第9話

 シンイチは、凹んだままだった。

 そして、しばらくしてから、シンイチは、会社の仕事を辞めた。

 そのまま、リノは、スーパーマーケットのレジ打ちの仕事と、弁当屋さんのレジの仕事をしていた。

 昼間から、ハイツで寝ているシンイチは、どうにもならない男だと気がついた。娘は、幸い、自分のお父さんは、ナイーブだから、どうにもならないと分かっていた。ただ、ただ、娘は、いつもシンイチの前では、膨れた顔をしていたが。

 そして、リノは、たまたま、弁当屋さんの仕事で、クルマで配達をしていた。

 そんな時だった。

 東海道線の茅ヶ崎駅前で、カラオケ教室の看板を観ていたら、「カラオケ大会茅ヶ崎202*」と書いていた。

「これを機に歌手を目指しませんか?」なんてあった。

ーそうだ

 と妻のリノは思った。

 シンイチは、もう、50歳を過ぎているから、今から、歌手にさせたら良いと思った。

 しかし、そんなに簡単に、歌手にならないか、と言えるだろうかと悩んだ。

 空は、晴れていた。

 妻のリノは、いつも、「ご主人、どうして仕事をしないのですか?」と職場の同僚から言われていた。

 それを、聴くのが辛いものがあった。

 何年と妻のリノは、自分の趣味に合わせていたが、もう、夫のシンイチを、好きにさせて良いのではないかと思った。

 そうだ、と思った。

 夫のシンイチは、優しかった。

 優しいのは、音楽があったから、と思った。

 いきものがかりの『ブルーバード』やら『YELL』やら96猫『Be Crazy For Me』やマイペースの『東京』、村下孝蔵『初恋』、Mr.Childrenの『Tommorow Never Knows』をよく歌っていたから、だった。

 せめて、カラオケ大会で、チャンプになって、それで、少しは、自信を持ってほしいとも思っていた。

 仕事から帰ってから、妻のリノは、夫のシンイチに言った。

「やだよ」

「なんで?」

「もう、音楽をしたくない」

 と夫のシンイチは、塞ぎ込んでいた。

 50歳過ぎた夫が、簡単に、妻のいうことに耳を持てなかった。

 毎日言っていたが、駄目だった。

 そして、夫婦喧嘩は、絶え間なくあった。

 娘がいなくなってから、二人でわあわあ言っていた。

 そんなある日だった。

 東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県で、首都直下型地震があった。

 東京の都心で、これまでにない規模の地震が発生をした。

 電気・ガス・水道などのライフラインは止まった。

 パソコンやスマホなども使えなくなった。

 建物は、今までにないスピードで倒壊をしていた。

 電車もバスもストップした。

 火の手があちこちにあがり、帰宅困難者がいっぱい出てきた。

 茅ヶ崎も、東海道線が通るのだが、上野東京ラインがあるのだが、駄目だった。夫のシンイチは、妻のリノと娘と、公民館へ避難した。

 それでも、公民館は、みんな、すごい罵りがあった。

 食べ物を盗み、そして、市民同士がけんかをしていた。

 医療従事者も、頑張って、対応をし、役所も対応をしていた。

 しかし、元々、不器用で、気の弱いシンイチは、どこへ行こうとしても、駄目dたた。

 子供たちは、「怖いよ」と鳴いていた。

 そして、市長が来ても、みんなは、ブーイングを浴びせていた。

 そんな市長や国会議員、県議会議員も、「何とかしますから」と頑張って対応をしていたが、駄目だった。

 みんな、イライラが募っていた。

 さらに、避難所で、市民同士が、喧嘩をし、中には、ごく一握りの男性が、女性をレイプした嫌な事件もあった。

 シンイチは、何とか、連絡先の字を書いていたが、そんな時だった。

 シンイチは、久しぶりに、缶コーヒーを飲んでいた。

 駐車場で、缶コーヒーを飲んで、「たまに歌いたい」と思った。

 シンイチは、いきものがかり『YELL』を歌った。

 実は、今回の地震。

 死亡者も相当出ている。

 そんな時だった。

ーサヨナラはかなしい言葉じゃない

 と歌った。

 シンイチは、周りの環境を気にしている暇はなかった。

 その時、そばにいた人たちが、数人、こう言った。

「歌が、上手いですね」

「いや、そうでもなくて」

「いや、お宅、自信を持ったら良いよ」

 その時だった。

 誰かが

「今から、歌ってくれませんか?」

 と大声で言った。

 そして、「そうだ」「歌ってください」と声があった。

 シンイチは、その時、思い出した。

 そうだ、オレは、ミスチルやいきものがかり、のように歌いたかったんだ、とも。妻のリノは、カラオケ大会へ行こうって言ったのも。

 こんな情けない夫のシンイチだったが、歌い始めた。

ーいきものがかり『YELL』を歌います。

 パチパチパチパチと拍手があった。

ーわたしはいまどこにあるのと

 と歌い始めた。

 シンイチは、ボーカルの吉岡聖恵さんや作詞の水野良樹さんになったつもりで、思い入れたっぷりで歌った。

 その時、妻のリノと娘も遠くから観ていた。

ーオレは馬鹿な夫だ

 と思いながら5分歌った。

 そして、歌い終わると、みんなは、パチパチパチパチと拍手があった。

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