#38 傍に居て寄り添ってくれる存在





 イロハさんがシャワーを浴びたいと言うので、今朝は僕が朝食の準備をすることにした。

 と言っても、大した物は作れないので、目玉焼きを作ることにした。


 フライパンに卵を2つ落として塩コショウを振って、少し水を足してからフタをする。

 卵が焼ける音を聞いてると、その音に合わせて自分の不甲斐無さもグツグツと湧いてきた。


 またイロハさんに気を使わせてしまった。

 痛くて辛かったのはイロハさんの方なのに、僕の方が慰められた。


 性欲が湧いて、勢いで本番にチャレンジしようと誘ったのは僕なのに、案の定上手に出来なくて、イロハさんに負担を掛けただけで、気も使わせた。



 当初から心配していた通りの結果になってしまった。


 情けない。

 今のままだと、また次も上手に出来る気がしない。


 視界がボヤけてきた。

 情けなくて、涙がにじんで来た。


 僕は、イロハさんを満足させられる男になりたい。

 イロハさんに相応しい男に、僕はなりたい。


 今のままではダメだという焦燥感が湧いてくる。


 好きなだけではダメだということは、分かってたハズ。

 僕はどうして失敗したんだ。

 次こそ上手にするには、何が必要なんだ。


 考えろ。

 真剣に考えろ。


 『チカはどうして僕以外の男を選んだ』

 ――お前がチカを満足させることが出来ない男だから

 『僕の何がいけなかったんだ』

 ――そんなことも分からないから、お前は浮気されたんだ


 今度こそ逃げずに正面から向き合わないと、イロハさんにも見捨てられてしまう。



 焦げ臭い匂いにハッとして、慌ててフタを取ってコンロの火を止めた。


 少し焦がしてしまった。



 イロハさんはまだシャワーを浴びている。

 スマホで時間を確認すると、9時55分。


 次の本番チャレンジまでまだ時間はある。

 落ち込んだまま悩んでいても、何も変わらないと思う。

 アレコレ悩んでいると、無性に竹刀を振りたくなった。

 折れそうな気持を立て直す為に、無心で竹刀を振って気合を入れ直す必要があると思えた。


 朝食食べたら、30分で良いから河川敷に行ってこよう。

 答えが見つかるかは分からないけど、逃げずに真剣に向き合う為に、気持ちだけでも踏ん張らないと。


 イロハさんがユニットバスから出て来たので、ご飯を温めてインスタントの味噌汁も用意して、コタツに運んで二人で一緒に朝食を食べ始めてから、「この後河川敷に行って、少し体動かしてきます」と伝えた。


「剣道の素振りをしに行くんですか?」


「うん。急に竹刀を振りたくなったので、30分だけ行ってきます」


「私も行きます!タイチくんの竹刀振る姿、見たいです!」


「外、寒いですよ?お風呂上りだと風邪ひいちゃいますよ?」


「私だって雪国育ちですよ?これくらい全然平気です。 それよりもタイチくんの剣道する姿見たいんです!」


「じゃあ、一緒に行きますか。 でも、寒かったら早めに切り上げますよ?」


「はい!」



 食事の後、食器の洗い物も済ませると、僕は動きやすいジャージに着替え、イロハさんも厚着に着替えた。

 それでも心配だったので、イロハさんに貰ったマフラーをイロハさんの首に巻いて、僕の普段使ってるニットキャップもイロハさんの頭に被せた。


 竹刀を入れた布袋を持って外に出ると、曇り空でやっぱり寒かった。

 テレビの天気予報では、ところによっては雪だと言っていた。


 河川敷まで手を繋いで歩き、軽く柔軟をしてから靴を脱いで裸足になり、両手で竹刀を握り、構えて呼吸を整えた。


 イロハさんは、少し離れた所で腰を降ろして、じっと僕を見ている。

 僕が真剣なのが伝わったのか、イロハさんも真剣な表情をしている様に見えた。


 目の前に、竹刀を構えた相手をイメージしながら素振りを始めた。

 相手との間合いを意識して、いつでも詰められるように、いつでも翻せるように。何度も何度も竹刀を振り下ろす。


 体が温まり、体中から汗が噴き出してきた。

 それでも続けた。

 何度も何度も竹刀を振り下ろす。


 始めてから随分と時間が経ってたと思うけど、夢中になって続けていると雪がチラつき始めて、ハッとして竹刀を止めた。

 このままだと更に冷え込みそうだ。

 そろそろ帰らないと、イロハさんが風邪でも引いたら大変だ。


 竹刀を降ろしてイロハさんへ視線を向けると、イロハさんは立ち上がって僕のところへ駆け寄って来て、スポドリのペットボトルを僕に渡してくれて、手に持ってたタオルで僕の額の汗を拭ってくれた。


「ありがとう。 雪降って来たし帰りましょうか」


「はい。お疲れ様でした」



 帰り道、手を繋いで歩いていると、イロハさんが話してくれた。



「タイチくん、今朝のこと、まだ気にしてるんですか?」


「そうですね。 イロハさんに負担を掛けてばかりで情けなくて」


「それで急に素振りをしたくなったんですか?」


「体育会系だからね。こういう時は体動かして、気合入れたくなるんですよ」


「それで、どうでした?気合は入りましたか?」


「うーん、わかんないです。 でも、少しスッキリしました」


「私は、素振りしているタイチくんを見て、凄くドキっとしました。 こんなにも真剣な表情、初めて見て、いつもと違うタイチくんにドキっとさせられました」


「そっか。僕、いつもふざけてばかりですもんね」


 イロハさんは僕の言葉に無言のまま首を横にふり、正面を向きながら、1つ1つ噛み締める様に言葉を続けた。


「私は、タイチくんのことが、好きです。

 普段の明るくて優しいタイチくんが大好きです。ちょっと意地悪なところは、好きじゃないですけど・・・。

 でも、真剣な表情のタイチくんを見て、タイチくんの本当の姿を知れた気がしてもっと好きになりました。 

 だから、私はタイチくんの傍に居ます。ずっと傍に居ます。タイチくんが故郷で何があったのかは分かりませんけど、私はタイチくんの傍から離れません」


 イロハさんの言葉にビックリして、イロハさんを見つめると、穏やかな表情で微笑み返してくれた。


 高校時代のことはずっと話さずにいたけど、昨日母さんと電話で話してたのを聞いて、何か察してくれたのかな。

 イロハさんはとても頭の良い人だから、全てお見通しなのかも。


 気持ちが折れそうになっても、今の僕にはイロハさんが傍に居てくれる。一人で藻掻いてても手を差し伸べてくれる人の存在に、どれほど救われる想いか。


「ありがとう、イロハさん。 イロハさんの言葉が、何よりも嬉しいです」



 僕の部屋に戻るとシャワーで汗を流してから、一度イロハさんの部屋に留守中の郵便物などの確認をしに行くことになった。


 その帰りにスーパーに寄って、お正月用の食料品の買い物を済ませて僕の部屋に帰ると、再び本番のチャレンジをすることになった。

 夕飯に年越し蕎麦を食べる予定だったけど、「食べてからよりも、食べる前のが良いんじゃないでしょうか」とのイロハさんの提案で、そうなった。



 * * *



 今度は何とか出来た。

 勢いに任せずに、イロハさんの表情から目を離さないで何度も何度もキスをして、お互いの気持ちと体を解すように時間を掛けて挑んだら、上手くいった。


 事を終えたあと少し落ち着くと、イロハさんは裸のまま僕を抱きしめて、穏やかな口調で話してくれた。


「痛みで辛かったけど、タイチくんに愛されているのを強く感じて、女に生れて良かったって思えました。こんな気持ちは19年生きて来て初めてです」うふふ



 イロハさんの言葉1つ1つが僕の心の奥底のヘドロを、洗い流してくれてるみたいだ。

 イロハさんへの尊敬と感謝の気持ち、そして嬉しさに、今日ほど泣きたくなるほど胸が一杯になった日は無かった。


 だから、僕はその気持ちを伝えたくて、高校時代のことを正直に全部話すことにした。

 誰にも話せなかったその話をすることが、今の僕に出来る精一杯の誠意だと思えたから。





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