第4話

 カラオケ大会の日だった。

 その日は、昼過ぎから始まった。

 会場は、カラオケ大会の出場者以外は、みんなで手伝っていた。椅子をそろえ、音源を整え、マイクを用意した。

 また、バックスクリーンには、パソコンのPowerPointから、映し出していた。

 シンイチは、今日は、久しぶりの舞台と思っていた。

 以前は、手品をしたが、失敗をした。

 または、演劇で幽霊の役をしたが、駄目だった。

「気持ち悪い」なんて言われていた。

 会場には、アルコールやお寿司、肉類、野菜などのオードブルが並んでいた。

 時間になって、カラオケ大会が始まった。

 みんなは、食事に無調になって、歌っている人への興味はなかった。

 何人か歌った後だったのだろう。

 今度は、シンイチの出番になった。

 ここで、シンイチは、内心、「オレのことは、誰も興味を持たない」と決めつけていた。

 間違いなくそうだった。

 みんなは、アルコールで顔を真っ赤にして、スマホのLINEを検索している。

 シンイチは、ドキドキしていた。

 シンイチの番になった。

 いきものがかりの『ブルーバード』を歌うことになった。

 その時、シンイチは、好きな人に向かって歌うと母親から言われていた。誰に向かって歌えば良いのかと思った。

 そうだ、後輩のリノに聞いてもらえたらと思った。

ーはばたいたら戻らないと言って

 その時、シンイチは、今までにない大きな声で歌い始めた。

 いや、まさにマイクを握ると、人格が変わったようだった。

 会社の同僚は、そのままいつも大人しいシンイチが、歌うのを観てびっくりしていた。

 シンイチは、身体のがっしりしているリノをそのまま見る余裕はなく、そして、そのまま、マイクを握った手はブルブル震えながら、それでも歌い続けた。

ー目指したのは蒼い蒼いあの空

 と言って、シンイチは、ハッスルを始めた。

 急に、会場は拍手に沸いた。

 シンイチが、楽しそうに歌っている姿を、ある人は、スマホの動画で撮影をした。

 勿論、リノは、今のシンイチを信じることはできなかった。

 いつも低姿勢で、自信がないシンイチだった。

 それが、歌いながら振りまでつけている。

 そうだ、オレは、ロックのバンドをしたかったんだ、とシンイチは、40代になって思い出した。

 だけど、シンイチは、好きな女性がいても、欲望の赴くままに行動ができず、だが、人一倍、異性への関心もあったが、できなかった。

 ただ、カラオケサークルの部長だったが、でも、人一倍、コンサートをしたかったのだとも。

 ところが、会場は、みんなが、シンイチに視線が向いていた。

 そうだろう、と思った。

 リノは、大人しいシンイチという男性でしか見ていなかったのだが、それでも、シンイチが目を輝かせて、歌っているシンイチを、少しだけ、誇らしげに観ていた。心が、キュンキュンしていた。

 クルマの運転もできない。

 お酒を飲むのも下戸。

 女性と満足に話ができない。

 運動も苦手そう。

 そんな彼を、ヒーローみたいに思っていた。

 3分のいきものがかりの『ブルーバード』のシンイチの出番が終わった。

 シンイチが歌った後は、一番、拍手があったと分かる。

 そして、この日のカラオケ大会のチャンプは、シンイチになっていた。

 リノは、確かに、運動もできたし、勉強もできた。

 また、クルマの運転もできるし、お酒もグイグイ飲む。

 また、恋愛で何度も経験をしていた。

 ところが、シンイチみたいに、何かにのめり込むことはなかったように思う。そして、リノは、そんなシンイチを「すごい」と思っていた。

ー私は、いつもシンイチ先輩の趣味を否定していた

ー私は、いきものがかりの『ブルーバード』を歌えない

ー私は、劇とか音楽の舞台を出ることはできない

 みたいに思っていた。

 上司のナガミネは、シンイチに「いや、すごいな」と褒めている。

 そして、そんなシンイチは、リノのところへ来ていた。

「先輩」

「何?リノさん」

「先輩、いきものがかりの『ブルーバード』を歌っているのかっこよかったですよ」

「そう?」

「うん」

「私は、いきものがかりの『ブルーバード』をあんな風に歌えないよ」

「うそ?」

「いや、本当に」

「ふーん」

「歌えないですよ」

「ありがとう」

「生のミュージシャンよりすごいな」

「うん」

 少し、リノは拍子抜けした。

 当たり前と言いそうなシンイチの顔を見た。

「え、何?」

「オレさ」

「うん」

「本当は、ミュージシャンになりたかったんだ」

「え」

「Mr.Childrenみたいな桜井和寿さんみたいなボーカルになりたかったんだ」

「え」

「学生時代、そんな夢を語ることができなくて、ずるずるこの年まで来たんだ」

 思わず、シンイチは、夢を語ってしまった。

 本当は、シンイチは、もう40代の中年なのに、青春気取りになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る