#54 シタ女の本懐




「・・・じゃあ聞くけどさ、なんでチカは僕のこと、捨てたの?」


 タイチは立ち止まって私を見ると、困ったような表情でそう質問した。



「捨ててないよ・・・捨てられたのは私の方だよ」


「いやいやいや、新山選んで僕のこと捨てたじゃん」


「捨ててない。あの人は遊びでずっとタイチのことが好きだった」


「はぁ?意味わかんないんだけど」


「私だって今じゃなんであんなことしてたのかよく分かんない。

 でも、調子に乗って浮かれてた。沢山考えたけど、多分、理由はそれだけ」


「それだけって、それで僕以外の男とセックスまでしてたの?」


「・・・うん。ごめん」


「なんじゃそりゃ、マジで意味分からん。

 女の人ってみんなそうなの?好きだ好きだ言ってても簡単に捨てられるもんなの?」


 ん?

 女の人、みんな?


 タイチの言葉1つ1つが鋭い刃物の様に胸に突き刺さると痛くて、それでも全部受け止めて耐えようと聞いていると、1つだけ引っかかった。



「もしかして・・・イロハさんだっけ?今の彼女とも何かあったの?」


「ハイハイ、ありましたよ!チカんときみたいに、僕は捨てられちゃいましたよ!」


「マジで?」


「一緒に先生になろうって約束してたのにね! 何が夢を託すだっつーの・・・」



 タイチはそう言うと、その場にしゃがみこんでしまった。



「だいたいさ、ずっと傍に居るって言ってくれたじゃん・・・傍から離れないって言ってたじゃん・・・なのに」


 しゃがみこむタイチに近寄り、恐る恐る背中を撫でると、タイチは顔を伏せたままポロポロと愚痴を零し始めた。



「捨てられたって、何があったの?」


「去年からお母さんが病気で看病する為に帰省してて、それで戻って来なくなって試験も受けなくて留年確定しちゃったから、心配で会いに行ったらさ、全然嬉しそうじゃなかったんだよね・・・それでもなんとか元気づけたつもりだったけど、手紙着て、別れて下さいだってさ」


 お酒飲んで酔ってるタイチの話は、要領を得なくて話の筋が見えてこないけど、彼女に手紙でフラれたことは分かった。


「きっと、自業自得なんだよ。 僕も手紙1通だけでチカと別れたから・・・」


「自業自得って・・・。 手紙読んで彼女に会いには行かなかったの?」


「行った。 行ったけど、迷惑だって言われて門前払い。泣きながら、もう来ないで下さいって追い払われた」



 3年前の自分を見ている様だ。

 タイチに捨てられて、それでも諦めきれずに消息を探し回って、更に打ちのめされて、私は諦めた。


 そして、タイチの話を聞いて、1つ確信した。

 相手のイロハさんって子は、タイチのことがまだ好きだ。

 多分、強い気持ちが残ったままだと思う。

 根拠なんて無い。

 ただの女のカン。

 もしかしたら、タイチのことを好きだった同じ女としての経験からそう思えたのかも。



 それに、もう1つ。

 今の弱っているタイチを私が慰めれば、もしかしたら、仲直り出来るかもしれない。

 私が手を伸ばせば、今のタイチならその手を掴んでくれるかも。





 でも


 それはしちゃダメだ。

 私にはその資格が無い。

 そんなことしても、タイチに幸せは来ない。

 私じゃタイチを幸せには出来ない。


 だから、今の私に出来ることは



 タイチの背中を撫でるのを止めて立ち上がると、タイチを見下ろして、言葉を絞り出す。


「そんなんだから・・・」


 怖くて、声が震える。

 でも、拳を握って腹の底に力を込めて、声を張り上げる。


「そんなんだから、私に浮気されるんだよ!なんで簡単に引き下がってんのよ!それでも男か!」


 タイチは伏せていた顔を上げると、驚いた表情で私を見上げた。


「はぁ?ナニ言ってるの?」


「アンタが男らしく無くて情けないって言ってんの!」


「仕方ないじゃん。迷惑だって言われたらこれ以上迷惑掛けられないじゃん」


「仕方ないってなんだよ!生きてりゃ誰だって迷惑かけるよ!私なんて死んで詫びても足りないくらい迷惑かけまくってるよ!なのになんなの!」


 タイチがこのまま諦めたら、また私の時みたいにタイチは沢山傷ついたままになる。

 タイチには幸せになって欲しい。

 その為にもタイチには諦めて欲しくない。


 だから、今の私に出来ることは、悪者になって嫌われてでもタイチの気合を入れ直すこと。諦めない気概を叩き直すことだ。

 もう、好かれる必要なんて無いんだから。



「チカにだけは言われたくねーわ!だいたいなんなの!なんでチカがそんなこと言えるの?捨てられた人の気持ちなんてチカにはわかんねーよ!」


「分かるわ!私だってアンタに捨てられたわ!死にたくなるほど後悔して、それでも踏ん張って生きてるわ!アンタみたいな腰抜けと一緒にするな!そのイロハって女が言うこと聞かないなら、引っ叩いてでも「俺に付いてこい!」って言ってやれよ!オメオメ逃げるなよ!また繰り返すのか!」


 思いつく限り罵倒を続けていると、タイチは立ち上がって、物凄く怒った表情で私に迫って来た。


 凄く怖い。

 拳と脚が震えてる。

 でも、私は一歩も引かない。

 殴られても、絶対に引かない。

 タイチが彼女を連れ戻すって言うまで、絶対に引くもんか。



「チカ、マジでなんなの?マジでムカつくな。どの口が言ってんの?自分が浮気してたクズ人間だってこと、わかってんの?」


「分かってるわ!クズだって自分が一番分かってるわ!そんなクズに馬鹿にされて悔しくないのか!」


 そこまで言うと、タイチは私の胸倉を掴んで、一言「黙れ」と言った。


 でも私は黙らない。


「悔しかったら殴ってみろよ!女の私にビビってんのか!そんな女々しいのが教師になって学校で何教えるつもりなんだよ!」


 その瞬間、拳が顔面に飛んできて、吹き飛ばされた。


 それで私も頭に血が昇って、タイチに飛び掛かった。


「いってーな!ホントに殴りやがって!女に手あげんな!」


「殴ってみろって言ったのお前じゃねーか!」


「うっさい!アンタのがムカつくわ!」


「だからなんでそんなに馬鹿力なんだよ!メスゴリラかよ!」



 取っ組み合いの殴り合いを繰り返し、しばらくするとタイチは尻もちを着いて、息も絶え絶えの様子で「もう無理」と言って降参した。


 私もタイチも、着ていたシャツが破れてボロボロで、タイチは鼻血も出していた。


 拳が痛いし、しんどくて私もその場で座り込んで脚を伸ばした。



 5分程黙ったままお互い息を整えていると、タイチが立ち上がって近くの自販機から缶コーヒーを2つ買って来て、「殴ってごめん」と言って1つを私にくれた。


 缶コーヒーを受け取りながら「うっさい!痛いから話かけるな!」と返事をすると、タイチは自分のコーヒーのプルタブを開けて、一気に飲み干し、叫ぶように吠えた。



「あああああ!もう!わかったよ!また行ってやるよ!取り戻しに行ってやるわ!」


 タイチはそう叫ぶと空き缶を自販機のゴミ箱に捨てて、落ちてた自分のバッグを拾うと、一人で夜道に向かって歩きだした。


 ようやく、気合が入ったみたいだ。

 よかったぁと安堵した瞬間、タイチはコチラに振り返り、再び叫んだ。


「言っとくけどな!チカのお蔭じゃないからな!イロハさんへの愛の力だかんな!勘違いすんなよな!」


 なんだソレ。

 小学生かって。


 タイチの姿が見えなくなってから、貰った缶コーヒーのプルタブを開けて一口飲むと、口の中の切れたところに染みて、痛みが走った。




 本当に行っちゃった。

 女の顔、本気で殴りやがって。

 私はまだ実習残ってるのに。


 だいたい、メスゴリラってなんだよ。

 って、私のことか。

 余計なお世話だ。




 でも、やっと本気で怒って貰えた。

 手加減無しで殴って貰えた。

 ずっと、この痛みが欲しかったんだ。




 私も帰ろ。





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