第37話 初代聖女エステル




魔法学校での授業は想像以上に良い時間だった。

周囲の興味は次第に他へ移ったから初日に向けられていた視線も、今はもうさほど気にならなくなっていたし。


「次は初代聖女についてです。皆さんも一度くらいは聞いたことがあるかと思います」


インドアな私にしては珍しく一番好きな授業は魔法の実技だったけど、推しの背中越しに聞く座学も嫌いではなかった。

目だけ横へ向けると、現在進行形で歴史の授業を熱心に学んでいるアイリスが映る。


「今から約一千年前。大きな疫病が流行りました。人が倒れ、草木は枯れ、街は荒れて。その時、救世主の如く現れたのが初代聖女エステルです」


絵本や小説、あらゆる媒体で私も見たことがある。長い時間が経った今でもまだ、エステルのファンがいると言われてるほど愛された聖女。


「そして、そんな彼女の周囲にはガーディアン守護するものたちが存在していました。それぞれの属性を持った八人のガーディアンは、聖女エステルの矛となり、そして時には盾になり、彼女を守り続けました」



国中から人気者だった彼女を、最も愛していた守護者たち。癖のある者揃いで普段は纏まりがなかったけど、エステルを守る時だけは全員が団結し足並みを揃えていたという。

しかし、エステルは彼らよりも先に命尽きてしまった。



「エステルの死後、ガーディアンはどうなったのですか?」


一人の生徒が質問をする。先生は残念そうに首を振った。


「エステルの死後ガーディアンは、全員がバラバラに散らばりました。国に残り彼女の意志を継いだ人もいれば、国から出て行ってしまった人もいます」

「……」


それを聞いて、なぜか少し胸が痛んだ。残された者たちに同情でもしたのだろうか。他の人も同じだったのか、沈んだ空気を切り替えるように先生は手を叩いて、明るく口にした。


「聖女エステルは彼らにとって何よりも大事な存在だったからこそ、きっと様々な苦悩があったのでしょう。しかし、別の道を歩むとは、決別するという意味ではありません」


史書にはこのように記されているという。


「――私たちの永遠の星、エステル」


ガーディアンの一人が書き残した言葉だ。この文には〝私〟ではなく〝私たち〟と記されている。

たとえ離れてしまっても、時代が移ろい、やがて過去になってしまっても、それだけは永遠に変わることがないと。そしてそれは書き残した人物だけじゃなく、全てのガーディアンの意志であることが分かった。


「先生、今の聖女は誰なんですか?」


温かな空気になった所で、また新たな質問が浮かぶ。


「今代はまだいません。というのも九代目聖女以降、ここ数百年はずっと現れていないんです」


その回答に教室が残念そうな気配に包まれて、先生は苦笑った。


「聖女は国に危機が訪れた時に現れるといいます。つまり聖女がいないということは、この国は今とても平和ということです。なのであまりガッカリしないように」


そうだね。先生の言葉に同意し私は頷く。聖女を見てみたい気持ちもあるけど、好奇心よりも自身の平和の方が大事だ。

私なら見ず知らずの人のために命なんか到底かけられたもんじゃない。エステルや歴代聖女たちは凄いと素直に尊敬した。




***




「アリアごめんね……!先に戻っててくれる?」

「分かった。また後でね」


昼食後。何やら行くところがあるらしいアイリスと別れて、私は一人ふらふらと歩く。

休み時間が終わるまでまだかなり時間が残っていた。

本当は図書館に行きたかったけれど、図書館に行くには二年の棟を横切る必要がある。

一人でいるところにもしキオンと出会ったら、どれだけ遠くからだろうと名前を呼ばれてしまうだろうからリスクを回避するために諦めた。


代わりに外を歩くことにしたのだけど……どこだろうここは。

木と草しかない場所を突き進んでいたせいで完全に道が分からなくなってしまった。


「次の授業までに戻れるといいけど」


私は息を吐く。誰かに会えたら帰り道を聞こうと一先ず歩くことにした。


少し進んだ頃、風を切るような音がして私はその場に立ち止まる。


「……!?」


相手が誰か確認するために木の影から覗いた先に居たのは、なんとノクスだった。

ブレザーを脱いだ制服姿のまま剣を振る推しのレアな姿に、私はすぐにも叫び出しそうな口を抑える。


そして私は気がついた。まさにこれだと!

偶然を装いながらアイリスをここに連れて来て、あの姿を見せればどうなるか。


『まぁ、何て努力家なの……!とっても素敵!アリア私、第二王子殿下を好きになってしまったみたい』


当然こうなるはずだ。

剣を振り終えたノクスは、ブレザーを手に取り校舎の方へ戻っていく。帰り道まで教えてくれるなんて天使かと思った。

明日早速アイリスをここに連れてこようと私は教室へ戻りながら決意する。


そう、計画は完璧だったはずなのに。



「アリア今日も先に戻ってて……!」


次の日もアイリスは私を残してどこかへ行ってしまった。


「アリア、その今日も……」


そのまた翌日もだ。計画を実行する前に、一週間連続で躓いてしまった私はさすがに落ち込んだ。

アイリスも一人の時間が欲しいかもしれないと思い、ずっと見送ってきたけどもう限界だった。ほんの数分でいい。一目あの姿を見てもらえる時間さえ作れれば、きっと上手くいくはずだった。


「アイリスいつもどこに行ってるの?」

「えっ!?」


ついに痺れを切らし尋ねた私に、アイリスがびくりと肩を跳ねさせる。


「それは……せ、先生に、」

「先生?まさか雑用でも頼まれてるの?」


どこの誰だ。アイリスをこき使ってるのは。「言ってくれれば手伝ったのに」と呟く私に、アイリスはぶんぶんと首を振って否定する。


「違うの!勉強!そう、勉強を教えてもらってるの!」

「勉強?」

「そうよ、アリアは昼休みまで勉強しないでしょう?だから私一人でやってたの」


確かに来月はテストがある。キオンも最近は夜遅くまで勉強しているみたいだし。

私は昔、小学校から大学までみっちり勉強したから、もう平均以上に頑張るつもりはなかった。


「そうだったんだ。もし手伝いが必要な時はいつでも言ってね」


さすがにテスト勉強の邪魔をするわけにはいかない。私が納得して頷けばアイリスは笑ってくるりと後ろを向いた。


「待って、アイリス。裾が汚れてる」


ふわりと広がったスカートの裾が汚れているのに気が付いて、ハンカチで払う。


「ありがとうアリア。じゃあ行ってくるわね!」

「……うん」


アイリスはそのままいつも通り行ってしまった。実行できるのはテストが終わってからになりそうだ。残念だけど仕方ない。

結局私は一人でノクスの元へと向かう。今日も静かに剣を振る推しを少し離れたところで数分拝ませて頂いてから、近くの木に寄りかかった。

早くテストが終わればいいのに。そうすれば……


カサッ


瞬間。葉が揺れる小さな物音が聞こえて、反射的に上を見る。真上の木に誰かがいるのに気が付いて、警戒心が強まった。


「あーあ、ついに気付かれたか。よぉ、公女サマ」


身軽に木から飛び降りてきたその男は茶褐色の髪についていた葉っぱを取って、私の方へ向く。まるで友達に挨拶するかのように声を掛けられた。


「……ごめん誰だっけ?」

「おいおい、ひでぇな〜グレイ・アスタイン――俺も公女サマと同じAクラスなんだけど?」


そう言いながら男は、この状況を楽しむかのように口角を上げた。



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