界は広いね」
私たちだってミミズを食べてる魚を食べてるわけだからそんなに不思議なものではないのかもしれない。いや直接と間接はさすがに違いすぎる、この理屈はあまりに乱暴だ。
「ふと思い出したんですけど昆虫食ってあるじゃないですか」
先輩とどうでもいい話をしていると変に記憶を刺激されることがある。そして話題はどうでもいいことだから安易にずらしてしまって構わなくて、その時も刺激された記憶にまつわる疑問をそのまま私は述べた。
「最近流行ってるね」
「あれエネルギー的には割に合わないって昔読んだんですよね」
「そうなんだー」
「まあそこは本題じゃなくてそれ載ってた本わりとおもしろかったんですけどタイトルど忘れしちゃって」
定期的に思い出す。思い出すが肝心の題名がいっこうにわからない。ジレンマ。
「何か覚えてることないの」
「表紙がおもしろ顔でした」
「おもしろ顔って?」
「クリムゾン・キングの宮殿、わかります? あれのジャケットみたいな顔の土人形?」
「伝わってるから、顔作ってくれなくていいから」
両手まで使った渾身の変顔のおかげで無事伝達が成功したようでなにより。自分でそれが見られないのがちょっと残念だけれど。
他にも私はいくつか断片的な記憶をいい加減にあげていく。
人と会話をしていると案外にそれらは積み重なっていくもので、あとはネットで見つけた目録をひとつひとつ眺めていけばどうにかなるところまでその正体のわからない本を追い詰めることができた。
「ありました。あったんですけど」
「今度は何」
「表紙がおもしろ顔じゃありませんでした、別の判型もみたんですけど違ってました」
「謎が1つ減ったと思ったら1つ増えたね」
「多分、人生ってそういうものなんでしょうね」
そして人間はよくわからないタイミングでよくわからない人生哲学を手に入れるものだ。
「猫の肉だって噂もありましたね」
私は不意に話題を元の地点に戻した。ミミズじゃなくて猫の肉を使っているという噂。それともあれはまた別の店に関するものだっただろうか。
「犬食べる人は聞いたことあるけど猫食べる人もいるのかな」
「犬の方がまだ食べでがありそうですよね、私は食べないですけど」
今度は先輩が片手でさくさくっとネットで検索する。まったく便利な時代だ。
「食べる人いるらしいよ、猫」
「へー、世界は広いですね」
生きてる猫を想像してるからあれだけど、調理された状態ならまた違って見えるのかもしれない。まあわざわざそれを調べて見ようとは思わないけど。
「中国の人って虎食べてそうだよね、偏見とかでなく」
「なんでそう思うんですか」
「強いもの食べれば強くなる思想で」
猫から虎に発想が飛んだのだろう、先輩がそんなことを言い出した。
虎か、あんまりなじみがないせいかもだけど、猫よりはまだおいしそうな気がする。
それから先輩の理屈に納得する。確かにそういう思想はある。それにのっとれば虎なんて正しくうってつけの食材といえるかもしれない。
さくっと検索。
「先輩の言う通りみたいですよ」
「あってたんだ。適当言ったつもりだったんだけど……すごいね」
当たってたというのに先輩はなんだか歯切れが悪い。私はその心情を察した。
「気持ちわかりますよ、先輩」
「何のこと?」
「あてずっぽうで言ったのが当たってると困惑しますよね」
予想というのはむやみに当たればいいというものではない。最初から本気で当てようとはしていないのだ。外れたら外れたでその予想と現実のギャップを楽しめる。
とそんな私の言葉にも先輩は曖昧な笑みを浮かべていた。
これも似たような話だ。あんまり他者の考えていることを適切に言い当ててはいけない。私たちの会話はぼんやりとしたところで成立しているのだから。
私は先輩と同じような曖昧な笑みだけ返しておいた。
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