第38話 不幸な勘違い
グレイ・アスタイン……言われてみれば確かにそんな人が居たような気もするけど、正直ひか恋に出てくるキャラ以外の名前は覚えていなかった。
「ところで一体いつからここに?」
「んー、公女サマがアッツ〜い眼差しで王子サマを見てたとこから?」
「……」
最悪だった。ヘマをしてしまったことに頭が痛くなる。まさか人に見られていたなんて。この男の記憶を消すにはどうしたらいいか。
……いや、まずは穏便にいこう。私は腕を組みながらグレイ・アスタインへ告げる。
「いくら欲しいの」
「ん?」
「だから口止め料。今は手持ちがないから、明日までには用意するわ」
貯金を崩すのは惜しいけど仕方ない。二百ゴールドくらいは減る覚悟で口にした私に、グレイ・アスタインはなぜか「ぶはっ!」と吹き出した。
「ぶっ、くく…っ別に金を取ったりしねーよ」
「……他に何か要求が?」
こっちは真剣に聞いているというのに、更に腹を抱え出す。一体何がそんなに面白いのだろうか。一人で一通り笑ってから、ようやく落ち着きを取り戻した。
「はー、笑った。言いふらしたりする気はないから、ンな怖ぇ顔すんなって。ただ、できてる相手に対して、何でコソコソとストーキングみたいな真似してんのか気になってただけだから」
「す、ストーキング……!?」
雷に撃たれたかのような衝撃だった。生涯関わりがない言葉だと思っていたのに、まさか自分が言われる日が来るだなんて。正直かなりショックだった。
しかし、悔しいことにグレイ・アスタインが正しい。できてる相手にコソコソと、って……
「できてるって?誰が?」
「誰って、公女サマと王子サマがだよ」
「私とノク、第二王子殿下が?」
一体何を言っているのか。あまりにも見当違いな発言に、思わず口を開けて間抜けな顔をしてしまう。
「……何を見てそう思ったのかは分からないけど、勘違いだから。確かに私は第二王子殿下のことを見てたけど、そこに恋愛感情はないし、殿下の方は尚更」
残念なことに、それは今日でおしまいだ。このまま推しのストーカーになるわけにはいかないからね。
テストが終わったら一度だけアイリスを連れて来るのくらいは、大目に見てほしい所なんだけど。
「そうかァ?王子サマの方もお前のこと見てたと思うけど」
「……!見てたってまさか第二王子殿下が!?」
「お、おう……」
突然前のめりになった私にグレイ・アスタインが戸惑う。私は緩む口元を我慢できなかった。
間違いない。ノクスはアイリスを見ていたのだとすぐに気が付いた。
問題は私の行動のせいで、不幸な勘違いが起きてしまっていることだ。
「一応殿下の名誉のためにも言わせてもらうけど、私のことを好きだなんて有り得ないから。第二王子殿下の女の趣味が悪いはずないじゃない」
「お前、良くもまぁそんな悲しいことを堂々と……」
「分かったなら、もう二度と失礼なことは言わないように」
念を押せば、グレイ・アスタインは「分かったよ」と言いながらも頷いた。
「しっかし、公女サマは噂とは随分と違ぇんだな」
「そうかもね」
「悔しくねぇの?事実と違う噂が流れてること」
おかしな質問に私は笑いながら「別に」と否定する。
「元々、噂なんてのはそうでしょう。事実かどうかが重要なんじゃなく、より面白かったり、自分に都合が良かったりする事を広めていくもの」
私の性格の真実なんてどうでもいいはず。だって彼らは、ワガママで傲慢なアリア・ウォレスで〝あって欲しい〟のだ。
なぜならそっちの方が面白くて、いい暇つぶしになるだろうから。
公爵令嬢というポジションのせいでもあるかもしれない。カイルやエメル狙いの人からすれば私は目障りだろうし、蹴落したいと思っている人も少なからず居るはずだ。
その人たちからしたら、悪い噂が流れる方が都合もいいだろう。
「お前本当に同い年?」
「……何で」
「いや、随分と達観してんなーと思って」
心臓が跳ねた。びっくりするようなことを言うのはやめてほしい。
ふぅ、と息を吐く私にグレイ・アスタインは何を思ったのか、頭をかき混ぜながら懐から何かを取り出した。
「あー、悪かったよ。変なこと聞いて。お詫びにこれをやるよ」
「?」
投げられた物を反射的にキャッチする。
両手で取ったそれは、私の親指と同等サイズの小瓶だった。率直に、見るからに怪しい。
「ただのカラーリング薬だから、そんな警戒すんなって。公女サマの髪は目立つからな」
「これを飲めば髪色が変わるの?どうやって?」
髪色を変える魔法薬だったらしい。
興味津々に瓶を眺める私に、グレイ・アスタインが「気になるなら飲んでみれば?」と言ってくる。
暫く不信と好奇心の間で揺れたけど、結局蓋を開けて一気に飲み込んだ。
「うわっ……!」
まるで変身アニメのワンシーンのように、下から上へ徐々に髪色が変化していく。
毛先から頭のてっぺんまで、あっという間に紫からブラウンへと染まった。
懐かしい髪色だ。昔の私の髪色と同じだった。
「おお〜中々似合ってんな。それが一番人気の色なんだってよ」
「普通のブラウンなのに?」
「初代聖女サマと同じ色だからな」
「へぇ、そうなんだ」
聖女エステルはもっと神秘的なイメージだったから意外だった。
それよりカラーは他に何色があるのだろうか。茶色はもう見飽きてるから、できれば他の色で試してみたい。早速今日の帰りにでも買いに行こうかな。
「ねぇ、ところでこれってどうやって元の髪に……?」
一体どうしたのだろう。急に固まったグレイ・アスタインへ首を傾けて。
「……ここで何をされているのですか?」
息を呑んだ。まさかと振り向けば、いつの間にかノクスがすぐ目の前に立っていた。
サッと血の気が引いていく。これは物凄く不味い状況だった。
もし私がノクスをこっそり見ていたとバレたら、ドン引きルート確定だ。蔑む推しを見てみたい気持ちはあるけど、私はマゾヒズムではない。
「アスタイン侯爵家の次男と、貴方は――」
終わったことを認める寸前、さらりと生ぬるい風が吹いた。普段とは違う茶髪が視界に入り、私はグレイに感謝する。
「ア、アリスと申します、殿下!」
幸いにも、まだ首の皮一枚繋がっていた。
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