#56(最終話) サレタ男の新しい門出




 直ぐにその人はイロハさんのお母さんだと判ったけど、僕も驚いてしまい、「えええ!?」と声を上げていた。


「お、お母さん!?」


「あら!ごめんなさい! 盗み聞きするつもりじゃなかったのよ?いつもイロハからタイチくんの話を聞いてて、そのタイチくんが今日イロハに会いに来るって聞いて挨拶くらいはしないといけないと思って来たんだけど、なんだか深刻な話声が聞こえて入りづらくてね?だから盗み聞きするつもりじゃなかったのよ?本当よ?」


 必死に言い訳するイロハさんのお母さんは、少し痩せてはいるけど、一人で立ててるし顔色も悪くなくて、体調は良さそうだった。


 そして、お母さんは言い訳しながら部屋に入ってくると、驚いてるイロハさんの隣に座り、「イロハの母です。 タイチくんのことは大学でとてもお世話になっていたって聞いていました。今日は遠いところをよく来て下さいました。イロハの為に、ありがとうね」と挨拶をしてくれたので、僕も慌てて「初めまして坂本タイチと申します!僕の方こそイロハさんには沢山お世話になってまして、お蔭様で就職内定が出ましたので今日はその報告とお礼の為に伺いました! ご病気で大変な時にお騒がせしまして、すみません」と頭を下げて挨拶をした。


「病気の方はイロハのお蔭で最近は調子が良いんですよ。タイチくんにも沢山心配かけてたみたいで、ごめんなさいね。 

 それで、タイチくんはイロハと結婚するつもりなの?」


 イロハさんのお母さんは、自分の病気のことよりも、僕のプロポーズのことのが気になってる様子だ。


「ハイ!イロハさんと結婚したいです!」


 お母さんと僕が興奮気味に会話していると、イロハさんは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。


 僕がイロハさんに交際を申し込んで、OKして貰えた時みたいだ。

 あの時、鍋料理を食べながら「面白い話して下さい」って無茶ぶりされたんだっけ。懐かしいな。



「それでイロハはどうなの?タイチくんのプロポーズになんて返事するの?」


 お母さん、楽しそうな表情で病人とは思えないほどノリノリだな。

 でも、これほど心強い味方は他に居ない。


 ここはダメ押ししかないだろう。


「イロハさんの傍に居たくて、採用試験も頑張りました。今度は僕が約束します。 僕はイロハさんの傍に居ます。僕はイロハさんの傍から離れません」


「でも・・・こちらで教員になるって、ご実家のご両親は反対されてるんじゃないですか?」


「両親は説得しました。父さんからは『頑張ってこい』って応援して貰ってます。母さんも内定合格の報告をしたら『良かったね。よく頑張ったね』と喜んでくれました」


「でも・・・私が断ったらどうするつもりなんですか?」


「また来ます。何度でも来ます。1度や2度断られたくらいで諦めるのなら、福井に骨を埋める覚悟なんて持てません」


「でも・・・」


「あのね、イロハ、あなたはどうしたいの?さっきからタイチくんに質問ばかりしてて、あなたの考えを何も言ってないじゃない。プロポーズされて嬉しくないの?あんなにいつもタイチくんのことばかり話してたじゃないの。会いたかったんじゃないの?わざわざ会いに―――」


 お母さんがイロハさんに問いかけていると、イロハさんは慌ててお母さんの口を手で押さえて、黙らせた。


 でも、聞いちゃったもんね。

 イロハさんも僕に会いたかったんだ。

 やっぱり、嫌われては無かったんだ。


 イロハさんもお母さんの言葉を僕に聞かれて恥ずかしかったのか、先ほど以上に真っ赤な顔をしている。


 それに、イロハさん、今日は『ごめんなさい』も『迷惑です』も『帰って下さい』も一度も言ってないんだよね。

 コレって、気持ちが揺れてる証拠だよね。

 あと一押し、もう一押しだ。



 僕は今までずっと、イロハさんの意思を尊重していた。

 でも、今日は僕の想いを押し通す。

 だから、ここで取っておきの切り札を出すことにした。



「僕はイロハさんと結婚出来るなら、――――――

 ――――――――――――――――――――――

 今日僕は、これだけの覚悟をしてここに来ました」


 ありったけの熱意とイロハさんへの想いを込めて、目を見ながら話した。




「・・・分かりました。 タイチくんと、結婚します」


「よっしゃあ! ありがとうございます!!!」


 僕の言葉を聞いたイロハさんは観念して、ようやく僕のプロポーズを受け入れてくれた。


 そしてお母さんも大喜びして、「お父さんにも会って貰わなくっちゃね!夕方にはお父さん帰って来るから、今日は泊まって行きなさいね!お母さん、お父さんに電話してくるわね!」と言って、客間から出て行ってしまった。


 

 二人きりになると、イロハさんはモジモジしながら僕に確認してきた。


「本当に、いいんですか?」


「全然問題ないですって言いたいところだけど、両親の説得はコレから頑張ります」


「はぁ。 やっぱりそんなことだろうと思いました」


「まさか、後からやっぱり無しとか言わないで下さいよ?」


「そんなこと言いません!タイチくんのお嫁さんになります!ご両親を説得する時は、私も一緒に行きますからね!」


「らじゃ!」




 その日の夕方、イロハさんのお父さんが仕事から帰って来ると、早速イロハさんと並んで座り、挨拶をしてから「イロハさんとの結婚をお許し下さい!」とイロハさんと二人で頭を下げてお願いした。

 僕の話を聞いたお父さんからは滅茶苦茶怖い顔で「家内から聞いたけど、―――っていうのは、本当なのか?」と聞かれたので、「はい!本当です!」と答えた。


 すると、「わかった。イロハのこと、よろしくね」と笑顔になって結婚の許可をしてくれた。

 僕の切り札は、お父さんを説得するのが一番の目的だったからね。

 効果は抜群だったようだ。




 イロハさんは、僕のプロポーズを受け入れてくれた日の夜、別れた時のことを謝罪してくれて、そしてその当時の心境を語ってくれた。


 概ね手紙に書いてあった通り、お母さんの体調への不安と大学の留年が重なって相当弱気になってたところに僕が福井まで会いに来たことが、嬉しさよりもショックのが大きかったみたいだ。

 それで、僕に甘えてしまうと僕が自分の生活や人生を捨ててでもイロハさんの所に来てしまうのでは無いかと怖くなり、責任感が人一倍強いイロハさんは、古い風習や価値観だらけのこんな田舎に僕を縛り付けてはいけないと考え、僕に相談することなく別れることを決意したそうだ。

 そりゃそうだ。僕にそれを相談すれば、僕はイロハさんが恐れていた選択をするだろう。それが解っているからこそ、相談なんて出来ないよね。


 でも結局、僕と同じようにずっと忘れることが出来なくて、後悔と罪悪感の日々を送ってた所に、僕からの会いに来るというメッセージを見て、拒絶する返信が出来なくて、そのまま会ってくれたらしい。



 結果的にイロハさんが懸念していた通りになってしまったけど、『タイチくんのどこまでも前向きな態度と言葉に、私も、自分にとって何が一番大切なことなのかに気付くことが出来ました』と、イロハさんの部屋で一緒に寝てる時に話してくれた。


 僕も色々悩んだけど、結局何が一番大事なんだ?って考えた時に、『この先の人生を共に歩くべきパートーナーは、この人しかいない』ってことだと分かると、その為にどうするのが一番良いのかって見えてきたんだよね。それが分かるまでに少し時間が掛かってしまったんだけど、イロハさんも後悔する中で僕と再会して僕のそんな姿を見て、それに気付いてくれたということだった。



 因みに、教師になる夢は「まだ諦めてはいません」とハッキリと言ってくれたので、僕も全面的に協力する約束をした。




 ◇




 年が明け2月の後期試験が終わると、僕はイロハさんの実家で同居させて貰うことになり、引っ越しをして就職の準備を進めた。




 3月に入り無事に大学を卒業すると、僕の実家から1通の封書が送られてきた。

 封筒の中には更に封筒とメモが入ってて、メモには『チカちゃんからタイチ宛の手紙預かったから送るよ』と姉ちゃんの字で書かれていた。


 チカからの封筒には、丁寧な字で『坂本タイチ様』と書かれていた。


 開封すると1通の手紙が入っていた。

 内容は、福井での採用が決まったことへのお祝いと、自分も地元での採用が決まった報告。

 教師を目指す切っ掛けが僕の影響だったというお礼。

 僕に捨てられたことで目が覚めて、心を入れ替えることが出来たことへのお礼。

 そして、教育実習の最後の日に、罵倒して殴り合いの喧嘩をしたことへのお詫びが書かれてて、最後に『お幸せに』の言葉で締めくくられていた。


 チカは僕に感謝してくれてるけど、僕は何もしていない。

 僕の知らない所で、勝手に自分の力で自分の人生を立て直しただけだよね。


 それに正直言って、今はもう恨んでいない。

 最後に大喧嘩したのだって、昔みたいに僕の尻を叩こうとしたんだって分かってた。

 だって、あの時のチカの顔、中3で『同じ高校に行きたいなら、死ぬ気で勉強しろ!』って怒ってた時と同じなんだもん。





 そして3月の中旬。

 僕の赴任先は、偶然にもイロハさんの母校の小学校に決まった。





 4月の新学期初日。

 遂に僕の教員人生の第一歩となる日。


 この日の朝、出勤する僕をイロハさんが玄関まで見送りに来てくれて、最高に眩しい笑顔で送り出してくれた。


「しっかりと、頑張って来て下さい」


「らじゃ!」


 イロハさんは僕がイロハさんの母校の小学校の教師になれたことを自分の事の様に喜んでくれてて、そして全力で応援してくれている。

 そのことが、僕は嬉しかった。

  



 僕は3年クラスの担任になった。

 生徒が8名しか居ないクラスで、イロハさんの話では、イロハさんの在学当時はもう少し多かったそうだけど、やっぱり1学年1クラスしかなかったらしい。


 1年目から担任を任されてしまい不安だらけなんだけど、でも気合だけは十分だ。


 職員室からドキドキしながら3年クラスに向かい、教室の扉が開いたままの入口前に立つと中から子供たちが声を出して騒いでいるのが聞こえ、僕は1度深呼吸をした。


 気持ちを落ち着かせてから教室へ入ると、みんな静かになって僕を注目している。



「はい、みなさん。席に着いて下さいね」


 そう言ってから教壇に立つと、チョークで黒板に自分の名前をフルネームで大きく書いた。



 書き終えてから生徒の方へ向き直し、声を張って挨拶した。


「初めまして!先生の名前は、瑞浪みずなみタイチと言います!

 先生になったばかりの1年生ですけど、これから1年間この3年クラスでみなさんと一緒に沢山学んで沢山遊んで、立派な先生に成れるようにがんばりますので、よろしくお願いします!」


 僕が挨拶を終えると、8名の生徒みんなが拍手で迎え入れてくれた。











 お終い。






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