第5話

 シンイチは、カラオケ大会が終わってから、会社を出た。

 その時だった。

「先輩」

「なに、リノさん?」

「今日、これから、先輩と一緒に帰っても良いですか?」

「そこの駅までなら」

「ええ」

 とシンイチは、リノに言った。

 会社を出たら、そこは、飲み屋さんが、煌々と光を照らしていた。

 駅まで数分歩くところだった。

「私、最初、先輩のこと、何て不器用な人だって思っていました」

「そうだよね」

「それで、クルマの運転だって、いつも私任せで、それで、お酒も下戸で」

「まあ、クルマの運転も苦手だし、お酒も下戸だ」

 シンイチとリノは何を話をしていたのだろうか?

 いや、他愛無い話を二人でしていた。

 リノは、本当は、都営浅草線の新橋駅まで来た。

 自宅は、青砥だが、そのまま、明日は仕事が休みだから、そのまま、シンイチと一緒に、都営浅草線で、泉岳寺駅を通って、京急快特三崎口行きに乗って、品川を出た。

 快特三崎口行きの運転士さんは、女性だった。

「先輩」

「何?」

「夜の海って、物凄く綺麗ですね」

「まあ、昔は、こんなに光はなかったよね」

「そうですね、電気なんてなくて」

「こんなに工場の光がピカピカしていたとは思えないよね」

 反対車線から、京急快特青砥行きが通過する時、車内はグラっと揺れた。

 夜の車内は、少し静かだった。

 前に座っている60代手前と思しき男性は、スマホのトレーダー株をしている。顔が厳しくなっている。

 株で損をしたのか。

 リノは、青砥に住んでいるが、シンイチの住んでいる反対方向の横浜へ向かっている。

「オレさ」

「はい」

「本当は、京急快特の運転士になりたいとか思っていたんだ」

「へぇー、やっぱり男の子なんですね」

「だけど、色弱でなれないって、眼科で言われて」

「可哀想、先輩」

「だけど、男の子って、やっぱり、冒険したいじゃない」

「ええ」

「それで、親戚の集まりで、<シンイチ、何か歌って>って言ったら、みんなが、俺の歌を聴いていて、それで、ヒーローみたいになっていたんだ」

「それで…」

「まあ、高校時代なんて、バンドブームだったけど、オレはできなかったね、恥ずかしくて」

「ええ」

「それで、女の子とホテルへ行った人もいたけど、オレはできなかったね」

「彼女のことが好きすぎた?」

「まあ、思いが強すぎてね」

 また、反対車線からエアポート急行が、品川方面に向かって走っていた。

 京急快特三崎口行きと並行して国道にクルマが走っている、サーチライトをつけて。

 そして、マンションからは明かりが見えて、そして、まだ操業している工場もあるようだ。

「でも、今の時代は、女性の運転士さんもいるよ」

 とリノは、言った。

 車内を、女性の車掌さんが、見回りに来た。

 そうだ、とシンイチは、思った。もう、女性の運転士さんが、京急快特でも都営浅草線でも活躍をしている。

 そして、バスの運転手さんも、トラック運転手さんも、消防士さんだって、女性がいる。

 また、女性の政治家だって、女性の上司だって一杯いる。

 シンイチの会社だって、女性のチーフは、いっぱいいる。しかし、「女のチーフは、嫌だ」と言って、会社を辞めた同僚もいたのだから。

「先輩、自信を持って」

 とリノは、言った。

 40代の半ばになったシンイチは、寂しかったのだろう。胸がいっぱいになった。

 京急快特は、多摩川を超えて、川崎駅に到着した。

 ホームドアが開いて、車内のドアも開いた。

 乗り降りする人が、行き来していた。

 そして、また閉まった。

「先輩」

「何?」

「今日の先輩は、ヒーローだったよ」

「え?そうかな?ただ、カラオケ大会でチャンプになっただけじゃん」

 本当は、照れていた。

 しかし、リノのような美人に本当はそう言われたかったような気がしていた。

 内心では嬉しいのだと言える。

「俺って、彼女がいたけど、違う男性に降られたんだぜ」

「そうだよね、先輩はそんなタイプだと思う」

「京急快特の運転士になれなくて、こうして人生がずっとこのまま生きていて」

 再び、京急快特三崎口行きは、出発した。

 夜の暗闇の中に、工場の光が輝いていた。

 いしだあゆみ『ブルーライトヨコハマ』は、そんなところから、歌詞が生まれたそうだ。

「街の明かりがとても綺麗ねヨコハマブルーライトヨコハマ」

「いしだあゆみ『ブルーライトヨコハマ』だよね」

「先輩の心だってとてもきれいだよ」

「やだな」

「本当は、彼女さんと結婚した彼氏さんより、京急快特の運転士さんよりも、ヒーローだと思う」

「そうかね?」

「それに、先輩には、歌があるじゃん」

「まあ」

「本当は、歌手になりたかったんでしょう」

「うん」

「だから、モテなかったんだ」

「悪い?」

「いや、全然」

「それより、リノさんの家は、青砥だろう?こんなところまで来て」

 京急快特三崎口行きは、京急横浜駅に着いた。

ー街の明かりがとても綺麗ねヨコハマブルーライトヨコハマ

 横浜駅の発車メロディーが流れた。

「今日、どうする?」とシンイチは、リノに聞いた。その時、リノは、すっとシンイチの頬に軽くキスをして「今夜は、先輩の家に行きたい」と言ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る